天皇陛下が靖国神社に参拝しない理由
昭和天皇の靖国ご親拝中止は戦犯合祀が原因でない
毎年八月十五日になると新聞を賑わす問題があります。 内閣総理大臣や国会議員が靖国神社に参拝するかしないかという話題です。 参拝したら、 それは 「公的」 か 「私的」 かという議論が沸きます。 こうした話題は、 三十数年以上も続いていると思います。
天皇陛下が靖国神社にお参りされなくなったのは、 昭和五十一年からです。 その理由は、 靖国神社にA級戦犯が合祀されたから、 天皇陛下はそれを快しと思われず、 お参りしなくなったのだと、 平成十三年頃に朝日新聞が報道しました。 それがまことしやかに世論として形成されてきましたが、 この事実経過を皆さんにお伝えしたいと思います。
天皇陛下が靖国神社にご親拝されなくなったのは昭和五十一年からです。 A級戦犯が靖国神社に合祀されたのは昭和五十三年です。 参拝されなくなったのが五十一年、 合祀されたのが五十三年です。 そこに二年の開きがあります。 ですから、 天皇陛下が靖国神社にご親拝されなくなったのは、 A級戦犯の合祀が原因でありません。 その要因は、 当時の三木武夫首相が昭和五十年に靖国神社を参拝した際、 取材記者に 「私的立場で参拝をした」 と発言したことにあります。 マスコミは、 その発言を取り上げ、 政治家の靖国神社参拝は 「私的参拝」 か 「公的参拝」 か、 と問うようになりました。 それまでは、 八月十五日に天皇陛下も、 総理大臣も、 靖国神社を参拝してもマスコミが特別に騒ぎ立てることはなかったのです。 それが、 三木首相の発言で、 眠っている子を起こしてしまったわけです。 「公的」 と言えば、 憲法の政教分離の原則に反する言い、
侵略戦争だった大東亜戦争を認めるのか、 という論法でマスコミが叩いていくわけです。 その流れは、 今日まで続いています。 「私的」 だと言えば、 記帳に肩書きを付けたではないか、 使用した車は公用車で良いのかとか、 玉串料は個人のお金なのかと追求するようになってしまいました。 「公的」 でも 「私的」 でも、 八月十五日に政治家が靖国神社へ参拝すると騒がれるようになってしまったのです。 今では、 内閣総理大臣が参拝すると、 中国、 韓国からも、 侵略戦争を認めるのかと、 クレームが付いてくる程です。 内政干渉も良いところです。
つまり、 三木首相が昭和五十年に、 「私的参拝だ」 と言ったことがマスコミに取り上げられ、 国会でもそれが与野党の議論になってしまい、 天皇陛下は、 翌年の昭和五十一年から八月十五日の靖国神社ご親拝を控えるようになったのです。 しかし、 春秋の例大祭には、 勅使の参向を続けられ、 ご親拝の礼を尽くしているのですよ。 今でもそうです。 だから昭和五十三年にA級戦犯を合祀したことによってご親拝されなくなったというのは、 全くの誤解です。 年月日が合いませんから。
戦犯の問題は 『憲法を問う』 の中にも記してあるように、 国内法でもサンフランシスコ講和条約に基づいた戦犯赦免の手続きで、 日本に戦犯はいないことになっています。
昭和二十年八月、 終戦を迎えた後、 天皇陛下はマッカーサー元帥を訪ね、 「先の戦争の全ての責任は私にある。 殺すのであれば私を殺せ」 と仰られています。 その時、 マッカーサーは、 天皇が命乞いに来たと思っていましたから、 その逆だったことに 「われ神を見たり」 と感激し、 天皇擁護論者に変容したという経緯があります。
東条英機に対して昭和天皇は、 GHQに逮捕された後、 「元来、 東条と云う人物は、 話せばよく判る。 東条は一生懸命仕事をやるし、 平素云っていることも思慮周密でなかなか良いところがあった」 「私は東条に対して同情している」 ( 『昭和天皇独白録』) と発言されていますし、 昭和二十年十二月七日、 東京裁判でA級戦犯として逮捕状が出た木戸内大臣についても「米国より見れば犯罪者ならんも、 我が国にとりては功労者なり」 ( 『木戸幸一日記』) と仰っているそうです。
それを、 どうして 「A級戦犯と称された人達を快しと思っていなかった」 と解釈できるのでしょうか。 矛盾していると思います。 捏造された情報が世論として日本を走り、 ことの真実が密閉されていると、 私は思います