今回、紹介する西国三十三ヶ所観音霊場は、兵庫県宝塚市にある第24番札所「中山寺」です。
西国三十三ヶ所観音霊場、第24番札所「紫雲山 中山寺」。創建は600年頃。開基は「聖徳太子」。宗派は「真言宗中山派」。本尊は「十一面観世音菩薩像」。
詠歌 「野をもすぎ 里をもゆきて 中山の 寺へ参るは 後の世のため」
「中山寺」の創建年数は詳しく分かっていないですが、600年頃に「聖徳太子」が587年に排仏派の物部氏と崇仏派の蘇我氏との争いに敗れた、「物部守屋」の霊を鎮めるため、または「仲哀(ちゅうあい)天皇」の妃、「大仲津姫(おおなかつひめ)」と二人の皇子、「香坂(かごさか)王」と「忍熊(おしくま)王」の供養に建立されたと言われています。
「聖徳太子」が建立した日本最初の観音霊場で、「極楽中心仲山寺」と呼ばれていたそうです。
また西国三十三ヶ所観音霊場巡礼の始祖である「徳道上人」が、普及が叶わず「閻魔大王」から授かった三十三の宝印を石棺へ収めた場所でもあります。
「中山寺」は現在地より北の山腹にあったようで、天災や源平の争乱で焼失した後、「源頼朝」が再建し、現在の寺観は「豊臣秀頼」が伽藍を整えた以降のものだそうです。
「中山寺」は安産、子授け、育児祈願の観音霊場として有名です。
お寺には女性の参拝者が多く、妊婦さんや赤ちゃんを連れた女性が非常に多いです。
有名な話としては戦国時代に「豊臣秀吉」が「中山寺」で子授け祈願し、「淀殿」が「豊臣秀頼」を授かったと伝えられています。
幕末時代には「中山一位局」が安産の腹帯「鐘の緒」を授かり、「明治天皇」を無事平産され、「明治天皇勅願所」となり「安産の寺」として全国に知られるようになったそうです。
「中山寺」は阪急中山駅のすぐ側にあり、交通アクセスは非常に便利です。JR中山寺駅だとちょっと歩かなきゃいけないです。
車では「中山寺」自体の駐車場がありません。「山門」すぐ横に個人がやってる駐車場がありますが、台数はそんなに止めれません。JR中山寺駅側にコインパーキングがたくさんありました。
阪急中山駅から来るとお土産屋が数件あり、「山門」付近へ来ると寺名を知らせる石碑があります。
「山門」は別名「望海楼(ぼうかいろう)」と呼ばれている。1646年、「徳川家光」により再建されたものです。
「山門」には「仁王像」が安置されています。最近、修復とともに彩色されて鮮やかになっています。
「仁王像」の後ろにも大きなわらじが写ってますが、柵にもたくさんの小さなわらじがかけられています。
「仁王像」は健脚、健康を祈る仏様で、昔は西国三十三ヶ所観音霊場巡礼で足腰が耐えきれるように安全を祈願して奉納されたのが始まりで、昔は「中山寺」が第1番札所とされていた時期もあったそうです。
現在は健康や足の病気の治癒の願いを、白い布に書いて祈願し奉納するようです。
「山門」の反対側には「獅子」と「狛犬」が安置されています。
「山門」を抜けると左右に「総持院」、「華蔵院」、「宝蔵院」、「成就院」、「観音院」があります。「中山寺」の指定された堂宇に十二支の守り本尊や、七福神を祀っています。
「総持院」は卯年で「文殊菩薩」、酉年で「五大力不道明王」を祀り、七福神では「福禄寿」を祀っています。
「華蔵院」は戌年、亥年で「阿弥陀如来」を祀り、七福神では「毘沙門天」を祀っています。
「宝蔵院」は未年、申年で「大日如来」を祀り、七福神では「弁財天」を祀っています。
「成就院」は丑年、寅年で「虚空蔵菩薩」を祀り、七福神では「布袋尊」を祀っています。
「観音院」は辰年、巳年で「普賢菩薩」を祀り、「大黒天」を祀っています。
奥まで進むと石段があり、上がると「五百羅漢堂」がある広場に付きます。ちなみに石段の横には、妊婦さんなどの事を考慮してエスカレーターがあります。
五百羅漢堂。1997年に建立。
「五百羅漢堂」には本尊の「釈迦如来像」を中心に、700体以上の「羅漢像」が安置されています。500なんで500体ではないんですね・・・。
「五百羅漢堂」の横に「紫雲閣」という近代的な建物があり、ここに「納経所」があって御朱印を頂けます。
「五百羅漢堂」周辺には様々な堂宇があります。
「閻魔堂」は非常に華やかで、「閻魔天」が祀られています。毎年、2月16日と8月16日が「閻魔天」の縁日で、地獄の釜が開く日とされているようです。
「寿老神堂」は午年で「勢至菩薩」を祀り、七福神として「寿老神」を祀っています。
「大黒堂」は子年で「千手観音菩薩」を祀り、ここでも「大黒天」を祀っています。
千手観音菩薩と大黒天を祀る。観音院でも大黒天を祀っていましたが、どうなっているんでしょうか?
「大黒堂」の横に「中山寺古墳」があり、「仲哀天皇」の妃「大仲津姫」の墓と言われています。
中に石棺が安置されているのですが、「徳道上人」が「閻魔大王」から授かった三十三の宝印を、この石棺に収めて埋めたと伝えられています。
「大黒堂」の奥には「阿弥陀堂」、「亥の子地蔵」、「宝蔵」があります。
「宝蔵」前には「安産手水鉢(あんざんちょうずばち)」があります。
安産手水鉢。
これは「仲哀天皇」の妃「大仲津姫」の二人の皇子、「香坂王」と「忍熊王」は「仲哀天皇」の後の妃、「神功皇后」が胎児内の皇子(後の応神天皇)を天皇にするために謀略をめぐらし争うこととなります。
「香坂王」は不慮の死を遂げ、「忍熊王」は「神功皇后」との戦いに敗れて亡くなってしまいます。
この「安産手水鉢」は「忍熊王」の遺体を納めた、古墳文化時代の舟形石棺と伝えられています。
名称の由来は中世以降、難産の人が「中山寺」の本尊「十一面観世音菩薩」に祈願し、この手水鉢で身を洗い清めれば、安産になると言われるようになったことから、「安産手水鉢」と呼ばれるようになったそうです。
「阿弥陀堂」の上部に多宝塔の「大願塔」があります。
「大願塔」の側には「鎮守社」があり、七福神として「恵比寿神」を祀っています。
鎮守社。
「五百羅漢堂」の広場からさらに「本堂」へ向かう石段があります。もちろん横にはエスカレーターがあります。
「本堂」には秘仏の「十一面観世音菩薩像」が祀られていますが、毎月18日に開扉されて拝観できるようです。
「十一面観世音菩薩像」はインドの「勝鬘夫人(しょうまんふじん)」が、女人救済(特に出産の苦難)の悲願をこめて、自ら刻んだ等身の霊像と言われています。これが「中山寺」が安産祈願のお寺となる由来です。
両脇侍にも「十一面観世音菩薩像」であって、3体の「十一面観世音菩薩像」が並んでいるようです。
「本堂」で妊婦さんが祈祷済みの腹帯とお守りなどを授かって、出産後はお礼参りとして授かった腹帯とお守りや新しいさらしを持参し、お寺に納めて無事出産したお礼と、今後の無事成長を本尊に祈願するという形となっています。
「本堂」の「鐘の緒」は非常に短くて、鐘を撞くことが出来ません。
こういう言い伝えが残っています。
昔、多田源氏「源行綱」の妻に子が授からないので、「源行綱」は「中山寺」へ通って子授けのご利益がある本尊へ熱心に祈願します。
神仏の信仰を全く信じない妻は、熱心に本尊へ祈願する「源行綱」の姿を見て本尊に嫉妬したそうです。
ある時に妻が「中山寺」へ参拝した時に風が吹き、本堂の「鐘の緒」が妻の髪に絡みつき、身動きが取れなくなったそうです。
その時の高僧が本尊に祈願すると、「鐘の緒」に絡んでいた髪の毛が解けたそうです。
妻は不信心を改めて本尊を信仰すると、妻は子を授かったそうです。
このことで「中山寺」の「鐘の緒」を持つと子を授かるという噂が広まり、子授け祈願で参拝する人は「鐘の緒」を切って持ち帰ったそうです。
それは困るので「中山寺」は、「鐘の緒」の代わりに腹帯を授けるようになったそうです。
その当時の「鐘の緒」は切り取られて、今も保存されているようです。
「本堂」の前には「びんずる尊者」が安置されています。
びんずる尊者。安産、子授け祈願らしく赤ちゃんのよだれかけが奉納されています。
「中山寺」の「びんずる尊者」の四方には、赤ちゃんのよだれかけに願いを書き奉納されています。普通は自分の体の悪い所をなでて、病気平癒を祈願するんですけどね。
「本堂」の側には「護摩堂」、「開山堂」があります。
「開山堂」側にはエレベーターがあり、ここでも参拝者の気配りがされています。
「本堂」からさらに石段があり登ると「大師堂」があります。
「大師堂」には西国三十三ヶ所観音霊場のお土砂を安置して、お砂踏みの行場となっているようです。「弘法大師空海」が祀られているけど、「四国八十八ヶ所」ではないんですね・・・。
有料のようです。左から第一番札所、青岸渡寺から始まる。
「大師堂」より右へ下ると「子授け地蔵」があります。
子授けを祈願し、ここでもよだれ掛けが奉納されています。
「中山寺」は参拝料を支払うことなく拝観出来るのに関わらず、安産、子授け、育児祈願での信仰が非常に高く、多くの参拝者が訪れるお寺みたいなので経営は万全なんでしょうね。
エスカレーター、エレベーターもあり、休憩所なども非常に大きな建物になっています。
それだけご利益があるっていう証拠ですね。
絵馬堂。休憩所となっています。
信徒会館。食事が出来ます。
「中山寺」にはさらに「奥の院」という場所があり、険しい山道を徒歩で約1時間かけて行くそうです。

















































































