今回、紹介するお寺は学問の神様「菅原道真」ゆかりのお寺である「道明寺」です。
「蓮土山(れんどざん) 道明寺(尼寺なので道明尼寺とも)」。創建は7世紀中頃。開基は「土師連八嶋(はじのむらじやしま)」。本尊は「十一面観世音菩薩像」。宗派は「真言宗御室派」。
「道明寺」は7世紀中頃に「聖徳太子」の発願により、「菅原道真」の先祖である豪族「土師連八嶋」が自宅を寄進し、「土師寺」という土師氏の氏寺を建立したことが始まりとされています。
創建当初、「土師寺」は広大な敷地に「五重塔」、「金堂」、「講堂」が一直線に並ぶ「四天王寺式伽藍配置」で、現在の「道明寺天満宮」の前方に建っていました。
平安時代に「菅原道真」の伯母「覚寿尼(かくじゅに)」が「土師寺」に入寺し、「菅原道真」は「土師寺」にしばしば訪れ、36歳の時に本尊の「十一面観世音菩薩像」を刻んだと伝えられています。
「菅原道真」が政治的陰謀によって大宰府へ左遷する際、「覚寿尼」に別れを告げるため「土師寺」への一夜の滞在を許されて、大宰府へ出発する際に詠んだ歌が残っています。
「鳴けばこそ 別れも憂けれ 鶏の音の なからん里の 暁もがな」
「夜が明けて鶏が鳴き出し、別れなくてはいけないことを悲しく思う。これが鶏が鳴かない朝の里であったら、どんなにいいだろう。」
「菅原道真」の死後、遺品などを祀る「天満宮」を「土師寺」の北側に建立し、寺号を「菅原道真」の号である「道明」にちなんで「道明寺」へと改めたそうです。
戦国時代になると戦乱の兵火でほとんどが焼失してしまい、江戸時代には度々の石川の洪水の被害に遭い、再建場所は「道明寺天満宮」が建っている高台に移転したようです。
明治時代には神仏分離で、「道明寺天満宮」と道を隔てた西側の現在地へ移転し復興したものが、「道明寺」の現在の寺観となっているようです。
「道明寺」への交通アクセスは電車では、近鉄南大阪線道明寺駅から徒歩で5分ぐらいの場所にあり、車では「山門」周辺に僅かな駐車場があります。
「山門」は「鐘楼」を移築して、「鐘楼門」として改築したものだそうです。
「道明寺」の境内はかつての広大さはなく「本堂」、「護摩堂」、「大師堂」、「庫裏」、「手水舎」などの堂宇が建っています。
「本堂」には「菅原道真」が36歳の時に訪れた際に刻んだ、国宝の「十一面観世音菩薩像」と、大宰府へ左遷する際に「覚寿尼」へ別れを告げる際に立ち寄り、一夜にして刻んだと言われる、重要文化財の「十一面観世音菩薩像(試み観音)」、同じく重要文化財の「聖徳太子16歳像」が祀られています。
本尊は毎月18日、25日に開扉され拝観することが出来ます。
「本堂」手前には「富岡鉄斎」筆の、寺名などを知らせる石碑が建っています。
その他の史蹟などを紹介しておきます。
最後に「道明寺天満宮」の前方に、創建当初の「五重塔礎石」が残っています。
いくつかの礎石が残っている。本来はここより少し西にあったそうです。




















