心はいかにして生まれるのか―脳科学と仏教の共鳴 | 日々、嬉努愛絡 多幸なり

心はいかにして生まれるのか―脳科学と仏教の共鳴

毎日曜日 NHK・Eテレで午前5時から放送されている番組。

『こころの時代』

 

昨日は、今年2月に放送されたもののアンコール放送

「心はいかにして生まれるのか―脳科学と仏教の共鳴」

http://www4.nhk.or.jp/kokoro/x/2017-10-29/31/27093/2008263/

 

今、流行っているマインドコントロールではなく、マインドフルネスのベースになる内容だった。

キーワードは、「ブレインウォッシング」

 

心とは、どこにあるのか?

そのヒントが、「五蘊と脳の構造は同じである。」と脳外科医の浅野孝雄先生は語る。

ブッタが悟った内容を、学問である最新の自然科学(医学)が、客観的に証明したと言い直してもよい。

 

 

 

泉谷閑示先生の図を破折して説明すると、心は脳の中にあるものの、脳の中は頭(理性)と心に分かれる。

そして、体とつながっているのは、頭ではなく心。

 

「体」と「身体」の違い、いえますか?

https://ameblo.jp/dailyaero-mc/entry-12323808890.html

と、鈴木 早代子さんが書かれています。
これは、私も同じ考えで、「体+心=身体」。体と身体は意味が違う。
遺体(心なし)≠身体(心あり)です。

 

 

 

人間は、他の動物にない理性を持っている動物。

この理性にゴミが溜まって、暴走したり、うつ病になったりする。

・・・認知症は、物理的に脳にゴミが溜まる病気だと思っている。それを取り除くひとつの方法が有酸素運動である。

 

 

身体の動きの癖も、ゴミだろう。

そのゴミを取り除こうと、フィットネスがありますが、ゴミを増やす人が多い。結果、怪我をする。

ボディポテンシャルは、禅に似ている。頭のウォッシングが禅なら、身体のウォッシングがボディポテンシャル。

https://ameblo.jp/ayaz-blog/entry-12323909606.html

 

 

この放送を観ながら、こんなことを考えていました。

 

 

 

 

いつものようにまとまりのない内容になってしまったアセアセ