毎日放送「ちちんぷいぷい」木曜日の「昔の人は偉かった」という、昔の人が徒歩で遠くの神社や、お寺を巡礼したように歩いて目的地へ向かうコーナーがあります。
現在は河田アナとくっすんが西国三十三ヶ所巡礼をやってますが、河田アナが世界一周へ行っている時、代行として西アナがくっすんと大阪から三重県の「夫婦岩」まで歩いて目指していました。
奈良県天理市を歩いている時に、「長岳寺」というお寺に寄って約400年前の「狩野山楽」作の、「極楽地獄図」なる9幅の掛け軸を特別に拝観してたんですね。
普段は拝観することが出来ないんですが、毎年秋に期間限定で開帳するので、テレビを観ていた母親が拝観したいと言ったので連れて行ってきました。
去年の年末に自分の祖父母である母親の両親が亡くなって、もうすぐ一周忌になりますが、この「極楽地獄図」は葬式が終了してからの法要について深く関係しているんで興味を持ったみたいです。
自分も葬式が終了してからの法要が、どんな意味をもつのか全く知らないんで知る良い機会でした。
「釜ノ口山(かまのくちさん) 長岳寺」。創建は824年。開基は「弘法大師空海」。宗派は「高野山真言宗」。本尊は「阿弥陀如来像」。
「長岳寺」の創建は824年、「淳和天皇」の勅願により「弘法大師空海」が「大和神社(おおやまとじんじゃ)」の神宮寺として建立されたと伝えられています。
最盛期には48の塔頭、衆徒300人以上もいる大寺院だったようです。
「応仁の乱」などの兵火で被害に遭い、「豊臣秀吉」からは寺領を没収され縮小、1602年に「徳川家康」の庇護の元に復興しますが、明治時代に入り「廃仏毀釈」の影響でさらに縮小したものが現在の寺観のようです。
「長岳寺」は奈良県天理市柳本町にあり、国道169号線沿いの少し東方面へ行ったところにあります。車では「大門」側まで行くことが出来て、無料の駐車場もあります。
「大門」を抜けると、しばらく参道を歩くことになります。
「長岳寺」は「つつじ」の花が有名のようで、「関西花の寺25霊場 第19番」に指定されているようです。
拝観受付まで着くと側に「庫裏(旧地蔵院)」があり、「延命殿(旧地蔵院本堂)」には「普賢延命菩薩像」が祀られています。
「庫裏」は「長岳寺」の過去に存在した48の塔頭で唯一、残ったものだそうです。
延命殿(旧地蔵院本堂)。1631年再建。重要文化財。参道から撮影。
「延命殿」に祀られている「普賢延命菩薩像」は、「大和十三仏第4番霊場」に指定されている。「十三仏」は十三回の法要に関わる仏様です。
「庫裏」を少し進むと「鐘楼門」があります。
「鐘楼門」はかつて「梵鐘」が吊っていたようで、日本最古の鐘門だそうです。「弘法大師空海」が創建した当初の唯一の建築物と言われています。
「鐘楼門」を抜けると左手に「本堂」があります。
「本堂」は本尊の「阿弥陀如来像」、脇侍として「観音菩薩像」、「勢至菩薩像」を安置し、「多聞天像」、「増長天像」なども安置しています。
「極楽地獄図」も「本堂」に掛けられています。
本堂内。阿弥陀如来像、脇侍に観世音菩薩像、勢至菩薩像が祀られています。
「阿弥陀三尊」と言われる3躰の仏像は、玉眼(仏像の目に水晶をはめ込む)を使用した日本最古の仏像のようです。
不動明王像も安置されています。
「不動明王像」の横に「極楽地獄図」の掛け軸、9幅が掛けられています。縦幅3.5m、横幅11mの非常に長い掛け軸です。
極楽地獄図。一部しか写ってません。左から5つ目の掛け軸の左の審判が閻魔大王です。
人間が亡くなれば、「あの世」と言われる「天国(極楽)」か「地獄」のどちらかに行くと言われています。
この「極楽地獄図」は「十王」と呼ばれる審判を主に、極楽浄土に至るまでの過程を表している絵図のようです。
住職さんはおられませんでしたので、「庫裏」におられた関係者の方に説明してもらいました。1度聞いただけなので、勘違いや間違っているかもしれませんがご了承を。
右端の掛け軸からが始まりのようで、人間が亡くなればまず「冥界の入り口」へ辿り着きます。
そこには「奪精鬼(だつせいき)」、「奪魂鬼(だつこんき)」、「縛魄鬼(ばくはくき)」なる3匹の鬼がおり、人間が持っている「精、魂、魄(骨のこと)」を抜き取られて、ここで人間は死んで亡者となるんだそうです。
3匹の鬼は「罪門間樹」という棘が伸びた2本の樹の間に亡者を通らせ、善人は傷つくことなく通れるのですが、罪が多い人は棘が刺さり傷つくそうです。ここで罪が多い人でも御朱印を押した「笈摺」などがあると傷はつかないそうです。
亡者は「死天山」という険しい山を登って行き、やがて「三途の川」へ辿り着きます。
「三途の川」の側には「奪衣婆(だつえば)」と「懸衣翁(けんえおう)」がいて、亡者の死装束を剥ぎ取り「衣領樹」なる木に投げられて、罪が多い人は高い枝に引っかかり、善人ほどより低い枝に引っかかるらしいです。ここで罪の重さが分かり「三途の川」へ渡る方法が決まるようです。
罪の多い人は上流の激流に投げ込まれ、普通の人は中流ですが危険な舟で渡らされ、善人の人は下流に架かる安全な橋で渡ります。3つの方法で渡る川なので「三途の川」と言うそうです。
下流の下にある「賽の河原」には「地蔵菩薩」が迎えていて、何の罪もない水子が渡る場所だそうです。
「三途の川」を渡った亡者は初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日(四十九日)、百か日、一周忌、三回忌に「十王」と呼ばれる裁判官に審判を受けます。
初七日から七七日(四十九日)の7回の審判で、亡者の行き先(六道)が決まるそうです。
この期間のことを「中陰」と呼び、七七日(四十九日)を「満中陰」と呼ぶそうです。
遺族がそれぞれの日に追加法要を行うのは「十王」の審判に当たる日で、お経の声が裁判官に聞こえれば罪が軽くなると言われているからのようです。
この7回の審判の内、5番目の裁判官が「閻魔大王」で、最も取り調べが厳しいそうです。
この「十王」の審判で亡者の弁護人として、それぞれの仏様が弁護してくれるそうです。「十王」の上に仏様が描かれています。
初七日には「不動明王」、二七日には「釈迦如来」、三七日には「文殊菩薩」、四七日には「普賢菩薩」、五七日には「地蔵菩薩」、六七日には「弥勒菩薩」、七七日(四十九日)には「薬師如来」、百か日には「観音菩薩」、一周忌には「勢至菩薩」、三回忌には「阿弥陀如来」が弁護人として弁護してくれるようです。
七七日(四十九日)で行き先がほぼ決まってしまいますが、百か日、一周忌、三回忌の審判は救済処置として審理されるようです。
初七日の「不動明王」は唯一、武器である剣を持っていますが、これは生前の未練を断ち切るために持っているのだと言っていました。
掛け軸の下は「八大地獄」、「餓鬼道」、「畜生道」、「修羅道」などの六道が描かれていて、非常に恐ろしい絵となっています。
ここまでが1から8幅の掛け軸に描かれていて、9幅の掛け軸は恐ろしい絵から一転して聖衆来迎図となって、「観音菩薩」が亡者を迎えていて、後方には「阿弥陀如来」と多くの菩薩が待っている極楽浄土が描かれています。
「長岳寺」の「極楽地獄図」は三回忌の審判が終わったら、「阿弥陀如来」がいる極楽浄土へ行くことができるようになっているようです。
現在の七回忌、十三回忌、三十三回忌を追加しての「十三仏」の信仰は、江戸時代以降に増やされたようです。
宗派によって考え方は違うので、この「極楽地獄図」に書かれている考え方は一説です。宗派によっては追加法要は単に、死者の魂を供養する為の法要であったりします。
今まで何も考えずに決まった日に参加していた法要が、「十王」の審判の日からきていることが分かり非常に勉強になりましたね。
「長岳寺」の「極楽地獄図」の特別開帳は、11月までとなっています。
「長岳寺」のその他の堂宇や史跡などを紹介します。
「本堂」側には「練塔」、「地蔵石仏」があります。
これは不動明王石仏かな?。本堂の周りには鎌倉から江戸時代にかけての石仏がたくさんある。
「本堂」から東へ行くと「大師堂」があります。
「大師堂」から石段があって、上がって行くと「大石棺仏」が安置されています。
この「大石棺仏」は古墳の石材を利用したもので、「弥勒菩薩」が刻まれています。
「大師堂」から南へ行くと「十三重塔」があります。
「十三重塔」付近には「大師像」、「鐘堂」があります。
「鐘堂」付近はちょうど「放生池」を挟んで、「本堂」の真正面の場所になっています。
「本堂」の前に池がある風景は、極楽浄土を表現して作られているようです。
ちなみに「長岳寺」の周りには「八十八ヶ所道」という道があり、四国八十八ヶ所の本尊の石仏が安置されています。
山道を登って行かなきゃいけないですが、そんな距離はなさそうでした。
最後に「長岳寺」には約1km西に、「五智堂」という小さな堂があります。昔はこの辺りまで敷地がある大きな寺院だったそうです。
五智堂。鎌倉時代。重要文化財。中央に大きな心柱があり傘堂とも呼ばれる。
「長岳寺」を拝観する際はちょっと遠いですが、この「五智堂」まで訪れて欲しいですね。































