実家は共依存ばりばり☆
過去は過去なのだけれど、そこで身についた生き方から脱する必要はある (; ・`д・´)
で、閃いた…自分らしい右脳で理解できる例えを作ろう!
( 私は文章だけでは腑に落ちない、イメージが伴わないと分からないのだよね )
生きるって、自分の車を運転して目的地に辿り着くようなもの (´▽`*)
でね、共依存って自分の車を降りて他人の車に乗り、運転席争いをするようなものなのだよね… ( `ー´)ノハンドルよこせ!
もしくは運転しろっ!て、ごねてみたり…
( `ー´)ノ責任放棄!
子供の時は、両親が運転している子供に同乗しているから、揉めたりすると必死で仲を取り持ったりする。それは、もちろん親のためもあるけれど、自分が危険にさらされるからなのだよね ((+_+))
だから大人になって自分の車を持ったなら、自分の車の運転に集中しないとダメ
(;一_一)
でも、そうすると自分に迷惑がかかる…
これは、切ないけれど、迷惑がかからない程度まで離れるなど、自分なりの対策を身に着けるしかないよね
←相手をコントロールするのではなく、ここに力を注ぐ☆
よく相手を変えようとしないで、自分を変えろと言うけれど、自分の好悪を変える必要はなくて、自分と相手は別の人間( 違う車種に乗っていて行先も違う🚙 )であると割り切るのが一番だと思う (´・ω・`)
車に乗っているって考えると、他人との境界線もはっきりするね (*´▽`*)
仲の良い人達とは、同乗してドライブに出かけたり、疲れている時は後ろの座席で休ませて
貰えば良い( ^^) _U~~
今日は当時者会、ドライブして来ますw