日本の堤防
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冒頭の写真は、早朝の利根川の風景です。
場所は江戸川と利根川が分岐するところから、すこし下流に行ったところです。
昔は利根川は、関東をそれこそ暴れ回っていたのですね。
それを江戸城開闢のときに、東京湾に注いでいた利根川を房総半島の北側の銚子へ逃がし、江戸市中には水を引くために利根川から分岐した新たな人造川として、江戸川を築いています。
写真に写っているのは、その利根川の堤防ですが、まだダンプカーも建設重機もなかった時代に、これだけ雄大ともいえる河川土木工事をやってしまった日本人、人力でそれを行ってしまった祖先達というのは、実に「すごい」と思います。
この利根川と江戸川の工事は、江戸時代に三代かけて工事が行われて、ようやく完成したものです。
埼玉県北足立郡伊奈町に、小室(こむろ)というところがあるのですが、かつてはここが小室藩で、伊奈一族が治めていました。
江戸開闢当時の藩主が伊奈忠次(いなただつぐ)で、当時、渡良瀬から、利根川とは別に江戸湾に流れる太日川(ふといがわ)という川があり、この川を利根川と接続することで、暴れ者の利根川の水を治めようとしたのです。
けれど、そういうことは、ひとつの藩が単独でできることではありません。
そこへちょうど徳川家康が江戸城を開くということになったことから、江戸を洪水から守ること、そしてまた関東一円の治水事業として、利根川と太曰川を接続し、新たな堤防工事を行うことなどを家康に進言、認められて工事に至ったわけです。
こうして現在の川の流れになるまでに、伊那氏三代、そして堤防が洪水に耐えれるものになるまでに、さらに数代の血筋業が必要だったのです。
人の一代というのは、およそ25年といわれています。
利根川と江戸川が、現在の姿になるのには、およそ8代200年の歳月がかかっているのです。
それを、江戸時代に、幕府や各藩藩主、武家、地域の人々みんなが一体となって、やり、実現してしまったわけです。
そして利根川は、銚子方面に流されることによって、江戸中期には、千葉県の印旛沼の大干拓により、沼地が広大な農地となり、江戸庶民のお腹を満たす一大穀倉地帯となりました。
この印旛沼のお米が、船に載せられ、利根川をさかのぼって、江戸川に至り、そこから江戸川を下って江戸に運ばれたのです。
そしておいしいお米が安くたくさん、安定して得られるようになることで、もっとお米を美味しくたべるためにと、銚子や野田に醤油屋さんが誕生しました。
それが、銚子のヒゲタ醤油、野田のキッコーマン醤油です。
さらに、おいしいお米に醤油とくれば、お酢に新鮮な魚を乗せた江戸前寿司で、文化文政の時代に中野又左衛門が酢屋のミツカンを創業、これを炊きたてのご飯に仕込んで江戸前寿司にしたのが華屋与兵衛で、その江戸前寿司は、いまや世界の「SUSHI」に育っています。
ひとつの河川工事が、洪水から地域を守るだけでなく、食の生産量の増大と安定的供給、そして関連商品の開発、さらに付加価値的商品の開発にまで結びつく。
治水事業は、ただただ治水だけにとどまるものではないのです。
河川をめぐる治水工事というのは、江戸時代、各藩の大名達の大きな仕事のひとつでした。
たとえば芸州広島藩では、広島という町自体が、太田川の氾濫によって生まれた三角州の上にある町で、昔は、大雨が降ればそのたびに洪水が起きて、何もかもが流される、そういう土地だったわけです。
それを福島家、浅野家の代々の藩主達が、広大な堤防を築き、洪水の心配のない町づくりをしてくれました。
おかげで江戸中期以降、広島には大規模な洪水がほとんど起こっていません。
全国どこでもそうですが、こうしたいまでは一級河川と呼ばれる大きな川に築かれた広大な堤防事業。
それを計画し、予算を組んで実行し、そこにおおくの人が働いた。
その祖先達の努力のおかげで、私たちはいま、ほとんど洪水の心配のない暮らしを手に入れ、おかげで産業が発達し、みんなの生活が向上したのです。
彼らは、知恵を使い、汗を流し、私たち子孫のために、がんばってくれた。
それが、こうした広大な堤防工事になっている。
支那にある万里の長城といえば、世界遺産としても有名です。
宇宙にある人工衛星からも見えると言われる、その万里の長城の総延長距離は約2万1千キロメートル、現存している人工壁の総延長は、6,259kmです。
ところが日本の一級河川は、河川の数が1万3,989本、その河川に築かれた堤防の総延長距離は約8万8千キロです。なんと万里の長城の4倍、現存している長城の人口壁の14倍の堤防工事が、江戸時代に、人力で行われているわけです。
一昨日、ご紹介したサウジアラビアの『ハワーテル・改善』という番組のリポーターのアハマド・アルシュケイリ氏は、日本を見て「すごぉい!」を連発していましたが、江戸期の治水事業によって築かれた広大な堤防を目にするたびに、私はまさに「すごぉい!」と思います。
けれど、こうして江戸時代に開発された全国の堤防も、いまだ、決壊することがあります。
ごくまれに、それこそ何百年に一度の大洪水が起きたときの対応には不十分なのなのです。
「ごくまれに」と書きました。
けれど、その「ごくまれに」は、昨今では「まれ」ではなくなってきている可能性も指摘されています。
ゲリラ豪雨、爆弾低気圧などの集中豪雨です。
自動車のワイパーは、1時間の降雨量が50mmまでを想定して規格されています。
けれど、2006年に高知県室戸岬降った豪雨は1時間に149mm、1999年に千葉県香取市に降った雨は1時間に153mmです。
自動車のワイパーの規格の3倍もの雨が、いまや全国あちこちに降るようになってきているのです。
こうなると、一級河川等の堤防が、現在の様子で果たして安全と言えるかが問題となります。
そこで国が行っているのが「高規格堤防事業」の推進で、この建設には約400年の膨大な時間と12兆円を超える費用が必要とされという、壮大な計画です。
ところがこの事業は、2010年10月28日に、蓮舫女史の事業仕分けで、いとも簡単に廃止とされてしまいました。
ようやく保守政権にもどり、この堤防事業も、ふたたび俎上にのぼるようになったのですが、わからないのは、原発に対しては、何百年、何千年先を見据えた人々の安全な暮らしとエネルギーの安定的供給を主張する人たちが、こと治水事業に関しては、まったく何も語ろうとしないし、それどころか国の予算の無駄遣いだと否定するという点です。
いまさえよければいい、という考え方は、いまこの瞬間の富を得ようとする人にとっては大切なことなのかもしれません。
けれど私たちの祖先は、そういう目先の利益や損得だけに汲々とする人のことを、守銭奴といって軽蔑してきました。
そして長い目で見て、本当にひつようなことのために、たとえそれが自分ひとりの世代では実現できないようなことであっても、何代もかけて、これを実現してきました。
それが、あの、一級河川の巨大な堤防なのです。
どうかみなさまにお願いです。
お子様などをお連れのときに、大きな川に架かる橋を通る機会があったら、そこから見える巨大な堤防、あれが江戸時代に「人力で作られたものなんだぜ」と、話してあげてほしいのです。
人間ひとりの力で、一度に運べる土砂の量なんて知れてます。
けれど、みんなで力を合わせ、何ヶ月も何年も、何十年も、何百年もかけてそれをやり続けたら、あの、巨大な堤防がきる。
その堤防のおかげで、私たちの暮らしが守られている。
そんな話を子供達にしてあげていただきたいと思います。
それはきっと、小さな努力の積み重ねの大切さ、人の和の大切さ、自分のためにはならないけれど、誰かのためになる仕事のたいせつさ。
そういうことを、子供達に考えてもらう、きっといい材料になると思うのです。
外国から見た日本1
