今回、紹介する西国三十三ヶ所観音霊場は、兵庫県三田市にある西国三十三ヶ所観音霊場の中興の祖と仰がれる、「花山法皇」が眠る「花山院菩提寺」です。「花山法皇」に深く関係するお寺なので、西国三十三ヶ所観音霊場の正式な番外札所に指定されています。
西国三十三ヶ所観音霊場、番外札所「東光山 花山院菩提寺」。創建は651年。開基は「法道仙人」。宗派は「真言宗花山院派」。本尊は「薬師瑠璃光如来像(やくしるりこうにょらいぞう)」。
詠歌 「有馬富士 ふもとの霧は 海に似て 波かときけば 小野の松風」
「花山院菩提寺」は651年、インドの天竺から紫雲に乗って渡来したと言われる「法道仙人」によって開かれたと伝えられ、創建当初は「紫雲山 観音寺」と呼ばれていました。
藤原氏の権力争いに巻き込まれて、若くして「元慶寺」で出家した「花山法皇」は、「徳道上人」が「中山寺」に埋めた三十三の宝印を掘り出し、西国三十三ヶ所観音霊場を巡礼し復興させました。
992年頃、「播州清水寺」に巡礼した際に、「花山法皇」は東方の山上が光り輝くのを見て「紫雲山 観音寺」へ訪れ、「花山法皇」はこの寺で隠棲生活を過ごすと決め、「花山法皇」が41歳で崩御されるまでの約14年間、仏道修行に励んだと言われています。
「花山法皇」の経緯にちなんで「紫雲山 観音寺」は、山号を「東光山」とし「花山法皇」が眠るお寺なので「花山院菩提寺」と呼ぶようになったそうです。
この地域を支配していた多田源氏の帰依により栄えた時期がありましたが、現在は規模の小さなお寺となっています。
「花山院菩提寺」の交通アクセスですが、電車だとJR福知山線三田駅からバスを利用して標高約400mの阿弥陀ケ峰の山頂まで、「琴弾坂」と言う急勾配な参道を約30分ぐらいかけて登って行かなくてはいけません。
車だと「山門」の側に有料の駐車場があります。
県道49号線から「琴弾坂」へ向かう場所に、立看板と石碑が建っています。
「山門」には「仁王像」が安置されています。
「山門」を抜けると少しの石段があり、石段を上がりきると前方に本堂の「花山法皇殿」があります。
「花山法皇殿」には「花山法皇像」、「十一面観世音菩薩像」、「弘法大師空海像」が祀られています。
「花山法皇殿」の右手には「薬師堂」があります。
「薬師堂」には「花山院菩提寺」の本尊である、「薬師瑠璃光如来像」を祀っています。
「花山法皇御廟所」は「花山法皇殿」前方の石垣の上にあります。
「花山法皇殿」から左手に行くと「修行大師像」、「鎮守社」、「三宝大荒神社」、「本坊」、「鐘楼」、「不動堂」などがある「寺務所」の入口があります。
その他の史蹟や名所を簡単に紹介します。
「幸せの七地蔵尊」は左から「祖父地蔵尊」、「祖母地蔵尊」、「父地蔵尊」、「母地蔵尊」、「子供地蔵尊」、「結び地蔵尊」、「賢者地蔵尊」となっています。
それぞれの地蔵尊は右手で救いの手を差し出ていて、両手でしっかり握ってそれぞれの地蔵尊のご利益を願うようです。
最後に「花山院菩提寺」の急勾配な参道である「琴弾坂」を登らずに、県道49号線を約200m南方向へ進むと「十二妃の墓」があります。
「花山院菩提寺」がある場所は「尼寺」と言う村で、この寺で隠棲生活を過ごしている「花山法皇」を慕って追ってきた女官11人が、女人禁制のために「花山法皇」の元へ行けず、山の麓に庵を結び尼僧となって住みついたことから名付けられたそうです。
11人の女官たちは「花山法皇」に想いを伝えるべく、山の麓から琴を聞こえるように弾いたそうで、「琴弾坂」はこのことから名付けられたとも言われています。
「十二妃の墓」は中央に「花山法皇」が寵愛し、若くして亡くなり出家のきっかけとなった「藤原忯子(しし) 弘徽殿女御(こきでんのにょうご)とも言う」の五輪塔が建ち、その周りに女官11人の小さな五輪塔が建っています。
「十二妃の墓」の前に公会堂があって広い駐車スペースがあるんで、「花山院菩提寺」を訪れる際には是非、立ち寄って頂きたいですね。












































