今回、紹介する西国三十三ヶ所観音霊場は、京都市中京区にある「頂法寺(六角堂)」です。「六角通」として道があるように、「六角堂」の名称で呼ばれることがほとんどです。
西国三十三ヶ所観音霊場、第18番札所「紫雲山(しうんざん) 頂法寺(六角堂)」。創建は582年。開基は「聖徳太子」。宗派は「天台宗」。本尊は「如意輪観世音菩薩像」。
詠歌 「わが思う 心のうちは 六(むつ)の角 ただ円(まろ)かれと 祈るなりけり」
「六角堂」の始まりは582年、廃仏派の物部守屋との争いに勝利し「四天王寺」を建立する為の用材を探し求めた「聖徳太子」が、この地へ訪れた際に旅の疲れを取るために池で沐浴します。
池の側に多良の木があって、沐浴する為に多良の木の枝に「聖徳太子」の護持仏である黄金製で一寸八分(約5.5cm)の「如意輪観音像」を置きます。
沐浴が終わり「聖徳太子」が護持仏を取ろうとすると、非常に重くなっていて多良の木の枝から離れなかった。
その夜、「聖徳太子」の夢の中に護持仏が現れて、「この地に留まり衆生の救済に当たりたい」とお告げになった。
「聖徳太子」は護持仏を本尊とし安置する為に、この近辺に生えていた紫の雲がたなびく巨大な杉の霊木を用材として、六角の堂を建立したことが「六角堂」の始まりとされています。
その後、「聖徳太子」は「小野妹子」に「六角堂」の守護を命じます。
「小野妹子」は「六角堂」の寺内塔頭の「本坊」を、「聖徳太子」が沐浴した池の側に建てたと言われています。
この事から「本坊」を「池坊」と呼ぶようになったそうです。
「六角堂」を守護する「池坊」は朝夕、本尊の御前に花を供えたことから、日本の生け花の発祥の地とされており、「六角堂」は「池坊華道」の拠点となっています。
「六角堂」には「池坊」と呼ばれてた「本坊」を中心に、いくつかの寺内塔頭が存在していたようですが、今現在は現存せずに主要堂宇は「本堂」のみとなっています。
「本堂」も度重なる火災で焼失し、現在の「本堂」は1877年に再建されたものです。
「六角堂」は京都市の中心街にあり、周辺にはオフィスや飲食店などが立ち並ぶ場所にあります。
交通アクセスは電車では京都地下鉄烏丸御池駅から徒歩すぐで、阪急烏丸駅からは徒歩10分弱ぐらいかかります。
車では「六角堂」周辺の烏丸通に、タイムパーキングが何ヶ所かあります。
烏丸通から六角通に入るとすぐに「山門」があります。
山門風景。規模は小さいだけに山門も小さめです。仁王像もありません。
「山門」を抜けると正面に「本堂」があります。
「本堂」は「礼堂」と「六角堂」が密着しており、「六角堂」に本尊を安置して祀っています。
残念ながら「六角堂」内には入ることは出来なくて、「礼堂」から本尊を拝観する形となっています。
「聖徳太子」の護持仏の本尊は秘仏であり拝観することは出来ないですが、お前立ちで六臂の「如意輪観世音菩薩像」は常時、拝観することが出来ます。
秘仏の本尊は絶対秘仏ではないようですが、開扉は不定であるようです。
ふれあい仏(お釈迦様)。金箔札を願いを念じながら貼るようです。
「六角堂」のその他のお堂や名所を紹介します。
「本堂」右手前には「へそ石(本堂古跡の石)」があります。
「桓武天皇」が平安京へ遷都する際に、「六角堂」が道路の中央にあって妨げになったので、別の場所へ移転しようとした際に黒雲が立ちこめて、「六角堂」自ら北方向へ約5丈(15m)移動したという伝説が残っています。
その時、この「六角堂」の礎石のみが残っていたと言われています。
この礎石は京都の中心の位置とされたので、「へそ石」と呼ぶようになったようです。
明治初期まで六角通の中央にあったようですが、交通の障害となったため1877年に境内の現在位置へ移されたようです。
「へそ石」の側には「六角柳」があります。
「六角柳」は地面すれすれまで伸びることから、「地すべり柳」とも言われています。
平安時代初期に后との出会いを願っていた「嵯峨天皇」が、夢枕に観音様が現れて「六角堂の柳の下を見よ」とお告げがあり、「六角柳」へ行ってみると絶世の美女(橘嘉智子?)がいて后として迎えたそうです。
このことで「六角柳」は「縁結びの柳」として知られるようになり、多くの人が良縁を求めて祈願するようです。
祈願の仕方は「縁結びの柳」の2本の枝を、おみくじで結ばなければご利益はないそうです。
ちなみに「六角堂」は822年、「嵯峨天皇」の勅願寺となっています。
縁結びの柳。良縁を求めておみくじがいっぱいです。自分もやっときゃ良かったか・・・。
「本堂」の右手に「手水舎」があります。
「手水舎」の右手には「親鸞堂」があります。
「比叡山」の僧だった「親鸞聖人」は1201年29歳の時に、「天台宗」では民衆の救済に繋がらないと思い、和国の教主として尊敬していた「聖徳太子」に解決の導きを求めて、「聖徳太子」の護持仏を祀る「六角堂」へ百日参籠をしたそうです。
「六角堂」の本尊による1度目の夢のお告げにより「親鸞聖人」は「法然上人」に帰依し、2度目の夢のお告げにより「法然上人」の「浄土宗」の教えを逸脱した、日本の新しい救いの教え「浄土真宗」を生み出しました。
「親鸞聖人」にとって「六角堂」は、非常に重要なお寺となっています。
「親鸞堂」左手には庭園があり、庭園の石の上に「十六羅漢」、「合掌地蔵」があります。
「本堂」右手には「池坊専好の立花」のオブジェがあります。
「池坊専好の立花」のオブジェの後方は、かつて「聖徳太子」が池で沐浴した場所と言われ、今現在は人工的な池となっていて中央に「太子堂」があります。
池には聖徳太子沐浴の池跡があり、中央から人工的に水が出ています。
「六角堂」の後方に「池坊会館」があって前に池があるんですが、池の中に16世紀前後に建っていた「六角堂」の礎石があります。
「本堂」左手にはたくさんの「地蔵尊」があります。
「本堂」左手前に2躰の「不道明王像」が祀られています。
「本堂」の前方に「納経所」があります。
六角通を隔てて「鐘楼」があります。
「鐘楼」の鐘は当初、「豊臣秀吉」の家臣である、「堀尾忠氏(ただうじ)」が寄進したものでしたが、第2次世界大戦の供出の被害で現在の鐘は1924年に再鋳されたものだそうです。
昔は都に災害が起きた時に、この鐘を撞き急を知らせたそうです。
今現在、無人で自動に決められた時間に鐘を鳴らすようです。
最後に「六角堂」境内には、鳩がかなりたくさんいます。



































