大阪府羽曳野市に「野中寺(やちゅうじ)」という、「聖徳太子」が建立したと言われるお寺があります。
「河内三太子」の1つで南河内郡太子町にある「叡福寺(えいふくじ)」が「上之太子」、八尾市にある「大聖勝軍寺(だいせいしょうぐんじ)」が「下之太子」、「野中寺」が「中之太子」と言われています。
「青龍山 野中寺」。創建は飛鳥時代(650年頃)。開基は「聖徳太子」。本尊は「薬師如来像」。宗派は「高野山真言宗」。
「野中寺」は650年頃に「聖徳太子」の命により、「蘇我馬子」が建立したと伝えられています。
一説には渡来系氏族の船氏の氏寺だったとも言われています。
「法隆寺」と同じ伽藍配置で建立され、奈良時代前半にかけて大いに発展したそうです。
しかし南北朝時代の戦乱の兵火により全焼してから、江戸時代まで荒廃していたようです。
現在の「野中寺」の寺観は江戸時代にかけて、規模を縮小して再建されたもののようです。
「野中寺」への交通アクセスは電車だと、近鉄南大阪線の藤井寺駅から近鉄バスで側まで行くことが出来ますが、駅から徒歩でも15分程度です。
車では「山門」左手に無料駐車場があります。
「山門」は府道31号線沿いにあって、現在の境内の大きさにあった規模の小さなものとなっています。
「山門」には「仁王像」が安置されています。
「山門」を抜けるとすぐに「本堂」があります。
「本堂」は江戸初期(1624~1673年)に再建されたものです。
「本堂」には本尊の「薬師如来像」が祀られています。西国薬師四十九霊場、第14番に指定されています。
本尊は秘仏のようで、厨子の手前にお前立ちの小さな「薬師如来像」が安置されています。
「薬師如来像」を中心として、向かって左手に「不動明王像」、右手に「愛染明王像」が安置されています。
「野中寺」で有名な仏像は、秘仏の「金銅弥勒菩薩半跏思惟像」です。
飛鳥時代のものと言われ像高は18.5cmと非常に小さいですが、重要文化財に指定されていています。
「金銅弥勒菩薩半跏思惟像」は、「野中寺僧坊」にある「方丈」に安置されています。
「野中寺」には金堂跡、塔跡が残っていて、「野中寺旧伽藍跡」として国の史蹟に指定されています。
「野中寺」のその他の堂宇や史跡を紹介します。
「本堂」の手前には「手水舎」があります。
「本堂」の左手には「ヒチンジョ池西古墳石棺」、「鐘楼」があり、右手には「弁天池」、「大師堂」があります。
「ヒチンジョ池西古墳石棺」は石棺式石室で1946年、「野中寺」から南西1kmにある「ヒチンジョ池古墳」から発見され、「野中寺」へ移築されたそうです。
「本堂」の左後方に「地蔵堂」があります。
「地蔵堂」には鎌倉時代初期作で、重要文化財に指定されてる「地蔵菩薩像」を祀っています。
この「地蔵菩薩像」は江戸初期の「明正天皇」が、皇子の子育哀護を祈願したところ成就したので、「安産子育地蔵尊」として信仰されているようです。
「本堂」の後方は庭園や様々な堂宇が建っている「野中寺僧坊」があり、「本堂」の右後方にある「中門」から入ります。
「中門」を抜けると「客殿」、「東門」があります。
北方向の突き当たりに「庫裏」があります。
「庭園」へ入るには「金銅弥勒菩薩半跏思惟像」が安置されている、「方丈」の左側にある小さな扉から入ります。
最後に「野中寺僧坊」の左手にある墓地に、「お染・久松の墓」があります。
「お染・久松」は歌舞伎や浄瑠璃で有名な人物で、大阪油問屋の豪商の娘「お染」が、丁稚奉公の「久松」と禁断の恋をして心中してしまうという物語だそうです。





































