西国三十三ヶ所めぐり 興福寺 南円堂 | まっちゃんの人生おもしろおかしく生きていきたい

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今回、紹介する西国三十三ヶ所観音霊場は、奈良県奈良市にある「興福寺 南円堂」です。奈良公園内にあり野生の鹿が徘徊する、その他の西国観音霊場と一味違った雰囲気のお寺です。


西国三十三ヶ所観音霊場、第9番札所「興福寺 南円堂(山号は無し)」。創建は813年。開基は「藤原冬嗣」。宗派は「法相宗(大本山)」。本尊は「不空羂索(ふくうけんさく)観世音菩薩像」。


詠歌 「春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうす雲」


「南円堂」は「興福寺」の主要堂宇の1つで、「興福寺」は藤原氏の氏寺として建立された寺院です。


「興福寺」は「藤原鎌足」の妻「鏡大王(かがみのおおきみ)」が669年、夫の病気平癒を願い「藤原鎌足」が造立した「釈迦如三尊像」を本尊として、山階陶原(やましなすえはら 現在の京都市山科区)に「山階寺(やまなしでら)」を建立したことが始まりとされています。


672年、「飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)」への遷都に伴い、奈良の高市郡厩坂(うまやさか)に「厩坂寺」と寺名を改名して移転、710年には「平城京」への遷都に伴い再び、「藤原鎌足」の子「藤原不比等」が現在地に「興福寺」と寺名を改名し移転したようです。


「興福寺」は奈良、平安時代にかけて皇族や藤原氏の厚い保護を受け、大伽藍が整えられて、813年に「藤原冬嗣」が父「藤原内麻呂」の追善供養のために、「南円堂」を建立したことで「興福寺」の主要伽藍が完成したそうです。


「興福寺」は度重なる火災に遭い大規模な火災としては1180年、源平合戦による「平重衡(しげひら)」の南都焼討ちで、「東大寺」と共に全焼してしまいます。


火災による焼失で荒廃することなく復興してきましたが、1717年の火災では時代背景の変化に伴い復興の資金を十分に得ることが出来ず、一部の堂宇は復興されなかったようです。


明治時代に入ると神仏分離令により、隣接する「春日大社」と一体に信仰が行われていた「興福寺」は、廃仏毀釈により寺領が没収され荒廃してしまいます。


「興福寺」が寺領を囲む塀がなく奈良公園と一体化しているのは、廃仏毀釈の影響で撤廃されたからだそうです。


廃仏毀釈の荒廃から再興したものが、今現在の「興福寺」の寺観となっているようです。


「興福寺」は1998年12月、ユネスコから「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されています。


交通アクセスは電車では近鉄奈良線奈良駅からが近く、JR奈良駅だと三条通を東方向へ少し歩かなければいけません。


車では「興福寺」内に専用駐車場がありますが、周りにはタイムパーキングも多く存在しています。


JR奈良駅から三条通を東へ進むと、右手に「興福寺」の「放生池」である「猿沢池」に辿り着きます。



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猿沢池。池には石碑があります。



「猿沢池」には七不思議があって、


その1 池の水は決して澄むことはない。


その2 池の水は酷く濁ることもない。


その3 池に流入する水はない。


その4 池から水が流出することもない。


流入する水もなく、流出することもないのに水量は常に保たれている。


その5 池なのに蛙がいない。


その6 池に藻が生えない。


その7 毎年、魚を放流しているのにも関わらず魚が増えない。


確かに猿沢池は大きな池なのに鯉などの魚はあんまり見かけなかったし、藻も全く生えてなかったです。蛙は時期的なもので見かけなかったけど、亀はたくさんいましたね。



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残念ながらミドリガメ。日本の亀じゃないのが寂しい・・・。



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手前は結構浅く底が見えてます。



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猿沢池から眺めた南円堂。



「猿沢池」には「釆女(うねめ)伝説」という伝説が残っています。


天皇のお世話をする女官「釆女」の1人が、平城京の天皇から寵愛を受けていましたが、やがて天皇は心変わりをしてしまい寵愛が衰えたことを嘆いた「釆女」は、「猿沢池」に身を投げて命を絶ったそうです。


その「釆女」の霊を慰めるために「猿沢池」の西側の畔に、「釆女神社」という社が建てられています。



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釆女神社。春日大社の末社だそうです。



「釆女神社」の社ですが正面の鳥居に対して後ろ向きに建っていて、これは祀られている「釆女」が身を投げた「猿沢池」を見るのが辛いので、建てられたその晩のうちに後ろ向きになったと伝えられています。



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鳥居に対して後ろ向きの釆女の祠。日本で唯一、後ろ向きの神社です。



「釆女」が身を投げた時に衣を掛けた柳の木を「衣掛柳(きぬかけやなぎ)」と呼び、今現在も「猿沢池」に現存して、供養のために「九重石塔」と「釆女地蔵」が建っています。



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釆女を供養する九重塔と釆女地蔵。



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衣掛柳。



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右手には、きぬかけの柳と刻まれた石碑が。



「衣掛柳」から北方向へ進むと「六道(りくどう)の辻」と言われる、6つの道が交差する場所があります。


「六道の辻」の「六道」とは人は前世の行いで「天道」、「人間道」、「修羅道」、「畜生道」、「餓鬼道」、「地獄道」へ生まれ変わると言われています。


この6つの道に例えて名称が付けられていて、仏が安置されている「興福寺」が「天道」とされ、52段の石段が「天道」へ向かう道となっています。



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六道の辻と言われる交差点。



「興福寺」には現在、「山門」と呼ばれる門などはありません。奈良公園と一体化しているので、「興福寺」境内へ入る箇所はたくさんあります。


三条通からは「釆女神社」の前に「南円堂」へ向かう石段があり、52段の石段を上がって三条通を渡る「五重塔」前へ向かう参道、奈良県庁側の国道369号線から入る北参道などがあります。



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三条通の南円堂へ向かう石段前に、西国観音霊場を知らせる石碑がある。



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石段を上がれば南円堂前に着きます。



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国道369号線側の西国観音霊場を知らせる石碑。



国道369号線側からは「南円堂」前へ行く参道と、北参道と言われる「東金堂」へ向かう参道がありますが、「南円堂」へ向かう参道は現在工事中で通ることは出来ません。



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東金堂前へ向かう北参道。



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北参道には世界遺産を知らせる石碑が。



西国三十三ヶ所観音霊場の「南円堂」は813年、「藤原冬嗣」が父「藤原内麻呂」の追善供養のために、当時「興福寺」の「講堂」に安置されていた「不空羂索観世音菩薩像」を本尊として建立された八角円堂です。



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興福寺 南円堂。1789年再建。重要文化財。日本最大級の八角円堂。



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手前から撮影。



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別アングルから。



「南円堂」は度重なる火災で焼失しており、現在のものは4代目で1789年に再建されたものです。


本尊の「不空羂索観世音菩薩像」は、仏師「運慶」の父「康慶(こうけい)」の作で国宝に指定され、秘仏で拝観することは出来ませんが毎年10月17日のみ開扉されるようです。



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詠歌が刻まれた扁額。常に扉が閉まっており中も拝観することも出来ない。



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南円堂右前にびんずる尊者が。



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網で囲まれていて、小さな穴から手を入れて撫でる。



「南円堂」以外の堂宇や史跡を紹介します。


「南円堂」右手には「一言観音堂」があります。


「一言観音」に叶えて欲しい願いを1つ、一心に願うと叶えてくれると言われています。



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一言観音堂。



「一言観音堂」と隣接して「納経所」があり、「納経所」の後方には「興善院」があります。



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納経所。



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塔頭の興善院。



「南円堂」の左手には「鐘楼」があります。



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鐘楼。



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梵鐘。



「南円堂」右前方に「不動堂」、「手水舎」があります。



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不動堂。不道明王を祀る。



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手水舎。



「手水舎」の後方に「額塚(茶臼山)」があります。


「興福寺」には現在、山号はありませんが奈良時代に「月輪山(がちりんざん)」という山号があったそうです。


「南大門」は1717年の火災の焼失で再建されず現存していませんが、創建当初「興福寺」に建立された「南大門」には、「月輪山」と刻まれた扁額が掲げられていました。


「月輪山」と刻まれた扁額を掲げてから「南大門」付近で大穴が開き、大量の水が噴き出して石垣を崩壊するという原因不明の水害が起きたそうです。


ある僧が霊夢で「月の字は水に縁ある為なり」とお告げがあって、「月」の字が入っている「月輪山」と刻まれた扁額を「南大門」から外すと、水はたちまち止まったそうです。


この外した「月輪山」と刻まれた扁額は「南大門」の側に埋められて、これが「額塚」と呼ばれているようです。


この原因不明の水害があって以来、「興福寺」は山号を付けていないようです。



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額塚。



「南円堂」の後方には「三重塔」、「摩利支天石」があります。


「三重塔」は1143年に創建されましたが、1180年の南都焼討ちで焼失して鎌倉時代に再建されたものです。



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三重塔。国宝。



「摩利支天石」は「興福寺」の塔頭であった、「宝蔵院」に祀られていた大石です。


「宝蔵院」は「覚禅房法印胤栄(かくぜんぼうほういんいんえい)」が、穂先が十文字形の刃である鎌槍を使用した「宝蔵院流槍術」を発明したことが有名で、「覚禅房法印胤栄」が武道上達、槍術成就を祈願する為に、この大石に「摩利支天」を祀ったそうです。


「宝蔵院」は江戸時代末まで奈良国立博物館が建っている場所にありましたが、明治時代の廃仏毀釈で取り壊されて大石は残っていましたが、1887年に漢方医の方が医業の守り神として祀るために引き取られます。


1999年、「興福寺」が子孫の方に寄進を打診し了解を得て、「興福寺」の現在の場所に戻ってきたようです。



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奈良国立博物館前にある宝蔵院跡石碑。



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名残として井戸枠の石組みが残っています。



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摩利支天石。



「南円堂」から東へ真っ直ぐ進むと「五重塔」、「東金堂」があります。


「五重塔」は730年、「藤原不比等」の娘「光明皇后」の発願で建立されましたが、現在の「五重塔」は1426年に再建されたものです。



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五重塔。国宝。高さが50.1mで、日本で2番目の高さだそうです。



「東金堂」は726年、「聖武天皇」の叔母である「元正太上天皇」の病気平癒を願い建立しましたが、現在の「東金堂」は1415年に再建されたものです。本尊に「薬師如来像」を祀り、数多くの貴重な仏像が安置されています。



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東金堂。国宝。中を拝観するには拝観料が必要です。



「東金堂」の左後方には寺宝を展示する「国宝館」があり、日本歴史の教科書で見たことがあると思いますが、あの有名な「阿修羅像」など安置されています。



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国宝館。別途拝観料を支払い拝観する。是非、拝観して欲しいです。



「南円堂」より北方向へ進むと「北円堂」、「西金堂跡」があります。


「北円堂」は721年、「元明太上天皇」、「元正天皇」の発願により「藤原不比等」の一周忌に際し「長屋王」に命じて建立しましたが、1180年の南都焼討ちにより焼失し1210年に再建されたものです。「興福寺」で最も古い建築物だそうです。


「北円堂」には本尊として国宝の「弥勒菩薩像」などを安置して、普段は拝観することは出来ませんが、春と秋に数日間のみ開扉されるようです。


今現在、「北円堂」周辺が発掘調査中のために側に近付くことは出来ません。



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北円堂。国宝。



「西金堂跡」は名前のごとく「西金堂」が建っていた場所で、「西金堂」も度々の火災で焼失し再建してきましたが、1717年の火災の消失以降、再建されることはなく「西金堂跡」として石碑が残っているのみです。


「西金堂」は「国宝館」に安置されている「阿修羅像」などの八部衆が、かつて安置されていた場所だそうです。



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芝生の小さな高台に石碑のみ建っている。



「興福寺」の中心の位置に「中金堂」がありますが現在、再建中で完成は2018年予定だそうです。


「中金堂」は1717年の火災により焼失し、何とか資金を工面して本来の規模より小さな「中金堂」を再建しましたが老朽化が進み、1717年に同じく焼失した「講堂」があった場所に1975年、「仮金堂」を建立して本尊などを移動して、2000年から解体し再建工事に入ったようです。


将来的には「回廊」と「中門」も再建する予定で、再建には60億円という膨大な金額がかかるようです。



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再建中の中金堂。2018年に完成予定。



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回廊跡。参道より高い位置にある。



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回廊跡の前方にある南大門跡。工事中。



「仮金堂」は「中金堂」の後方にあって、周辺は工事中なので近づくことも出来ません。



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仮金堂。1975年建立。中金堂の本尊などを仮安置している。



「国宝館」より東方向へ行くと「本坊」があります。



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興福寺 本坊。



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結構、古い石碑が建っています。



「本坊」より南方向へ行くと「大湯屋(おおゆや)」があります。



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興福寺の風呂場の大湯屋。1426年再建。重要文化財。



「大湯屋」より南方向の三条通沿いに「菩提院大御堂(ぼだいいんおおみどう)」があります。


「菩提院大御堂」は「興福寺」に「法相宗」を伝えた、「玄昉(げんぼう)僧正」が住んでいた場所と言われています。本尊として重要文化財の「阿弥陀如来像」が祀られています。



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シカが入らないように柵の門がしてあるだけで中に入れます。



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菩提院大御堂。1580年再建。



「菩提院大御堂」は別名「十三鐘」と言われ、「十三鐘」にまつわる伝説が残っています。


昔、この堂で小僧たちが習字の稽古をしていたところ、1匹の鹿が入ってきて小僧たちの紙を食べてしまった。


小僧たちの中に「三作」という13歳の子供がいて、「三作」は怒って鹿に文鎮を投げたところ、鹿の急所に当たって鹿は死んでしまった。


その当時、「春日大社」の鹿は神の使いとされ、神鹿を殺した者は子供と言えど石子詰めの刑(穴を掘り首だけ地上に出し、穴に多くの小石を入れて圧殺する刑)と決まっていました。


「三作」が13歳ということにちなんで一丈三尺の穴を掘って、「三作」は殺してしまった鹿と一緒に生き埋めにされて処刑されてしまいます。


「三作」の母親の「おみよ」は「三作」の霊を弔うために、この堂で明けの七つ(午前4時)、暮れの六つ(午後6時)に鐘を撞いて毎日供養したそうです。


すると49日目に観音様が現れたそうで、この観音様が「菩提院大御堂」に安置されている秘仏の「稚児観世音菩薩像」であるそうです。


明けの七つと暮れの六つに鐘を撞いたとういこで合わせて十三となりますが、これは「おみよ」が「三作」の年齢の13歳にちなんだそうです。


このことで「菩提院大御堂」は「十三鐘」と呼ばれるようになったようです。


母親の「おみよ」は自分が生きているうちは線香1本でも供えることが出来るけど、自分が死んでしまうと「三作」が鹿殺しの罪人として誰も供養してくれないと思い、永遠の供養として紅葉を植えたそうです。


「鹿に紅葉」の組み合わせは、このことから生まれたとも伝えられています。


「菩提院大御堂」には「鐘楼」、「三作の供養塔」があります。



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菩提院大御堂の鐘楼。



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梵鐘。



「三作の供養塔」は石亀の上に五重石塔が乗っている、ちょっと変わった供養塔です。


13歳という短い人生であった「三作」が、次に生まれるときは亀のように長生きして欲しいという願いだからそうです。



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三作の供養塔。



最後に奈良公園にはたくさんの鹿がいて、人を怖がることなく側まで近づくことが出来ます。


ちなみに鹿せんべいを食べさせるには、鹿が少ない場所で食べさせた方が良いです。


過去に「東大寺」で鹿がたくさんいる場所で鹿せんべいをあげると、鹿がいっせいに寄ってきて鹿せんべいをよこせって服を引っ張られました・・・。



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こんな石段の場所にも鹿は来ます。雄鹿で角が切られてる。



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人が近づいても慣れていてくつろいでいます。可愛らしいですね。



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お約束の鹿の糞。



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興福寺 南円堂の御朱印。