希死念慮が分からないからこそ、思うこと | Tu・Na・Gu☘

Tu・Na・Gu☘

今、生きるのが辛いあなたへ

このブログがあなたの明日へ繋がりますように

『 希死念慮が分からないからこそ、思うこと 』

 

双極症と言っても人によって症状は千差万別。Ⅰ型、Ⅱ型(Ⅰ型は躁が大きい、Ⅱ型は軽躁、

Ⅰ型、Ⅱ型ともに鬱がある)もあるし、希死念慮がある人もいれば、ない人もいる。

 

私は希死念慮がない。一度、この状態が続くなら、それは耐え難い💦と言う状態にはなった

けれど。

 

だから、希死念慮があり、日々、その波と闘っている人に、私は貴方の気持ちが分かる…とは

言えない。私は言葉を駆使するのが好きだけれど、そう言う場合は言葉は無意味だ。

 

昔は、助けて!って言われると背筋が凍った。それは、ベクトルが自分に向いていたから。私

に出来るのか?出来ない💦って。

 

今は思う、相手の置かれている状況を感じてみる。それしか出来ないし、それで良いのだと。

本当の意味での気持ちは分からない、言葉は出て来ない。そんな中で出来るのは相手の言うこ

とに、ただただ、そうなんだね…と言うだけ。決して否定しないこと。

 

『 もう、何もしなくて良い、頑張らなくて良い。周りの助け貰わない? 』

 

そして、こちらが出来ることを淡々とする。寿命なのか、可能性があるのか?それも分からない。

ただ、今ある可能性にかけてみる。

 

全て分からないまま動いて行く。不確か過ぎるけれど、自死に限らず、人生ってそう言うものだ

よね。

 

そんなことを思った、休日の朝でした。

 

今日は美味しいものを沢山、買い込むぞー。皆さん、素敵な一日を~😊😊😊💕