「能福寺」から最後に訪れたお寺は、インドの天竺の伝説的な僧「法道仙人」が開いたと言われる「忉利天上寺(とうりてんじょうじ)」です。
新西国三十三ヶ所観音霊場、第22番札所「摩耶山 忉利天上寺」。創建は646年。開基は「法道仙人」。宗派は「高野山真言宗」。本尊は「十一面観世音菩薩像」、「仏母摩耶夫人(ぶつもまやぶにん)像」。
詠歌 「ちぬの海 わたるもも船 あけくれに あふぐや摩耶の 法(のり)の燈火(ともしび)」
「天上寺」は646年、「孝徳天皇」の勅願により、インドの天竺から紫雲に乗って日本へ渡来したと言われる伝説の人物、「法道仙人」によって開かれたと伝えられています。
「法道仙人」は「釈迦」が生母の「摩耶夫人(まやぶにん)」に対し、感謝を捧げるために刻んだ一寸八分(約5.5cm)の「十一面観世音菩薩像」を、インドより持ち込んで本尊として祀ったと言われています。
その後、「弘法大師空海」が唐へ留学した際に持ち帰った「仏母摩耶夫人像」を安置しました。
仏教の開祖である「釈迦」の生母「仏母摩耶夫人像」を祀る寺ということで、山号を「仏母摩耶山(ぶつもまやさん)」とし、寺名を「摩耶夫人」の昇天した「忉利天(とうりてん)」の名前にちなんで、「忉利天上寺」と称しました。
宗派を超えて皇族、貴族、武将など深く信仰を集めて「花山天皇」、「正親町(おおぎまち)天皇」の勅願寺となり大いに栄えたそうです。
鎌倉時代末期には「後醍醐天皇」率いる鎌倉幕府討幕軍の赤松氏が、「天上寺」を拠点(摩耶山城)として幕府軍と戦ったと言われています。(摩耶山合戦)
残念ながら現在の「天上寺」は1976年、賽銭泥棒の失火によってほとんどの堂宇が焼失してしまい、当初の場所から北へ1km上がった摩耶別山に再建された新しい寺観となっています。
「天上寺」の交通アクセスは、電車だとJR神戸線三宮駅などからバスで、「まやケーブル」まで行き、「まやケーブル」、「まやロープウェイ」を使って「星の駅」まで行き、「星の駅」から徒歩で10分程度の場所にあります。
車だとお寺に駐車場がないので、「西山門」前の有料パーキングを利用することになります。
「西山門」を抜けると「金堂」がある境内まで長い石段が続いていて、石段の左右には「漱水舎(手水舎)」、「天竺堂」、「軍艦摩耶の碑」などがあります。
「軍艦摩耶の碑」は太平洋戦争時のレイテ沖海戦で、アメリカの潜水艦の魚雷で沈没した軍艦「摩耶」の石碑です。
軍艦「摩耶」は川崎造船所(現在の川崎重工業)の神戸造船所で造られて、文字のごとく摩耶山にちなんで命名されたそうです。
石段を上がりきると、「金堂」がある境内に入る門があります。
門を抜けると境内に「金堂」、「摩耶夫人堂」、「金輪堂」、「本坊」、「書院」、「鐘楼」、「権現社」、「一願地蔵堂」、「密教学講殿所」などの堂宇があります。
「金堂」には胎内仏を納めた秘仏の「十一面観世音菩薩像」、脇侍として「不動明王像」、「毘沙門天像」を祀り、お前立ちとして「七観音像」、「愛染明王像」を安置しています。
「摩耶夫人堂」には「天上寺」のもう1つの本尊である、「仏母摩耶夫人像」が祀られています。
摩耶夫人堂。1989年再建。
「仏母摩耶夫人像」は子授け、安産、子育ての守護仏とされていて、「天上寺」は日本で最初に安産腹帯を授けた寺と言われています。
「金輪堂」から左手に「書院」、右手に「本坊」があって、それぞれ連結しているようです。
密教学講殿所。
その他の史蹟や名所なども簡単に紹介しておきます。
弘法大師活眼石。空海が石の脇で眼病平癒の加持を行ったと言われる。
ここから望む夜景は最高に綺麗かと。いっつも曇り空で嫌になってくる・・・。
真言宗のお寺なので、四国八十八ヶ所の本尊の石仏かもしれない。
最後に「天上寺」には多くの句碑など建っているのですが、有名どころを紹介しておきます。
西国三十三ヶ所観音霊場の中興の祖、「花山天皇」が詠んだ歌で、
「山の名を 佛の母と きくからは これぞまことの 慈悲のみなかみ」
花山天皇句碑。仏教の開祖、釈迦の生母、摩耶夫人を祀るお寺ですからね。
「与謝蕪村」が摩耶山に訪れて詠んだ超有名な句で、
「菜の花や 月は東に 日は西に」









































