龍池山 弘川寺 | まっちゃんの人生おもしろおかしく生きていきたい

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今回、紹介するお寺は大阪府南河内郡河南町にある「弘川寺(ひろかわでら)」です。「西行法師」の終焉の地として有名なお寺です。


「龍池山 弘川寺」。創建は665年。開基は「役小角」。宗派は「真言宗醍醐派」。本尊は「薬師如来像」。


「弘川寺」は寺伝によると665年、「役小角」が開創されたと伝えられています。


676年、「天武天皇」の勅命により請雨祈願を行ったところ、その霊験があって雨が降り、「天武天皇」より寺号と山号を賜り勅願寺となります。


737年に「行基」が修行したと伝えられていて、812年には「嵯峨天皇」の命により「弘法大師空海」が中興し、1188年には当時の座主「空寂上人」が「後鳥羽天皇」の病気平癒の祈願を行い病気が平癒したことから、奥の院「善成寺」を建立され寺号の勅額を賜りました。


1189年に「空寂上人」を慕って「西行法師」が訪れて住み込み、翌年2月に亡くなり「弘川寺」は「西行法師」終焉の地となっています。


南北朝時代には「楠木正成」の戦場の地となり、戦国時代の1463年には河内国守護の畠山氏の家督相続をめぐり戦となり全焼して荒廃してしまいます。


江戸時代の1732年、「西行法師」を慕って諸国を巡っていた歌僧「似雲(じうん)法師」が「弘川寺」に辿り着き、「西行法師」の墓を見つけ出して「西行堂」を建立します。


「弘川寺」は「似雲法師」が「西行堂」を建立して以来、現代までにかけて再興されたものが現在の寺観となっているようです。


「弘川寺」の交通アクセスは電車だと、近鉄河内長野線富田林駅下車で金剛バスに乗って境内の近くまで行くことが出来ます。


車でも境内の側に、広いお寺の無料駐車場があります。


「弘川寺」には「山門」のような門はありません。



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境内へは少しの石段を上がる。



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弘川寺境内は大阪府の史蹟に指定されている。



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大阪みどりの百選にも指定されている。



少しの石段を上がると小さな境内に「本堂」、「御影堂」、「護摩堂」、「鎮守堂」、「地蔵堂」、「鐘楼堂」があります。


「本堂」は1957年、約500年ぶりに再建されたもので、本尊に「薬師如来像」を祀っています。


本尊の「薬師如来像」は畠山氏の家督相続の兵火の焼失より免れたようです。



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本堂。1957年に再建。



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別アングルから。



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本堂手前。内陣へ入って拝むことが出来ます。



「御影堂」は「弘川寺」を中興した、「弘法大師空海像」を祀っています。



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御影堂。



「御影堂」の左前方には、「弘法大師空海」ゆかりの「三鈷松」があります。



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三鈷松。



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この三鈷松の凄いのは、幹からも三鈷の松の葉が生えてきている。



「護摩堂」には「不動明王像」、「大黒天像」を祀っています。



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護摩堂。



「鎮守堂」は「弘川寺」の守護神である、「八所権現」を祀っています。



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鎮守堂。弘川寺で最も古い桃山時代の建築物。



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地蔵堂。



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鐘楼堂。



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梵鐘。



「本堂」より左方向へ石段を少し下ると「本坊」があります。



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本坊。



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庫裏門。御朱印は本坊で頂く。



「本坊」には庭園があって、有料で「本坊」内へ入って拝観することが出来ます。



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庭園。その1。



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庭園。その2。庭園の撮り方が難しい・・・。



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庭園内にある大阪府指定の天然記念物カイドウ。



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庭園内にある西行記念館。春と秋のみ開館されるようです。



「本堂」より裏山へ登って行くと「西行堂」があります。


「西行堂」は当時、「今西行」と言われていた歌僧「似雲法師」が建立したものです。


1732年、「西行法師」の足跡を辿っていた「似雲法師」は、荒廃していた「弘川寺」に辿り着き、「西行法師」の墓を見つけ出して、その後「西行堂」を建立したそうです。


このことで「弘川寺」が「西行法師」の終焉の地として、全国的に知られるようになったそうです。



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本堂の裏山を少し登って行く。



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西行堂。西行像を祀る。



「西行堂」から少し裏山を登ると「似雲墳」、「西行墳」があります。



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似雲墳。西行法師が眠る弘川寺で似雲法師も亡くなり、共に眠っている。



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中央に墓石が建っている。



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西行墳。



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西行上人之墓と刻まれた墓石。



今年の大河ドラマ「平清盛」で、藤木直人が演じている「西行法師」が登場していますが、「西行法師」は出家以前は御所の北側を警護する「北面武士」の「佐藤義清(のりきよ)」で、文武両道の秀でた美形の人物だったそうです。


出家理由はいろいろ諸説がありますが、大河ドラマ「平清盛」では「鳥羽天皇」の妃「藤原璋子(たまこ)」への禁断の恋の失恋が理由となっていましたね。


「西行法師」は出家してからは諸国を行脚して庵を結び、多くの和歌を残しています。


1189年に「弘川寺」へ訪れて、翌年の1190年2月16日に「弘川寺」にて73歳の生涯を終えますが、「西行法師」が過去に遺言のような詠んだ和歌があります。


「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」


「自分が願うことは釈迦の命日である2月15日頃、春に咲く満開の桜の下で死にたいものだ。」


と和歌を詠んでいて、「西行法師」は自分の願いどうりに亡くなったようです。


「西行法師」の墓を発見した「似雲法師」は、「西行法師」の弔いとして「西行墳」の周辺に桜の木を植えて、今現在も1000本以上の桜が「桜山」として裏山に存在しています。


最後に「弘川寺」には「西行法師」、「似雲法師」などの多くの歌碑や句碑が建っています。



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西行墳の側にある遺言の歌碑。



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弘川寺の御朱印。