だんなちゃんの家系って・・・! | Keluarga Aku ~ だんなちゃんとちびとルナ

Keluarga Aku ~ だんなちゃんとちびとルナ

インドネシア・北スマトラ州出身のバタック人のだんなちゃんと結婚。
結婚生活19年目に入りました!
高校生になった娘ちびと2匹の柴犬のルナ、ルイ
2019年に胡麻柴ルルも加わって
総勢3人+3匹とのバタバタ生活です笑


Keluarga Aku ~ だんなちゃんとちびとルナ-新しい時計


先日 時計目覚まし時計 を買い換えました。



以前の物は

ちびの出産祝いに 友人からいただいた物で

ず~っと使っていたんですが、

メッキがところどころ禿げてきて

色も褪せてきて・・・


まだ動いてはいたのですが、

ご引退いただきました。



で、新しく仲間に加わったのは・・・



Keluarga Aku ~ だんなちゃんとちびとルナ-ハンキングロック


  ブーケ2 un tiroir(アン ティルワール) http://www.miyabisouken.com さんの                                 

                    ハンキングロック ブーケ2




アンティーク物はこれまで買ったことなかったんですが・・・

と~ってもおしゃれな時計に 「かわいい~ラブラブ と

即購入決定しましたラブラブ!



黒いアイアンが 家のどこにもないので

うちのインテリアに合ってくれるのか

多少心配しましたが・・・



 なかなか・・・  いいんでない(*^▽^*)



アンティークのお好きな方は

ぜひぜひチェックされてくださいね。


他にも とってもかわいい ユニークな商品が

た~くさん 掲載されておりますよ流れ星




今日は だんなちゃんのご両親。

バタック語で Amang Boru (アマン・ボルーお義父さん) と

Bou (ボウーお義母さん) を 紹介しますね。



Keluarga Aku ~ だんなちゃんとちびとルナ-amang boru & bou


若き日の だんなちゃんと 両親・弟です。

自宅にて。



1995年と見えるので、え~と、16年前ですか。

だんなちゃん 25歳の時です。


わっか~いo(〃^▽^〃)o


25だったら、はれと既に出会ってますねえ…!

この1年前に 九州で出会っておりますラブラブ



お義父さんは 若いころ

独立戦争にも従軍していて 

その時に 日本の軍人さんと仲良くしたそうです。


結婚のため ご挨拶に伺ったとき

カタカナを 書いて見せて

笑ってくれました。


お義父さんは Imam (イマム)でした。

イスラム教の 牧師さんのような存在です。


とても敬虔なモスリムでしたが、

決してその信仰心を他人に押し付けることはなく

本当に 穏やかで優しく 誰からも愛される人でした。




お義母さんは インドネシア共通語の

インドネシア語が話せません。

民族の バタック語しか話せません。


はれ インドネシア語は話せますが、

残念ながら バタック語は話せません。


だから 帰国したら コミュニケーションには

だんなちゃんや おねえちゃんズに 通訳してもらわないと

会話ができません。


お義母さんは 知性派のお父さんとは反対に

行動派で 毎日畑に出て お仕事をしています。


お義母さんの手足は 真っ黒で

とても大きく がっしりしています。


はれ そんなお義母さんの手足が 大好きです。

働き者のお義母さん。 

愛おしくって・・・ニコニコ


言葉が通じない分 「大好きラブラブ」って気持ちを伝えたくって

帰国すると はれ 決まってお義母さんの横にいます。



 言葉が通じないなら、ボディーランゲージだ!グッド! 



とにかく マッサージしたり 手を握ったりして

「お義母さん 大好きラブラブ!」って気持ちを

分ってもらえるように しています。




Keluarga Aku ~ だんなちゃんとちびとルナ-oppun & nene ちび


ちびは1歳3か月の時 初めてインドネシアに帰りました。 

やっとの思いで撮れた たった1枚しかないスリーショットです。



このとき お義父さんはかなり体が弱っていました。

帰国前にもそんな話がよくあったので、

「だんなちゃん1人でも 帰国してあげたら?」と

何度も話していたくらいです。


でも だんなちゃんは 家族そろって帰国することにこだわり

ちびが1歳を過ぎるのを待って

飛んで帰りました。


それまで よく寝込んでいたらしいお義父さん。

でも やっと会えるちびとの対面を 

本当に本当に 喜んでくれましたニコニコ



というのも ちびは特別な存在こども女の子


バタック民族は 父系社会。

だんなちゃんは 家系を背負う長男。



Keluarga Aku ~ だんなちゃんとちびとルナ-山のようにいる従姉達


おねえちゃんズの孫や 義弟のところの孫など

孫は既に山のようにいたけれども

お義父さん・お義母さんたちは

家長の孫がいないと 呼ばれる名前がないのです。


つまりは ちびが産まれて初めて


 「Oppun ちび (オップン おじいちゃん)」

 「Nene ちび (ネネ おばあちゃん)」


呼称が 出来たわけです。



・・・でも 帰国したとき 

ちびは まさに ”いやいや” がちょうど

始まった頃…あせる



待ちに待った 愛しの孫が 

はるばる帰ってきたのに

オップンが 抱っこしようとすると…


「いや~! いや~! 嫌や~!!」


つらい体を推して

お菓子を買ってきてあげても


「いや~! いや~! 嫌や~!!」



少しも触らせてもらえず

遊ばせてももらえず

遠巻きに 遠慮して ちびのご機嫌を伺う 

オップンとネネ・・・。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。


側で見ているはれも 悲しくって…しょぼん

でも 言い聞かせて分る 年でもないし…汗



「せっかく会えたのに 嫌やって言われてばっかりで

 悲しくって悲しくって 仕方がない… 」


お義父さんに涙を流させてしまいました…



そんなお義父さん。

実家から めちゃくちゃ遠い国際空港のあるメダンまで

車で デコボコ山道 10時間以上の道のりを

つらい体を推して 見送りに来てくれました。


 (いや、真相はちーっとばかし違うんですが…

  話がめちゃくちゃ 長くなるので…)



そして、別れ際


「今度は私が日本に行くからね。 楽しみに待っててくれよ」


そう言って 元気いっぱいの笑顔で別れました。




お義父さんは それから5カ月くらい後の年末 亡くなりました。


はれたちが日本に戻ってから

とっても元気よく ベッドから起き出して

市場へもよく出かけていたそうです。


その日も 機嫌良く 散歩に出かけたらしいのですが。

突然で 誰もそんなこと想像していませんでした。




日本から実家まで 移動時間 ゆうに丸3日かかっていたあの頃。

夕方 知らせを受けて 翌日飛行機を手配して

次の日の朝1番の飛行機で帰国したけれど…



だんなちゃんは お義父さんを見ることは叶いませんでした。



まさに 赤道直下の国。

既に土葬された後でした。




 ごめんね・・・ だんなちゃん。

 お義父さんのお顔を見ることもできなかった…しょぼん




ただ1つだけ 心が軽くなったこと…

亡くなる前に ちびに会ってもらえたこと。


小さいちびも 2度目の実家が分るのか

全く動じず 落ち着いて過ごしていたし。



インドネシアから帰って来て

はれ ちびに忘れて欲しくなくて

オップンとネネのこと ちゃんと知ってほしくて。

ふたりがとってもちびのこと 愛してるって

会いたいって思ってるって 覚えてもらいたくて。


あのスリーショットの写真 ずーっと寝室に飾っています。

今も ちゃんと。


 

去年 帰国したとき 

多少分別も分る歳になったちびは

ネネの抱擁にも おとなしくしていて

こども女の子 「会いたかったよ。おばあちゃん」

社交辞令でも 言ってくれてました。



これからも ずーっと 見守っていてくださいね。

Amang Boru...


 


ヒミツ 本当は 「写真使っちゃダメ!」ってだんなちゃんに 言われてます。 内緒にしてください ヒミツ





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