今回、紹介するお寺は大阪市平野区にある「大念仏寺」です。「融通念仏宗」の総本山で、日本最初の念佛道場と言われています。
「大源山 大念仏寺」。創建は1127年。開基は「良忍上人」。宗派は「融通念仏宗(総本山)」。本尊は「十一尊天得如来」。
「大念仏寺」は1127年、比叡山の僧「良忍上人」が「鳥羽上皇」の勅願により開かれました。
1117年、「良忍上人」は京都大原の「来迎院」で「融通念仏宗」を創始し、「聖徳太子」の信仰が篤かった「良忍上人」は「四天王寺」へ参籠した際に、「聖徳太子」からの夢告を受けて「鳥羽上皇」の勅願により、「坂上田村麻呂」の次男「坂上広野」の「平野殿」内にあった「修楽寺」を、「融通念仏宗」の根本道場とし堂宇を拡張し「大念仏寺」と改称したと言われています。
その後、度重なる兵火の火災により焼失し栄枯盛衰を繰り返したようで、江戸初期の元禄年間に「融通念仏宗」の総本山として体制が整ったそうです。
明治時代の1898年にも火災で諸堂が焼失し、それ以後に復興されたものが「大念仏寺」の現在の寺観となっているようです。
「大念仏寺」の交通アクセスは電車では、JR大和路線「平野駅」または地下鉄「平野駅」から徒歩5~8分程度かかります。
車では境内周辺にお寺の駐車場があります。
大阪市平野区という都会にありながら「大念仏寺」の境内はとても広く、「本堂」は大阪府下最大の木造建築物となっています。
「山門」は広大な境内とは裏腹に、やや小さめな門となっている感じです。
「山門」は江戸初期の元禄年間に建立されたものだそうです。
「山門」の扁額は「霊元天皇」の皇女、「法鏡寺宮徳厳尼」筆の勅額だそうです。
小林一茶の句碑。大念仏寺に立ち寄った際に詠んだ句だそうです。
「山門」以外に南方向に小さな「南門」もあります。
「南門」は元古河藩陣屋門だったものだそうです。
「山門」を抜けると右前方に、大阪府下最大の木造建築物である「本堂」があります。
「本堂」は1938年に再建されたものだそうです。
「本堂」に祀られている本尊は仏像ではなく、「十一尊天得如来」という「阿弥陀如来」と「十菩薩」の絵像となっています。
その他の堂宇などを紹介します。
「山門」を抜けて左手には「手水舎」、「毘沙門堂」、「梁松院」があり右手には「経蔵」、「地蔵堂」、「円通殿」があります。
「毘沙門堂」には「行基」作と伝えられている「毘沙門天像」を祀っています。
「経蔵」には開基である「良忍上人像」を祀っています。
「良忍上人」は美声と音楽才能に秀でていたそうで、日本の全ての音楽の原点である「声明(しょうみょう 仏教音楽)」に励んで、「天台声明」の中興の祖とされています。
「地蔵堂」は1844年に再建されたもので、「地蔵菩薩像」を祀っています。
「円通殿」は別名「観音堂」と言われ、1693年に建立されたものです。
「伝教大師最澄」作と伝えられている、「聖観世音菩薩像」を祀っています。
「経蔵」から右方向へ行くと「宝物館」、「楽邦殿(納骨堂)」、「経塚」、「鐘楼」、「八大龍王社」、「霊明殿」があります。
「霊明殿」には「鳥羽上皇」の霊牌と御真影を奉安しています。
「本堂」から左手に行くと「宗務所」、「斉堂」、「白雲閣」、「瑞祥閣」があります。
「本堂」の後方には「宝蔵」があります。
最後に「大念仏寺」の本尊「阿弥陀如来」は、「おおさか十三仏霊場」の第10番に指定されていて、過去にもいくつかブログで紹介していますが、ネパールから学校建設の援助を行ったお礼として「マニ車(経車)」が贈られています。
「マニ車(経車)」の中にはお経が収められていて、手で回したらお経を唱えたことと同じ功徳があると言われています。
大念仏寺の御朱印。





































