靖国神社の参拝に思うこと
人間には宗教心があり、自分に近い人の死を悼むということは、最も基本的な人道と道徳の基本になっているものです。
例えば、ある国民が自分たち国民同胞の死を悼むという宗教心を静かに表現しようとしているのに、それをさまたげようとする外国の非難があるとすれば、それは、人類相互の共通理解をさまたげる行為に違いありません。このような心の領域に不当に干渉しようとするのは、人間の行為の基本コードをまったく理解できない人のすることでしょう。
同胞の死を悼むという日本国民の宗教心にまったく共感できず、宗教心とそうでないものを区別さえできずに、数少ない特定の外国の政府が、「日本国民には同胞の死を悼む資格はない。同胞の死を悼むことは放棄して、むしろ自分たちに同情しろ。自分たちと取引をしろ。自分たちに物や金を与えろ」 という内容に類する奇妙な主張をするのは、人類相互の共通理解を推進できる論理では到底ありません。どこまでも先の戦争に引きつけた偏見によって、現代の日本国民を低く評価しようとする外国の国民は、世界でも極めて少ない野蛮な人々として徐々に認識されるようになっています。
靖国神社への参拝は、国民の宗教心の表れであり、首相が個人的に宗教心を表現し、国民の宗教心を代弁する。ひとつの国民としての当然の権利であり、万国の国民の権利でさえあると思います。
安倍首相の参拝は日本国民の圧倒的多数に支持されているだけでなく、仮に、世界のすべての諸国民に対して、これが「宗教心」による同胞の死を悼む参拝だと適切に説明することができたら、90%は賛成されるでしょう。
アメリカにしても、真の日本の友好国ならば、「日本国民の宗教心を尊重したい」のひとことで終わりのはずです。日本国民や日本政府は、そういう視点でアメリカの対応や行為を批判するべきでしょう。彼らは、いつまでも日本国民を敗戦国民であるかのように見立てている点で、きわめて不誠実です。
国民の代表である首相は、国民の宗教心を代表することができてしかるべきです。それは決して、8月の戦没者追悼式典という公的行事に限定されるものではありません。
その上で、英霊という言葉について少し考えてみたいと思います。「英霊のため」「英霊を慰めるため」という言葉を使うと日本国民どうしには非常によくニュアンスが伝わるのですが、残念ながら、これをさまざまな外国語で発信するのには、リスクが大きいのです。というのも、文化的な背景を知ることなく、「英霊」の訳語 (英語ならば spirits of dead soldiers などと殺伐とした語の羅列として訳されることがあります) をつきつけられた教養ない外国人、使えない海外のメディア関係者の中には、日本国民を、21世紀のオカルト信者の集団と完全に誤解してしまう人々が出てくるでしょう。
兵士として亡くなった人の霊を特別視しているとか、特別に祀っているという偏見を生んでしまう危険が常にあります。すると、彼らは、日本国民→オカルト信者→血迷った戦争崇拝者 というような稚拙な論理で完全に日本国民の宗教心を誤解してしまうことになる。このような勘違いをする外国人を増やしてはいけません。さらに注意すべきことですが、シナや南北の朝鮮が、日本に友好的な数多くの諸外国国民に対して、不当に日本国民に不利に解釈するように利用さえしてきます。
日本国民同士では、「英霊」を祀る尊さをいかなる時でも共有したいものですが、外国に発信する場合、靖国神社参拝は、「同胞を悼む宗教心」として表現することが、暫定的ですが重要ではないかと思っています。 天皇陛下をお守りし、天皇陛下をお守りすることを通して、日本の国守りをつづけてこられた英霊にはとても申し訳ない気持ちがしますが、同胞を悼む宗教心として説明することで、少しでも亡くなられた方々のご遺志を引き継いでいきたいと思っています。
それから、中国、南北朝鮮の政府は、いまだに日本に対する「戦勝国」であるかのように振舞っていますが、全くそうではありません。そろそろ、このアンフェアな関係を仕切りなおすべきでしょう。彼らは戦前統一的な領域の主権を持っていなかったのです。戦争とは最高主権どうしが争う問題解決の方式です。この十六世紀以来の国際法理論の基本中の基本に照らしても、国境を確定して国防しパスポートを発行できる主権が存在しなかった中国と南北朝鮮は国際法上の交戦国ではなく、したがって当然、国際法上も戦勝国であるはずがありません。
戦後秩序を自分たちが一方的に代表できるかのような彼らの傲慢な発想こそが、厳しく修正されるべきなのです。自分たちは「戦勝国」であるから、「敗戦国」である日本国民が同胞の死を悼むことを禁止することができる、などというのは、勘違いもはなはだしい主張です。
「日本人は無宗教だ」、というのもある意味で戦後民主主義から個々の日本国民に押し付けられてきた束縛や圧力の一つに違いありません。 毎日お寺に行かないからといって、週末に教会に行かないからといって、無宗教であるわけはありません。 一般の日本国民は、強い宗教心を持ち続けていると思います。
今後、神道関係者の方々が、より説得的に外国国民に対して、日本の神道や神社の宗教的な重要性を発信されていく時代になってくると思います。そうすれば、観光で日本に来て靖国神社や明治神宮で日本国民を観察した外国人の人々、神社がただ単に緑の多い場所でなく、人の宗教心の通ったとても温かい心地よい場所だと直感した外国人の人々が、「あぁ なるほど、そういうことだったのか... 」 と深く納得する日がくるでしょう。