『 希死念慮が分からないからこそ、思うこと 』
双極症と言っても人によって症状は千差万別。Ⅰ型、Ⅱ型(Ⅰ型は躁が大きい、Ⅱ型は軽躁、
Ⅰ型、Ⅱ型ともに鬱がある)もあるし、希死念慮がある人もいれば、ない人もいる。
私は希死念慮がない。一度、この状態が続くなら、それは耐え難い
と言う状態にはなった
けれど。
だから、希死念慮があり、日々、その波と闘っている人に、私は貴方の気持ちが分かる…とは
言えない。私は言葉を駆使するのが好きだけれど、そう言う場合は言葉は無意味だ。
昔は、助けて!って言われると背筋が凍った。それは、ベクトルが自分に向いていたから。私
に出来るのか?出来ない
って。
今は思う、相手の置かれている状況を感じてみる。それしか出来ないし、それで良いのだと。
本当の意味での気持ちは分からない、言葉は出て来ない。そんな中で出来るのは相手の言うこ
とに、ただただ、そうなんだね…と言うだけ。決して否定しないこと。
『 もう、何もしなくて良い、頑張らなくて良い。周りの助け貰わない? 』
そして、こちらが出来ることを淡々とする。寿命なのか、可能性があるのか?それも分からない。
ただ、今ある可能性にかけてみる。
全て分からないまま動いて行く。不確か過ぎるけれど、自死に限らず、人生ってそう言うものだ
よね。
そんなことを思った、休日の朝でした。
今日は美味しいものを沢山、買い込むぞー。皆さん、素敵な一日を~![]()
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