目的をもってはじめる
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先般、「白い喪服」の記事を書かせていただきました。
喪服の色が、なんで政治経済ブログなんだと、お叱りを被りそうですが、なるほど喪服の色が白だろうが黒だろうが、いまの時事問題には何の関係もありません。
けれど、そんな小さな話から先人達が苦労して日本を守ろうとしてくれたという気付きがひとつの話題となとなって多くの人の口にのぼり、そこから「日本には、長い歴史があったんだ、日本は守らなくちゃいけないものがる国なんだ」という、国を愛する気持ちを目覚めさせるきっかけになってくれれば、たいへんありがたいことだと思って、その記事を書きました。
けっして大きなことではない。身近なちょっとしたことから、愛国者の輪を広げて行く。
そういう「小さな努力の積み重ね」は、実は、長い目で見るとたいへんに大きな効果を生むものだと思います。
なぜなら、日本を取り戻すというのは、共同体としての日本を取り戻すということであり、共同体意識という人と人との関係においては、何か突発的な大きな事件などよりも、むしろ小さなことの積み重ねの方が、結果として大きな影響力を持つものだからです。
残念なことに、戦後の国家よりも個人を優先するという教育は、さまざまなところで、国民の紐帯の切り離しをしています。
本来ならば、学校教育における日本史の勉強などは、そうした国家共同体意識の育成に、たいへんに大きな影響を持つもののはずなのですが、それが学問の名のもとに否定されてしまっているのが実情です。
たとえば、歴史教育において、戦前はあったけれど、戦後になくなってしまったもののひとつに、神話教育があります。
戦前は、国史の教科書には、冒頭に神話のページがあったものです。
日本では、明治の学制以来、国民は全員学校教育を受けることになっていますから、この義務教育の授業で神話を学べば、それは日本人の常識となったのです。
フーテンの寅さんの口上に、「いいかい? ハイ。 並んだ数字がまず一つ。物の始まりが一ならば、国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島、泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、助平の始まりがこのオジサンっての。ね。 笑っちゃいけないよ。助平ってわかるんだから目付きみりゃ」なんてのがありますが、「国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島」で、誰もがその意味がわかるというのは、日本人なら誰もが、日本神話の勉強を授業でやっていて、それが常識だったということをあらわしています。
しかもこの常識、おもしろいのは、寅さんの啖呵売(たんかばい)の口上にも使われるくらいで、学校で習ったことを、みんながちゃんと覚えている。
戦後の教科書で学んだ戦後生まれの私たちは、たとえば中学生時代の歴史教科書のはじめの方に何が書いてあったかなど、たぶん、ほとんどの人が覚えていないと思います。
ところが、昔の人は、教科書のはじめの方にあった日本神話の話をちゃんと覚えている。
どうしてでしょうか。
それは、歴史の授業が、納得できるおもしろいものであったからとはいえないでしょうか。
戦後の歴史教育は、バラバラの年号や事件名のただの暗記科目でした。
ところが戦前の教科書では、歴史は、はじめに日本神話を掲げることで、はじめに歴史をなぜ学ぶのかという目的をきちんと教えられていたのです。
戦後になって議論されたことのひとつに、「神話は歴史か」というものがありました。
史料に基づく事実かどうかわからない神話は、歴史ではない、という議論です。
いっけんもっともらしい理屈ですが、そこには、明確な嘘があります。
それは、「学問的研究対象としての歴史」と、「人生に必要な知識を学ぶ歴史」とでは、目的性も意味も違うということです。
「学問的研究対象としての歴史」なら、いつ、どこで、誰が、何を、どうして、どうやってということを調べるのが課題となります。
それは正確性が最も重用視されることです。
その「学問的研究対象としての歴史」が、どこぞの国のように、プロパガンタになったり、ファンタジーになったりしたら、それはもはや学問の名に値しないし、世が乱れるもとです。そんなものは、日本人の感覚として、到底受け入れることができないものです。
ところが、これを実体験に即して考えてみます。
たとえば、その昔、自分が「学校で殴り合いの喧嘩をして処分を受けた」という経験をもっているとします。
その喧嘩がいつのことで、どこで行われ、誰と、どうして喧嘩になって、どういう結果になったか。
そのことは、事実認定という意味では、とても重要なことです。
これが、たとえてみれば、「学問的研究対象としての歴史」です。
事実を証拠に基づいて丹念に調べて事実を解明していく。
これは学問としての歴史には不可欠の大切な要素です。
けれど、それは学者さんたちにとっての歴史です。
学者ではなく実社会で責任をもって生きている一般の人々にとって大切なことは、いつ、どこで、誰が、何を、どうして、どうなったということも大切なことには違いありませんが、それ以上に、そのときの経験から「何を学び」、「どういまの自分に活かすか」のほうが、もっと大切です。
このことは民族の歴史においても同じです。
いつ、どこで、誰が、何を、どうして、どうなったという史料に基づく歴史の研究は、もちろん大切なことながら、それ以上に、一般の社会人となって生活していく多くの生徒たちにとって重要なことは、そこから「何を学ぶか」にあるからです。
戦前の文部省にしても、学校の先生方にしても、神話の時代に生きていたわけではありません。
ですから、当時のことを知るのは、紙に書かれた史料や、遺品などの物的史料を手がかりとするしかありません。
そしてなるほど史料である記紀には、初めての男女神であるイザナキとイザナミの二柱の神が、天の橋にお立ちになり、天のヌボコで海面をコオロコオロとかき回して、矛を引き揚げたら矛の先から滴った潮が固まって島ができたと書いてあります。
最初にできた島がオノコロ島で、コオロコオロと潮をかき回したから、オノコロ島で、二神はオノゴロ島に降り立って結婚して、はじめに淡路島、次いで七つの島ができ、全部で八つの島が産れたから、大八島(おおやしま)で、これが日本列島だと書いてあります。
けれど、天の橋がどこにあるのか、オノコロ島がどこにあるのかなんて、誰も知らないし、しずくで島を造れるほどの巨大な矛(ホコ)が、いったいどのようなものなのかなんて、誰も見た人はいません。
けれどそういうことが歴史の教書で教えられていた。
だから戦前の教育はレベルが低かったなどというのは、大きな間違いです。
なぜなら戦前は、こうした神話を通じて、教える側も、教えられる側も、実はまったく別な知見を得ていたからです。
そのことは、神話の続きを読むと、より一層明確になります。
イザナキ、イザナミのお二神は、はじめに天の御柱をぐるりとまわり、女性神のイザナミから声をかけて「ヒルコ」を産みます。
「ヒルコ」は、蛭(ヒル)のように骨のない子といわれています。二人は、泣く泣く「ヒルコ」を水に流します。
二人は最初の失敗から、信頼できる時津神(ときつかみ)に相談して、今度は男性神のイザナキから声をかけることで、ようやく立派な子(大八島)をもうけます。
これは、ひとつには、神々でさえも失敗することがある。まして神々にはるかにおよばない人間なら、なおのこと失敗したり、つらい思いをすることもあるということを想起させます。
けれど、失敗してもくじけないで、信頼できる人(時津神にあたる人)に相談し、まっすぐな道(条理)を探りました。
このことは、信頼できる相談相手(教師)の大切さと、条理の大切さを説くとともに、条理によって立派な赤ちゃん(大八島=国土・社会)が生まれることを想起させます。
こことについて藤岡信勝先生が日本史検定講座で、次のように語られています。
すこし引用してみます。
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国産み神話では、なぜ一回目に失敗したのか。
男性も女性もそれぞれ単体では不完全です。
で、より完全になるために結合(まぐあい)する。
それは「愛」の力によって男女が導かれ結合するということです。
男女は「愛の原理」によって、相互の垣根を克服するわけです。
けれどこのご夫婦は、一回目に失敗しています。
それは、「愛の原理」はあったけれど、「条理」に背いていたからなのではないか。
この場合は、女性から先に声をかけたということが「条理に背いた」ということになるのでしょう。
こう言いますと、それはいわゆる夫唱婦随、男尊女卑論だという批判が出るかもしれません。
けれど男尊女卑でないことだけは確かです。
なぜなら日本の最高神はアマテラスです。女性の神様です。
ですからイデオロギー的に決めつけない方が良いのではないかと思います。
「愛」だけでなく、「条理」を尽くしたときに、物事は成る、という話になっているということが言えると思います。
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こういうことを歴史を学ぶに先立って学んでいるわけです。
つまり、戦前までの教育を受けた私たちの父祖は、歴史を学ぶ、最初の入り口で、歴史を学ぶ上での基本姿勢を、神話を通じて学んでいたのです。
繰り返しますが、教える側も教えられる側も、やみくもにオノコロ島があったと頭ごなしに信じているわけではありません。
そういう神話を通じて、「歴史を学ぶにあたっての基本姿勢(もしくは歴史を学ぶ目的)」を知り、明確化することで、その後の日本史のひとつひとつの事件や登場人物、紹介される遺物遺品、あるいは政治、経済や芸術文化などが、それぞれの時代を知る手がかりとなって生きた授業になる。
歴史のひとつひとつの事件や人が、生きたお手本になる。
だから歴史の授業がおもしろかったのです。
「なぜ」という目的性がないままに、ただ年号や人名、事件名を暗記するだけなら、それは多くの子供たちにとって、苦痛です。
実際、日本史科目が好きとこたえる生徒たちの多くは、ただ暗記が得意でテストで点数がとり易いと思っているだけのことで、テストが終われば、きれいさっぱり忘れてしまう。
それでは、何のために勉強しているのかわかりません。
ところが戦前の教育を受けた人たちは、小学校で習った「島のはじまりは淡路島」ということを、誰もがちゃんと記憶していました。
だから寅さんの口上が活きてくるわけです。
同じく寅さんの口上でも、「泥棒の始まりは石川の五右衛門」というのは、歴史の授業ではなく、芝居などで、何度も上演されるから、みんな知っています。
けれど、オノコロ島の話は、芝居や講談にはありません。
みんな学校の授業で学んだのです。
戦前に、教える教師の側も、教わる生徒も、現実にオノコロ島がどこにあったかとかなど、誰も気にしていません。なかにはいたかもしれませんが、それはよほどのマニアです。
大切なことは、何もないところであっても、男女みんなで力をあわせ(いっしょに海をかきまわして)て、土地を開墾し(大八島を産み)、耕し、稔り豊かな土地を作り未来永劫栄えて行く(子を産み育てる)こと。
そういうことを大切にしてきたのが、私たちと血のつながったご先祖たちであり、その足跡を、これから尋ねて行くのだよ、と教わる。
こうすることで、歴史自体が、教わる生徒にとって、まさに血のつながった活きた歴史になっていたのです。
このことは、逆に戦後の歴史教育を考えたら、すぐに理解できます。
戦後の歴史教育は神話を否定しました。
結果、歴史の授業は、もっぱら年号や事件名、人物名等の無機質なただの暗記科目です。
そして無機質であることによって、歴史はただ覚えている、知っているというだけで、それ以上でも以下でもない、ただのクイズになってしまっています。
いまの日本は、歴史が失われようとしていると、よくいわれます。
歴史を失った民族は滅びるともいわれています。
ここでいう歴史は、年号や人名などのただの羅列としての歴史ではありません。
人生の糧(かて)としての活きた日本民族の歴史であり、私たちと血のつながった祖先の経験です。
日本は、人類史上、最古かつ最長の歴史をもつ国です。
その長い歴史をもった日本の歴史は、日本民族の経験という宝石の山であり、私たちの先祖からの、私たちへの大切な贈り物です。
それをただのクイズにしてしまうのは、どうかんがえても、もったいない!
そしてその人類史上、もっとも長い国の歴史という名前の「経験」を通じて、私たちは「なにが正しくて、なにが間違っているのか」を学んで行くのです。
ひとりの人間と同じです。
人生において、さまざまな失敗や成功を繰り返しながら、それを自分の経験として学び、いまを生き、未来を拓こうとしています。
ひとりの人間にとって、生まれてから今日までの経験が大切なことなら、民族にとっては、歴史という経験がとてもたいせつなものです。
そういう歴史からの学びを失ってしまったいまの日本に、あらためて、歴史の面白さを民族の知恵、経験として再確認していく。
そうすることで、私たちは目の前の時事問題についても、その「なにが正しくて、なにが間違っているのか」を明確に判断できるようになるのではないかと思います。
なぜなら、判断の物差しというのは、いかなる場合も、知識と経験に裏付けられるものだからです。
男はつらいよ 寅さん口上編
