生きている実感を求めて喜怒哀楽‥どれも生きている実感を得られるもの(๑・ิ◡・ิ๑)でも、人は喜怒哀楽が鈍麻すると、痛み、辛さ、苦しみでさへも、生きる実感の手段として使おうとする‥今の辛さを手放せないのは、無意識に過去の辛さに慣れようとしているのかもしれないし、新しい辛さが来るぐらいなら、今の苦しみを持続させた方がましだ思っているのかもしれない‥人にとって、生きている実感って、それぐらい大事なんだ‥