今回、紹介するお寺は大阪府岸和田市にある「天性寺(てんしょうじ)」です。昔、岸和田の町を2度も救った「蛸地蔵」を祀るお寺です。
「護持山 天性寺」。創建は1570年。開基は不明。宗派は「浄土宗」。本尊は「阿弥陀如来像」、「地蔵菩薩像(蛸地蔵)」。
詠歌 「ありがたや 蛸の地蔵に 手をひかれ 弘誓(ぐぜい)の船に 乗るぞうれしき」
「天性寺」の創建などの詳細は、天保年間(1830~1844年)の火災で記録がほとんど焼失してしまい詳しく分かっていませんが、1570年に創建されたと言われています。
本尊の「地蔵菩薩像」は元々、「天性寺」に祀られていた仏像ではなく、唯一残されている「聖地蔵尊縁起絵巻」で歴史を知ることが出来るようです。
建武年間(南朝1334~1336年、北朝1334~1338年)、岸和田城に大津波が襲いかかりました。
しかし、ほとんど被害なく不思議に思った人々は海岸へ様子を見に行くと、たくさんの蛸に囲まれた1躰の「地蔵菩薩像」が見つかりました。
人々はこの「地蔵菩薩像」が岸和田の守り本尊だと確信し、岸和田城内に祀ることにしました。
世の中が戦乱の時代になると、この「地蔵菩薩像」に危害が加わってはいけないと思い、城の堀の中に隠されてしまいました。
天正年間(1573~1592年)、「豊臣秀吉」と対立していた根来衆、雑賀衆、粉河衆の連合軍が総勢3万の軍勢を率いて岸和田城を攻め入り、城兵8000人で対抗しますが、多勢に無勢で岸和田城は落城寸前に陥ってしまいます。(岸和田合戦)
そこに1人の法師と無数の蛸が出現し、敵の軍勢を殺害することなく退却させ、岸和田城は事なきを得ました。
岸和田城主は礼を言うために法師を探しましたが、結局探し出すことは出来ませんでした。
ある夜、岸和田城主の夢枕に法師が立ち、自分が城の堀に隠された「地蔵菩薩像」の化身であることを告げました。
岸和田城主は古くからの言い伝えを頼りに、「地蔵菩薩像」を探し出し再び城内に祀ったと伝えています。
その後、一般の人々にもご利益が受けれるように、「天性寺」へ「地蔵菩薩像」を移して祀ったそうです。
こういう経緯で本尊の「地蔵菩薩像」は、「蛸地蔵」と呼ばれるようになりました。
「天性寺」の交通アクセスですが、電車だと南海電鉄の蛸地蔵駅から徒歩約5分程度で、車では駐車場がなさそうなので周辺のパーキングを利用するしかなさそうです。
「天性寺」は小さなお寺で、狭い境内に本堂の「地蔵堂」を中心に、僅かな堂宇があるぐらいです。
「山門」を抜けると、目の前に本堂の「地蔵堂」があります。
「地蔵堂」としての大きさは、日本一だそうです。
「地蔵堂」には本尊として「蛸地蔵」と呼ばれる、秘仏の「地蔵菩薩像」が祀られています。
毎年、地蔵盆の8月23日と24日の2日間のみ開扉されるようです。
「阿弥陀如来像」も本尊とされているようですが、「天性寺」は「浄土宗」のお寺なので、元々本尊として祀られていた仏像でしょうかね。
その他の堂宇や史跡を紹介しておきます。
最後に「蛸地蔵」は無病息災、諸病平癒にご利益があるそうで、特に脱腸に霊験あらたかだそうです。
蛸が描かれている絵馬に願をかけたなら、その後は一切蛸を食べてはいけないそうですよ。
















