小野道風
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小野道風の書
書道の大家といえば、小野道風(おののとうふう)・藤原佐理(ふじわらのすけまさ)・藤原行成ふじわらのゆきなり)、この三人が三蹟(さんせき)と呼ばれる、10世紀の能書家(のうしょか)です。
この三人のうち、たいへんな呑ん兵衛さんだったのが藤原佐理(すけまさ)で、国宝となっている「離洛帖(りらくじょう)」などをみると、書がものすごく崩してあって、ほとんど抽象画の世界みたいです。
これに対し、同じ時代に生きた同じ能書家でも、一字一字がたいへんしっかりしているのが、藤原行成(ゆきなり)で、こちらは人物も沈着冷静で、天皇のおぼえもめでたく、晩年には正二位、権大納言の位にまで出世しています。
この行成(ゆきなり)が、人生をかけてまるで神様のように尊敬していたのが、小野道風(とうふう)です。
実は少し前までは、この人物はたいへんな有名人でした。
たいていの男性は、その名前をよく知っていたのです。
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「大豆と満州」満州急発展の裏にあった開拓ばなし
前編
後編
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その理由が、下の絵です。
なんだ花札かい!と思われたかもしれませんが、ここに描かれている図柄の人物が、小野道風です。
絵をよく見ると、上の方に黒く描かれているのが柳の枝で、真ん中にいる人物が小野道風、その後ろに水が流れていて、道風が傘をさしています。
で、手前にも川が流れていて、杭(くい)があり、その横でカエルが柳の枝に飛びつこうとしています。
実は、この絵柄は、小野道風の故事にちなんだものです。
ご存知の方もおいでかもしれませんが、簡単に書くと、
小野道風は、子供の頃、勉強ができず、字もへたくそ、和歌も下手、悔しいけれど、生まれつき出来がわるいのだから仕方がないと、これまたあきらめていたそうなのです。
で、自己嫌悪になってしまって、悩みながら歩いていたある雨の日、ふとみると、一匹のカエルが、地面から、垂れ下がった柳の枝に飛びつこうとして、何度もなんども跳ねている。
そんな光景を、傘をさしてボーっと眺めていたわけですから、道風先生、このときはよっぽど、へこんでいたのでしょうね。
ところが、そのときです。
偶然、強い風が吹いて柳がしなり、見事にカエルが柳に飛び移ったのです。
これを見た道風は、ハタと気がつきます。
「カエルは一生懸命努力をして、偶然のチャンスを自分のものとした。けれど俺は何の努力もしていない」
目が覚めるような思いをした道風は、その後、精進を重ね、日本一の歌人、書家になりました。
このお話は、史実かどうかは不明で、広まったのは江戸時代中期の浄瑠璃からです。
戦前は、このお話は国定教科書にも載っていて、たいへんに有名というより、日本人の常識といえるお話でした。
戦前は、そういうことを、小学校の低学年のうちにキチンと教えていたのですね。
そしてそれが「あたりまえの常識」となっていた。
だからこそ、それが花札の絵柄にもなっていたわけです。
ちなみにこの花札の絵柄の「雨にカエル」は、最高役の20点札です・・・とまあ、そんなことはどうでもいいことで、 大切なことは、どんなに名人と言われる人でも、はじめから名人であったわけではなく、努力して精進を重ねて、上手になり、名人となっていく。
そういうことを、きちんと学校で教えていた、という事実です。
そしてみずから「求める」という心ができあがったときに、人は体罰のような厳しさにも耐える力が身に付くのではないかと思います。
禅寺で座禅を組むと、すこしでも油断していると、肩をピシャリと棒で叩かれます。
叩かれた方は、両手を合わせて感謝し、叩いてくれた坊さんにお礼をします。
体罰を受けた側が、感謝しているわけです。
なぜそうなるかといえば、座禅を組んでいる側、つまり叩かれた側が、自ら進んでその道を選んでいるからです。
自分から、何かを得ようとしているから、叩かれてもそこには感謝しかない。
その「得ようとする心」は、生まれたときからあるわけではありません。
苦労があり、柳のカエルのように、何度も何度もトライして、それでもダメだという苦労があるから、悩むから、そこから何かを得ようとする心が生まれます。
日教組などは、道徳的なことを子供達に教えることは、思想の強制にあたるからおかしい、などと言っているようですが、そんなことを言っていいたら、いつまで経っても、求めようとする心などできはしません。
常識は、幼いうちに叩き込む。
私は、それが教育だと思っています。

