毎度おなじみシナ姦国癒着の糞アメ!この記事は表示出来ません!通州事件と源平合戦 | mappyの憂国

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通州事件と源平合戦

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通州事件は、支那人の残酷性を表しています。
通州事件は、人類史上例をみない残虐虐殺事件です。

では、私たち日本人が、二度とこうした被害に遭わないためには、何が必要なのでしょうか。
通州事件では、船津工作といって、邦人被害について日本は全部目をつむる。それまでの支那の要望を全部受け入れる。だから仲良くしましょうという案を、日本は支那に提示しています。

ところがその和平調印の当日、大山中尉虐殺事件が起こり、第二次上海事変にまで至ってしまっています。

日本が、仲良くしようと平和を望んだことが、逆に、戦乱を招いてしまっているのです。
これは歴史の教訓といえるのではないでしょうか。

逆に、なぜこのとき通州にいた邦人が狙われ、欧州人は狙われなかったのか。
ここは、非常に大切なポイントだと思います。
「やったらやり返す」という言葉があります。
「やり返す」というのは、もちろん暴力行為ですが、やられたから「やり返した」というのは、国際社会では、正当な行為です。
欧米人は、やられたら必ずやり返します。
実にシンプルな話なのです。
だから襲われない。

もうひとつは、歴史上、支那人(その影響を受けた朝鮮人もですが)が大量に日本にやってくると、ミニ通州事件が全国いたるところで起こる、ということです。

遣唐使、遣隋使の時代、平家の時代、安土桃山時代、それらの時代のあと、日本は鎖国をしていますが、本来、交易は儲かるのです。
みんなが豊かになれるはずの交易を、なぜ日本はやめて、鎖国したのか。
その答えも、支那人、朝鮮人等の渡来人の残虐性にあります。
ミニ通州事件が、全国あちこちで起こったのです。
だから、鎖国した。

一例を申上げます。
平家は、支那、朝鮮との交易によって巨大な冨を築きました。
その源氏を倒したのは、源頼朝です。
では、なぜ坂東武者たちは、頼朝を押し立てて戦いを始めたのでしょうか。
どうして頼朝という看板が必要だったのでしょうか。
源氏だ、平家だという立て前だけでは、人は動きません。

人が、命がけで戦いまで起こそうというには、それなりの原因が必要です。
その答えも、渡来人にあります。
全国で神出鬼没で村人たちを襲い、殺戮をし、女性たちを強姦、残虐に殺害する。
通州事件で起きたような、こういう残虐な文化は日本にはありません。
それが全国あちこちで起き、犯人グループの渡来人たちは、神出鬼没で、全国をまたにかけて暴れ回る。
そうなれば、坂東武者たちは、頼朝という旗を押し立ててでも、決起せざるをえなくなる。
そしてそれをやった鎌倉幕府は、事実上の鎖国を行っています。

昨今、連日報道されているのが、殺人事件です。
毎日です。
民主党政権下で、渡来要件が緩和され、日本に大量の渡来人がやってきました。
その結果、いま、日本国内で、連日、ミニ通州事件が起こっています。

そして、これを放置すれば、次に何が起こるのか、通州事件は私たちに、たいへんおおきな警鐘を与えてくれていると思うのです。

昨日は通州事件のことを書いたので、今日は、源頼朝のことを書いてみようと思います。

通州事件から頼朝って、ずいぶんと飛躍しているとお感じになるかもしれませんが、実は共通項があるのです。

それが支那人、朝鮮人のもつ、日本人にはない残虐性です。

すでに通州事件をお知りになった皆様は、通州で現実に行われた、信じられないような非道の数々を、すでにご存知になっておいでです。
生きたまま眼球をえぐり出す、妊婦を強姦し、生きたまま妊婦のお腹を斬り割いて胎児を取り出して放り投げる等々、およそ、日本人には想像もつかない出来事です。



想像もつかないということは、日本にはそのようなことをする文化が、そもそも「ない」ということです。
日本人は、たとえどんなに酷い悪党であったとしても、その命を奪う時は、痛みさえも感じさせないほど、瞬時に殺します。復習の意図をもって痛ぶるような酷い真似はしません。

このことは、昔の時代劇などを思い出していただいたら、すぐにわかろうかと思います。
およそ鬼畜と思われるようなひどいことをする悪党がいて、この上もないほどの復讐心に駆られることがあっても、相手を殺すときは瞬時に殺す。
そこで正義の味方の主役さんが、相手の悪人の眼球をえぐり出したりするような非道を働けば、その瞬間、正義の味方は、たとえどんなに正当化できるだけの理屈があっても、ただの悪人になりさがります。
なぜなら、それだけ日本人は、残酷な加害行為を嫌うからです。

切腹というのは、自分で腹を斬るのですが、これは痛いです。
しかも、切腹というのは、実はそうそう簡単に死にません。
出血多量になって、切腹だけなら、死ぬまでに6時間以上かかります。
そして、腹を十字、もしくは三字に斬ったら、もはや当時の医学では絶対に助かりません。

にもかかわらず、なぜ腹を斬ったかといえば、人の痛みを自分の身に受けるためです。
何かことがあり、その責任をとらなければならなくなったときに腹を斬る。
数時間以上、痛みに苦しむ。
「人の痛みを、そうやって俺の身に受けるから、だから勘弁してやってくれ」
そんな意思が切腹にはあります。

その切腹者に、哀れを感じる人の心があるから、切腹には、介錯がつきます。
介錯は首を斬り落しますが、そうすると人は一瞬のことなので、痛みも感じずにあの世に行けるのだそうです。
痛みを感じるときも、常に自分よりも他人の痛みを優先して考える。
それが日本人の、ごく普通の日本人的心であるといえようかと思います。

さて、頼朝の時代です。
源頼朝は、父親の源義朝(よしとも)が平治の乱(へいじのらん)で敗れたために、伊豆に流罪人として流されていました。

その頼朝が決起して、平家と戦い出したとき、東国の坂東武者たちが頼朝のもとに参集しました。
そして平家が滅び、頼朝が征夷大将軍に任ぜられて、鎌倉に幕府を開きます。
ここまでは、誰もが常識として知っていることです。

ちなみに、昨今、ゲーム機のソフトに「鬼武者」という名前のゲーム(アニメ?)があるそうですが、その「鬼武者」を名乗っていたのが、実は、源頼朝です。

さて、そこでみなさまに質問です。
質問は、
「どうして坂東武者たちは、頼朝のもとに参集したのでしょうか」
というものです。

鎌倉幕府といえば、鎌倉武士団と幕府の間には「御恩と奉公」という関係があった、というのは有名な話です。
鎌倉武士団(これを御家人といいます)は、もともとは新興領主たちです。
要するに、今風にいえば、新田を切り拓いた地主さんたちです。
広大な田んぼを切り拓き、そこで大規模な農場を経営していた農園主、と言った方がわかりやすいかもしれません。

その農園主にとっての最大の財産は田んぼ、すなわち領地です。
その領地を、「あなたのものとして認めます」と、武家の棟梁である幕府によって安堵、つまり認めてもらあう。
その御恩があるから、棟梁になにかあったとき、いざってときには、おっとり刀で鎌倉に駆けつける。これが奉公です。

鎌倉幕府と御家人たちの関係は、そのような関係になっていたのですよ、とは、おそらく多くの方が学校で教わったのではないかと思います。

けれど・・・・

頼朝が平氏追討のために決起したときというのは、頼朝は、元の源氏の棟梁の長男坊だとはいえ、ただの流罪人です。
しかも、草庵での幽閉生活の面倒をみてくれていた北条家(ということは、源家と北条家はいわば敵対関係なのに)、そのひとり娘の政子といい仲になって、ラブラブしているという呑気さです。

このことは、いってみれば「幽閉の責任者が、逆に娘を人質にとられた」ようなもので、責任(職責)をまっとうできていないわけですから、そのままいけば、北条家は平家によってお取り潰し、もしくは財産没収です。

そうなってはかなわないから、逆に兵を挙げて朝廷に歯向かおうとしたわけです。
女に手をつけて、それが原因で、飛ばされそうになった刑務官と一緒に、兵を挙げた。
これって、どうみても、ブの悪い争いです。
そもそも兵を挙げる理由になっていません。

みなさんが、仮に大勢の兵を養っている地方豪族の長だったとして、女に手をつけて抵抗しようなんていう不届きな流罪人に手を貸すために、挙兵までしますか?
挙兵するということは、自分だけじゃなく、かわいい部下まで死なせなきゃならなくなる場合だってあるのです。

しかも、大昔のことです。移動するのだって金がかかる。
そもそも、兵を興して戦いに赴く時というのは、たいへんな費用がかかりますから、たいていどこの武家でも、私財を全部売り払ってお金に変えて、戦(いくさ)の場に赴いたのです。
鳩山追討、菅追討のために、さて、みなさんは私財を売り払って兵を挙げるでしょうか。

なかには、頭にきてて、そうする人もあるかもしれません。
けれどたいていの人は、そんなツマラナイ争いごとに関与するよりも、自分のところの田畑を守ること、あるいは新規に田畑を開墾して財産を増やすこと、みんながもっと楽に暮らせるようにすることを優先して考えるのが普通といえるのではないでしょうか。

まして総大将はただの流罪人です。なんの財産もない。
ということは、仮に戦(いくさ)に勝ったとしても、報酬をもらえる可能性も低いのです。

もちろん家柄や、お家再興といった大義名分も必要です。
けれど、それだけでは「食えない」。それが昔も今も変わらぬ現実です。

ところが、こうした状況に、渡来人という香味料を入れてみます。
すると、すべてのナゾが、目からウロコが落ちるように、するすると解けてしまいます。

平家一門というのは、(これは源氏も同じですが)、もともとは殿上にもあがらせてもらなかった、ただの新興地主です。
ところが、平清盛の爺さんである平正盛(まさもり)の時代に、対馬で反乱を起こした源義親(よしちか)の討伐を命ぜられた際に、対馬が遠島であるがために、瀬戸内の村上水軍などと懇意となりました。

当時の水軍というのは、倭冦をしていた連中です。
倭冦というと、何やら大陸や朝鮮半島を荒しまわった海賊というイメージで語られますが、実際には海賊行為を働いていたのは、支那人や朝鮮人の海賊で、彼らが日本人のフリをして、海辺の村や町を荒し回っています。

では、日本人の水軍は何をしていたかというと、たんなる民間交易です。
当時の交易というのは、海を渡る、つまり遭難してすべてを失うというリスクがある代わりに、成功すればめちゃくちゃに儲かるというものでした。

これには時代は下るけれど記録があって、少し時代はあとになりますが、宝徳年間に明に渡った商人の楠葉西忍(くすばさいにん)の記録があります。
これを読むと、明で250文で買った絹糸が、日本に持って来ると5貫文(5000文)20倍になり、日本で10貫文で仕入れた銅が、明で40~50貫文で4~5倍、そして日本の刀剣類や漆器などは、20~30倍の値段で売れた、と書かれています。

簡単にいうと、日本で100万円で商品を仕入れ、これを中国に持っていく。
すると30倍の値段で売れ、儲かったカネで中国で商品を仕入れて日本に持ち帰ると、またまた30倍になったというのです。
つまり、30倍×30倍=900倍です。
一回の交易で100万円が9億円に大化けする。

そりゃあ、儲かるわけです。
ただし、遭難すれば、全部がパアです。
まさにハイリスク、ハイリターンそのものの商いだったわけです。

平正盛は、そうした民間私貿易を行っていた瀬戸内水軍と懇意になり、その結果、巨額の利権を手に入れます。
この交易利権を最大限活用したのが、清盛の父の平忠盛(ただもり)です。

平忠盛は、巨額の経済力をもって飛躍的に勢力を拡大して朝廷に食い込み、ついには朝廷の貴族たちに金をバラまいて、ついには平家を殿上人にまで、身分を格上げしてしまいます。

そしてこの交易による利権を、政権中枢にいてさらに拡大したのが、平清盛でした。
清盛の時代、世の栄華は、まさに平家のためにあるといわんばかりの、名聞名利と贅沢三昧を、まさに平家一門で享受したわけです。

ところが、交易というのは、儲かるというプラスの面ばかりではありません。
ものごとは、作用があれば反作用があるように、かならずマイナスの面も生まれて来ます。

そのひとつが、支那人や朝鮮人が、交易物産品に混じって、大量に渡来したという事実です。
学者や高僧や技術者などがやってくる分には、良いのです。
ところがそういう、ちゃんとした人に交じって、使用人としなっている奴婢みたいな連中が、大量にやってくる。
そして支那船や朝鮮船から逃げ出して、日本の国内に侵入します。

侵入者たちは、まず日本語がわかりません。
着の身着のままで逃げ出して来たわけですから、カネもありません。
もちろん、食い物も持っていない。

そういう連中が何をするかというと、村人を襲い、皆殺しにするだけでなく、食料を奪い、女たちを強姦し、さらには、村人たちを食ってしまうわけです。
食人は、支那、朝鮮におけるごく日常の習慣です。

地頭などの役人が、事件を知って駆けつけたときには、すでに犯人たちは逃げてしまう。
そして彼らは、土地に縛られていませんから、日本全国を放浪して、あちこちでそうした殺人事件や強姦致傷事件を引き起こすわけです。
そしてそれらの事件は支那、朝鮮人の食人文化に基づきますから、まさにミニ通州事件のようなものが、全国あちこちで起きるわけです。

はじめのうちは、交易の中心となっていた西日本で、そうした事件が、Ⅰ~2名の不逞渡来人によってひき起こされます。
最近でも福岡一家4人斬殺事件が起こったのは、平成15(2003)年のことでした。

ところが、事態が西から東に伝播していく過程と、平家一門の興隆幅が広がる、つまり交易が積極的となり、大量の支那人や朝鮮人が日本にやってくるようになると、次第に彼らは徒党を組むようになり、犯罪も大がかりな虐殺事件のようなものに発展していきます。

そうして10年ほどの月日が流れると、日本社会では考えられないような、ミニ通州事件と呼べるような事態が、毎日のように起こるようになるわけです。
昨今、連日殺人事件報道が行われているのとよく似ています。

しかも土地を持たない犯人グループは、犯罪場所を転々とさせる。
そうなると、ひとりの領主の治安維持力だけでは、どうにもならなくなるわけです。
誰か棟梁を押し立てて、地域ぐるみ、あるいは全国的な治安維持活動が必要になります。

そんなときに、頼朝が平家追討の旗印で立ち上がるわけです。
酷い、ミニ通州事件のような犯罪は、もともとそれ以前の日本社会にはなかったものです。
そうした事態を招いたのは、平家一門が贅沢と引き換えに、渡来人を招き入れたせいだ、ならば平家を追討するしかない。

というわけで、棟梁は、少々女癖が悪い(昔はこれを「尻癖が悪い」と言いました)男であっても、もともとは大恩ある八幡太郎義家の血統だし、天子様のお血筋でもあられる。
ならば、頼朝の挙兵をたすけて、昔のような安全と安心を手に入れようとなって、鎌倉に集結したのが、実は坂東武者たちであったわけです。

日本人は、みんなが貧しいとき、まさにいまの日本がそれに似ているし、東日本大震災直後の日本が、まさにその状態だったけれど、そんなときに日本人は、みんなで助け合って、なんとか努力して事態を改善しようとします。


ところが物事を上下関係だけでしかみない支那朝鮮人は、逆に自分だけが良い思いをするために、どんなことをやっても良い、どんな非道をしでかしても、捕まらなければ良いと考える。
根本的な指向が真逆です。


これについて、福沢諭吉は脱亜論の中で次のように書いています。

=========
人種の違いなのか、教育の差なのか、支那朝鮮と、日本との文化的な隔たりは、あまりにも大きいものです。

情報がこれほど速く行き来する時代なのです。
西欧的近代文明や、国際法についての知識は、彼らにだって当然もたらされているはずです。
にもかかわらず支那朝鮮の二国は、まったく変わろうという気がありません。
変わろうとしないだけでなく、まるっきり百千年の昔のままの姿で居続けようとしています。

文明が、まさに日進月歩で進化している現代にありながら、この両国は教育といえば二千年も昔の儒教を言い、学校教育では仁義礼智といい、一から十まで外見を飾りたてることだけを大事にして、中味は、まるで空っぽの脳みそしかもちあわせていません。

アホにはアホの可愛らしさというものが、普通ならあるけれど、この二国に関しては道徳心などかけらほどもなく、その残酷さは破廉恥をきわめています。
それでいながら、態度だけは傲慢そのもので、いかに他国や他人に迷惑をかけても、自省の色なんて毛ほどもありません。
私に言わせれば、この西欧文明の東進という脅威に対し、この二国が独立を維持し続けるなどというのは、およそ不可能なことです。

もし支那朝鮮の二国に、幸いにも救国の志士が現れて、わが国の明治維新のような政治改革を実現し、政治をあらためて人心の一新ができれば、話は別ですが、そうでなければ支那朝鮮の二国は、いまから数年を経ずして亡国の道をたどり、その国土は世界の文明諸国によって分割、分断されてしまうことは、火を見るよりあきらかなことです。

なぜなら、伝染病にも等しい西洋文明の侵攻にあいながら、支那韓国の両国は、その伝染するという自然の摂理にそむいて、無理にこれを避けようとして、旧来の陋習(ろうしゅう)という一室にひきこもっているだけだからです。
そんなことをして、部屋の空気を遮断すれば、そのうち窒息して死んでしまうのはあたりまえのことです。

「春秋左氏伝」に「唇歯輔車(しんしほしゃ)」という言葉があります。この言葉は、「輔車」が頬骨ほおぼねと下あごの骨、「唇歯」がくちびると歯で、隣国同志が互いに助け合うことをいいます。
けれど、いまの支那朝鮮は、日本のために毛筋一本の値打ちもありません(一毫の援助と為らざる)。

そればかりか、ややこしいことに、この日支朝の三国が地理的に近いがゆえに、欧米人から同一視されかねません。
つまり、支那や朝鮮の不出来な振る舞いをもって、あたかも日本も同じだと思われてしまいかねない危険性さえも持っているのです。

たとえば、支那朝鮮が古い専制君主独裁体制で、法治の観念を持たない国であれば、西洋人は、日本もまた、ああ無法律の国かとみなしてしまいます。
支那人や朝鮮人が理屈にならない手前勝手な屁理屈ばかり並べ立てれば、ああ日本人も屁理屈をこねくりまわしている、訳のわからない国だと思われます。
あるいは支那朝鮮人が、西欧の武力に恥かしげもなく屈して卑屈な態度をとっていれば、ああ日本も同じ卑屈な習俗の国だとしか思われません。
また、朝鮮の刑罰に、およそ人に行うには酷すぎる残虐な刑罰があれば、日本も同様に残虐非道な国だと疑われてしまう。

こんな例をあげれば、それこそ枚挙にいとまがありません
ようするにひとつの村の住人のほとんどが、愚かで無法で残忍で無情ならば、たとえその村の中にまっとうな一家があったとしても、村の外の人々からみれば、どっちもどっちにしか見えないというのと同じことなのです。

そしてその影響はすでに随所にあらわれていて、わが国の外交に少なからぬ影響を与えています。
これこそ、我が日本の一大不幸というべきことです。

もはや日本に、支那や朝鮮が開明して国際常識を身につける日を待っているような余裕はありません。
むしろ、支那や朝鮮とは早々に縁を切って、西欧諸国と進退を共にすべきです。

そして、支那朝鮮と接するときには、いちいち「隣国だから」といって格別の配慮など、もやはする必要などさらさらありません。
支那朝鮮に対しては、西欧諸国が両国に接するのとまったく同様に、相手を人の住む国とさえ思わず、厳しく対処すればよろしい。

悪友と仲良くする者は、共に悪名をまぬがれないものです。
私は、心において、もはやアジア東方の悪友である支那朝鮮とは、絶交を宣言するものです。
=======

頼朝は、鎌倉政権を打ち立てるにあたって、平家一門のような国際交易に依って冨を得るという考え方を捨てました。
むしろ質実剛健をもって、自国内でみんなが食えることを優先する社会を築きました。
そしてそのことが、以後700年におよぶ、日本における武家社会を築く礎を築いています。

私たち日本は、明治以降の開闢以来国を開き、特に昨今では民主党政権のもとで、大量の支那人や朝鮮人を国内に受け入れるという選択をしました。

その結果、いまの日本は治安が乱れ、先だっての隅田川花火大会では、突然の雨天で花火大会が中止になったあと、雨を避けて駅に向かう人々のあとには、大量のゴミが散乱しているという、かつての日本社会では考えられないような、みっともない醜態をさらすようにまでなっています。
そして、毎日のように、残酷な殺人事件が報道されています。


このまま第二の通州事件を招くのか、それとも治安の良い日本を復活させるのか。
選択は私たち国民の意思に委ねられています。

支那 通州事件の記録写真を南京大虐殺と捏造