印象操作と思われてもしかたない!兵庫県知事が、「大河ドラマの画面が汚い」とNHKにお怒りです。 | mappyの憂国

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【大河ドラマ】印象操作と思われてもしかたない
 
 まずニュース記事を紹介。
 兵庫県知事が、「大河ドラマの画面が汚い」とNHKにお怒りです。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120110-00000087-mai-soci
 これに対しては、「怒りすぎ」「過剰反応」「別に兵庫のイメージを直接貶めるわけじゃないんだから…」という反駁もございましょう。
 ですが、私は知事の主張に全面的に賛同します。美しく描かれないものに対して、誰もいい印象は持たない。

 ※何分長文ですので、太字部分だけ追って読んでいただけると幾分楽かと存知ます。


 リアリズム、写実主義ということばがございます。おおざっまに申しますと、文芸や絵画において、美化を避け、現実をありのままに描こう、それこそが芸術である、とする理念を指します。NHKはこれを目指していると言いたいのでしょう。
 ですが、リアリズムが何故芸術となるかって、それは「表現する人と鑑賞する人が生きている時代の現実をまざまざと映すから」です。“あぁそうだよね、現実ってこうだよね…!!”これが写実主義の感動の本質です。
 果たして、時代劇にリアリズムは必要でございましょうか。どれだけリアリティを追求したところで、平成の今、誰一人として「うんうん、平安時代の街中って大体そんな感じ」と共感し感動することはできないのです。
 平安の華やかな宮中文化から離れたところには、小汚い世界が広がっていた…それは事実でございましょう。ですが、あえてそれを鮮明に、必要以上に鮮明に描き出す価値はあるのでしょうか。リアリティ云々の前に、「平安時代」のイメージが少々小汚くなるだけではございませんか。映像を通して、我が国の歴史に煤を塗られたような思いです。


 (そもそも、清盛=貰われっ子、という「主流となっている説とは別の、諸説あるうちのひとつ」でしかない曖昧な説を採用している時点で、NHKがリアリティよりもドラマ性を追求しているのは明白かと存じますが)


 ここで少々考えてみてください。 
 なぜ、ラブシーンは美しい夕日の中で描かれるのでしょう。それは、「美しい風景」が鑑賞者に「これは素敵だ」を印象付け、物語そのものへの感動を強めるからです。美しい画面は、その美しさの理由が認識されずとも、鑑賞者に「きれいだな」「美しいな」「これはいいものだ」という無意識の印象を与えます。
 なぜ、テレビのCMは、テレビとは直接関係ない、ぎょっとするほど美しい花やクジャクや蝶の画像を使うのでしょう。なぜ高級車のCMには美男美女が欠かせないのでしょう。そもそも、なぜ美しいBGMが必須なのでしょう。もうお分かりですね。「美的印象」「これはよいものだ、というイメージ」を商品に擦りこむためです。
 思い返してみてください。
 韓国ドラマの、現実離れして見えるほどに色鮮やかな画面を。チャンネル切り替えの途中で瞬時に「また韓国か」と気づくのが容易なほど、あでやかな色彩を塗りたくったあの画面を。日本のドラマとは段違いに色遣いの極端なあの画面を。歴史考証などはなから無視された、衣装も室内装飾も派手やかな時代劇を。
 韓国ドラマの画面作りの基本は、美化です。それは、鑑賞者に「よい印象」を与えなくてはならないからです。韓国を美しい国として描き、韓国に興味を持ち、好いてもらわねばなりません。ある意味、それはドラマを使って韓国の印象を向上させる広告だともいえましょう。
 NHKが大河の中でしたことは、その逆なのです。
 埃っぽく泥じみた景色。これでもかというほど汚い格好の庶民。武家の子ですら薄汚れた服を着て、汚れた頬をしている。そして、あえて貴族文化の描写は避ける。全体的に、画面は薄汚い。
美しくない風景。美しくない兵庫。美しくない歴史。美しくない武士。美しくない日本。
 薄汚れた画面のせいでもしも兵庫や日本、歴史や侍への印象までも汚されてしまったら、NHKはリアリズムの名を借りて、あえて見目麗しくないところばかりを選んだ、と責められても仕方ないのです。


 ビジュアル面の印象についてのみ申し上げましたが、これは、随所で話題に上げられている「『王家』表現」にも同じことが言えます。
 王家。
 仮にそのことばが当時の歴史書で用いられていようと、ドラマの中でそれを連呼する正当性はないでしょう。
 当時、武家が、庶民が、やんごとなき身分の方々を「王家」などとざっくばらんな物言いで呼ぶことがあったでしょうか?実際の会話の中では、敬して話題に出すのを避け、口にせねばならぬときは敬意を込めた表現(雲上人、お上、…庶民ならば「宮中」「九重」でしょうか)を用いた、と考えるのが自然ではないでしょうか。
 歴史書の類では敬意を込めない表現も容認されましょうが、当時の人間が宮家を畏れ敬っていなかったはずなどないのです。(ここでも、NHKの「リアリティ」なぞ疑わしいものです)
 王家。この敬意も何もない単語は、聞き手に、「王家と呼ばれるところの人達は、大して重要な存在ではない」という印象を与えます。「法皇に代表される宮家は基本敵役」「清盛という存在がのしあがり、武家が公家を上回る」という、物語全体の内容とあいまって、「王家」という単語は公家(宮家)の印象を卑しめるのです。

 物語が進み、あらゆる薄汚いシーンを繰り返し見せられつつ、平清盛に感情移入しながら見ている視聴者が最終的に得る印象は、…どのようなものでしょうね。少なくとも、小汚い映像の続く大河ドラマからちょっとだけチャンネルを回せば、花咲くように華麗な色使いをした韓国ドラマが目に飛び込んでくることでしょう。
 意図的とまでは申しませんが、喜ばしいものではありません。

 あくまでこれは個人的な考察であり、むしろ感想のようなものでしょう。
しかし、理論的なものだけが真実ではありません。感情、心情の面からのみ見えてくる見解として述べさせていただきたく存じます。



 韓国ドラマの画面作りの基本は、美化です。それは、鑑賞者に「よい印象」を与えなくてはならないからです

韓国の真似をしたらお終いですよ。
小汚い、結構じゃ無いですか。
それこそが生の迫力、ダイナミズムとゆーやつでしょ。