学びの本質かも | 日々、嬉努愛絡 多幸なり

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アゴラプラットフォームは毎日見ています。

 

ちなみに、アゴラとは「人の集まる所」を意味し、古代ギリシアでは市場や集会所などがある公共広場を指す。 アテネ市民にとって信仰の中心がアクロポリスであるのに対し、その麓にあるアゴラは生活の中心であり、政治や経済、文化の拠点として機能。

 

要するに多様性のある人々が、自分勝手にいろいろなことを言っている場ってこと。

言っていることが、正しいとかではなく、自分の意見を発言する場ですね。

 

 

冒頭の記事もこのプラットフォームに載っていたもの。

 

読んでいて、これって学びの本質じゃないかと思いました。

 

 

誰かに教えてもらうのはきっかけであり、そのあとは、こうしたい・・・そのためには、こうしたらどうなるって自分で考えていく。

 

理系で言えば、実験がこの繰り返しである。

 

『失敗や挫折をしたことがない人とは、何も新しいことに挑戦したことが無いということだ』

(Anyone who has never made a mistake has never tried anything new.)

by アインシュタイン

 

 

 

課題は、大きな失敗をしないこと。

 

言葉を代えれば、小さな失敗はどんどんすべき。

 

最近は、大きな失敗も小さな失敗も許さない上司が増えたのかもしれない。

 

簡単に言えば、失敗の価値評価ができない。

 

小さな失敗は、人を成長させる価値があるが、大きな失敗は、人生を狂わせる。

 

 

 

大きな失敗にならないようにするのが、リスクマネジメント。

 

コンプライアンスも同じ。

 

会社の存続を危ぶまれる法令違反は絶対にしてはいけないが、企業文化(習慣)がそれを起こしてしまう可能性がある。

危ない企業文化とは、内向き志向である。

その中心には、裸の王様が必ずいる。裸の王様が言っていることがいつの間にか、法律違反の社内規則になってしまう。

(個人的には、オウム化って言っていますけど)

 

 

そうならないように、ガバナンスとか表現されているけど、自民党を筆頭にガバナンスはない。