ねずさんのひとりごとより転載      二つの日本 | mappyの憂国

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サンフランシスコ条約の調印
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二つの日本について、書いてみようと思います。

終戦記念日が近づいていますが、この日、昭和20年8月15日はどういう日かというと、いうまでもなく日本が自発的に「戦闘行為を停止した日」です。
ですからこの日は、敗戦記念日ではなく「終戦記念日」です。

時系列で流れを追ってみると、次のようになっています。

8月14日 帝国政府、ポツダム宣言受諾を連合国側に通告
 (終戦の詔書の日付も8月14日です)
8月15日 玉音放送
8月16日 大本営、停戦命令を発令
8月30日 マッカーサー厚着飛行場に上陸
9月2日  戦艦ミズーリ上で休戦条約に調印

休戦ですから戦争状態は継続しています。
その戦争状態が終結したのが、昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効の日です。

講和条約には、次のように書かれています。
~~~~~~~~~~~~
第一章 平和
第一条【戦争状態の終了、日本の主権承認】
(a) 日本と各連合国間との戦争状態は、第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。
(b) 連合国は、日本及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。
~~~~~~~~~~~~

つまり日本は、昭和20年8月14日のポツタム宣言受託通告から、昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効の日までの6年8ヶ月間も、連合国とは「戦争状態」にあったのです。

あくまでも終戦記念日は、戦闘行為を終結させた日であって、戦争の終わりを意味していない。
そして大切なことは、戦争が継続していたから、「占領統治」があった、ということです。

これはとても大切なことです。

そもそも「占領」というのは、他国の領土、拠点、政経中枢などを「軍」が占有・占拠することです。

軍は占領地において、軍による占領行政を敷きます。
そして軍の支配下においた現地政権を通じて間接統治を行ないます。
これが「占領統治」です。

日本が「占領統治」を受けていた、ということは、その時点で日本はまだ戦争状態にあった、ということです。
くどいようですが、「戦争状態にあったから占領統治があった」のです。

ちなみに、この占領統治下にあった日本は、国名は日本国でも大日本帝国でもありません。
─────────
「連合国統治領日本」
─────────
というのが、占領統治期間における日本の名前です。

日本から輸出される製品も、「Made in Japan」ではありません。
──────────
Made in Occupied Japan
(占領された日本製)
──────────
というのが、当時の日本の輸出製品に書かれた表記です。

さらにいうと、では当時の日本の国旗はどうなっていたかというと、これまた日の丸ではありません。
連合国が定めた三色旗が日本の国旗でした。
連合国統治領日本の国旗
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そもそも日本国というときの「国」とはなんぞや、という定義の問題がありますが、「国」というものが「政府が支配する一定の領域や住民・共同体・制度・文化などの総体」とするなら、間違いなく占領統治下の日本は、

(1) 大東亜戦争を日本と戦った「連合国」が
(2) 日本を占領し
(3) 日本を連合国軍の軍政下におき、
(4) 日本にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)を設置して
(5) 日本政府をその支配下におき
(6) 日本政府を支配することで日本を統治した

そういう時代である、ということができます。

要するに、当時の日本政府にも日本人にも、主権などなかったわけで、ないのに「国民主権」などとうたった日本国憲法は、そもそも日本の占領統治のための「まやかし」にすぎない、ということです。

この占領統治下の日本において、日本国内では占領軍の意向によって、護国救国の志を持った様々な識者などが公職追放されるとともに、財閥が解体され、日本軍が解体され、修身や国史の教科書に墨が入り、日本の国会でのマスコミ取材が記者クラブのみを経由した情報しか提供できないように制限され、その一方で日本解体を遂行するためのさまざまな利権団体が生まれました。

たとえば、日教組です。
日教組が設立されたのは、昭和22(1947)年6月8日で、まさに占領統治下でのできごとです。
日教組は、日の丸国旗に反対の姿勢をとり続けていますが、彼らにとっては、彼らにとっての黄金時代である日本の占領統治時代が、なによりも「素晴らしい時代」なのでしょう。

ちなみに、S学会も、色と柄は異なりますが、何故か「三色旗」という語にこだわりをみせています。
学会旗と呼ばずに、あえて三色旗と呼ぶところに、なにやら連合国統治領日本の時代の三色旗への思慕が垣間みれるような気がするのは私だけでしょうか。

サンフランシスコ講和条約によって、日本が戦争を終結させたのは、昭和27年のことですが、本来であれば、この時点で日本は占領統治を脱したのですから、占領統治のための最高法規である「THE CONSTITUTION OF JAPAN(邦名:日本国憲法)」をも、廃案とすべきものでした。

なぜなら、そもそもこの「THE CONSTITUTION OF JAPAN」は、あくまで占領統治のための基本法規(最高法規)として書かれ、公布されたものであるからです。

実際、戦争を起こしたのは、大日本帝国であったわけで、戦争が終わったとするならば、それは連合国と大日本帝国の戦争が終わったわけであって、連合国と連合国統治領日本が戦争をしていたわけではないからです。

つまり、本来の筋道から言えば、サンフランシスコ講和条約で戦争の終結が宣言された以上、その終結宣言の当事者は大日本帝国だったわけですから、日本はサンフランシスコ講和条約の公布とともに、大日本帝国に戻っていなければおかしいのです。

別な言い方をするならば、日本が「連合国統治領日本」でなくなったのなら、「連合国統治領日本」の規程である「THE CONSTITUTION OF JAPAN」も、その効力を失う。
すなわち、「THE CONSTITUTION OF JAPAN」の日本語訳である「日本国憲法」は、その効力を失ったわけです。

そうでなければ、話がややこしくなります。

なぜかというと、戦争をした一方の当事者が大日本帝国という法人であり、戦争を終わらせ、講和条約を結んだのが連合国統治領日本であったとすると、連合国が連合国と講和したことになるからです。
なぜなら、連合国統治領日本の主権者は、連合国にある。
大東亜戦争は、連合国が連合国と戦った戦争ではありません。

ですから簡単にいえば、日本は、戦闘行為を停止した後、連合国の占領統治を受けることになった。
6年8ヶ月後、ようやく講和が実り、日本は占領統治を脱した。
脱した以上、日本は、大日本帝国に戻っていなければおかしかったのに、それをせず、ずっと曖昧なままにしてきた、ということです。

要するに、占領統治憲法である日本国憲法が、いまなお日本で用いられているというのは、終戦さえも曖昧なままにしてきている結果に他ならないということです。

この曖昧さが、年月を経るに従い、いま、きわめて深刻な事態を日本国内にひき起しています。

どういうことかというと、占領憲法を取消ていない日本では、日本を占領状態に置いておくことが正しいとされる国柄になってしまったのです。

すなわち、まじめで頭がよくて成績の良い子供ほど、占領憲法の理念を正義としてしまう。
諸外国を公正と一方的に定義し、日本は「遅れている」「日本は悪い国だ」と決めつけることを思考の原点に置くようになる。

その結果、なんでもかんでも、米中韓など言うことは「正しい」となる。
諸外国の中には、日本に感謝してくれている国も多数あるのだけれど、これが理解できない。
基盤としている起点が違っているからです。
ですから、日本は良い国だ。日本は過去、素晴らしいことをしてくれたと海外の要人が言っても、日本こく憲法という占領統治憲法を信奉する人々には、なんのことだかさっぱりわからない。
褒められたら、普通誰だって悪い気はしないものなのだけれど、褒められると「ありえない」と否定が先にきてしまう。

さらに戦後、(ここは特に言いたいのだけれど)、国史を「日本史」と呼び代える習慣が始まりました。
教科書は、判子で押したみたいに、どれもこれも表題が「日本の歴史」です。
イタリアの歴史、マカオの歴史、アメリカの歴史と、同じ延長線上で、日本の歴史・・・日本は日本人にとって外国じゃないんです。

ですから、正しくは「日本の歴史」ではなく、「国史」です。
国史であれば、そもそも日本国の建国の理念は何かからはじまらなきゃ、筋が通らない。
けれど、戦後教育は、この原点を忘れています。

占領法規を、憲法という国の中心規程に据え置くことによって、日本は、
(1) 重要なことは何も意思決定できない国になった
 (占領統治下であれば、占領軍が意思決定をし、政府はそれをただひたすら履行するだけです)
(2) 過去の日本を「他国」もしくは「侵略国」と定義する国になった。
(3) 日本の歴史、伝統、文化を否定することが、正義とされる国になった。

たとえば、建設談合は、我が国の建築にはなくてはならないものです。
談合というのは、常に適正価格で工事が行われ、確実に支払い保障される工事が、建設業者間で、きちんと順番にまわってくる、という日本古来の制度です。
値段は、高くても安くてもいけない。
だから確実に利益があがる。
その確実な利益が、きちんと順番にまわってくる。

それでも談合に参加している建設業者間で、競争は起こります。
すくなくとも、談合の順番から外されるようなことがあってはならない。
そんなことになったら、おまんまの食い上げです。

では、それぞれの建設業者は何をもって競争するかといえば、工事の出来の素晴らしさ、完成度の高さ、です。
ですから、日本の建設業者の造る高層建築物などは、バラバラにはめ込まれたガラスが、まるで一枚の大きなガラスであるかのように、きれいに景色が写ります。

ところが、戦後のエリートさんたちによって、談合は廃止されました。
今後は、欧米流に価格競争で行きましょうとなった。

するとどうなるか。
値段を下げなければ工事を請け負えない。
だから、建設業者は下請けの料金をたたき出した。
みんなが揃って、儲からないように儲からないように、建設業を持って行った。
おかしな話です。

談合が廃止になって、いったい誰がどういう得をしたのでしょう。
日本はよくなったのでしょうか。

要するに、戦後のエリートさんたちは、はじめからあらゆる面において、はじめからボタンの掛け違いをしているのです。
そもそも日本であり、戦争終結の時点で、モトの大日本帝国に戻ればよかったものを、いつまでも占領利権にしがみつくおバカたちに煽動されて、これを曖昧にした結果、戦後という時代は、最初のひとつめのボタンに、日本国占領憲法というおかしなものがはさまることで、ずっとボタンがひとつ、ずれたままになっているのです。

日本国占領憲法というのは、連合国統治領日本において、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が日本を支配するための憲法にほかなりません。

ですから、ひとことで申し上げれば、日本の占領が解けた時点で、この憲法は失効しています。

失効してもなにも困りません。
執行を停止していた大日本帝国憲法が解禁されるだけのことです。

「憲法改正論」「自主憲法制定論」等々、いろいろな議論はありますが、みんな誤解しているのは、憲法改正は、日本国占領憲法の所定の手続きに従わなければならないと思い込んでいる。
これは間違いです。

日本国占領憲法は、日本がサンフランシスコ講和条約で戦争を終結させ、日本が占領統治下から脱出した時点で、効力を失っているのです。
なぜなら、それはあくまで「連合国統治領日本」に与えられた占領統治のための憲法だからです。

ですから、憲法改正は、大日本帝国憲法の改正手続きに従うのが筋です。
それが結果として、自主憲法の制定になる。

自主憲法の制定というのは、日本国占領憲法を廃止して、新たな憲法を制定するのではないのです。
日本国占領憲法は、占領下から日本が抜け出た以上、その時点で効力を失っているのです。

戦後の日本は、簡単に図式化すると、二つの日本になっています。
古くからの伝統文化を尊重する庶民の国、日本と、占領統治時代を「良き時代」と仮定して、それ以外の一切を否定するエリート層の日本です。

はっきりもうしあげて、売国を正義とする、あるいは日本が占領統治下でいることがシアワセと思うような馬鹿者は、日本のエリートとしては、ふさわしくありません。
ふさわしくない以上、大学、小中高校、専門学校、公務員、政治家等々から、公職追放すべきです。

おそらく、これを行なう者は、米中韓、日本のメディアや評論家、そして日本のエリートさんたちから袋だたきにあうことでしょう。
けれど、誰かがこれをしなければ、日本は変わらない。

そしてそれを応援する世論がなければ、その実現はできません。

ならば、私達で、その応援体制を築きあげようではありませんか。