今年の1月下旬に巡礼した第4番札所「施福寺」ですが、第2番札所「金剛宝寺(紀三井寺)」と、第3番札所「粉河寺」と一緒に巡礼して、最終に巡礼した訳ですが車のナビが裏街道の舗装されていない道に案内して、酷い目にあって時間をかなりロスしてしまったんで、「施福寺」は閉門近い時間に到着し、御朱印を頂いてすぐ帰ったので、いろいろ参拝しする時間が全くなかった。
今現在、西国三十三ヶ所観音霊場で最難関と言われる道のりですが、再び巡礼してきました。
ブログも3寺院まとめて簡単な内容だったんで、「施福寺」のみのブログとして書きたいと思います。
西国三十三ヶ所観音霊場、第4番札所「槇尾山(まきおさん 施福寺(せふくじ 槇尾寺ともいう)」。創建は「欽明天皇」の時代(550年頃)。開基は「行満上人(ぎょうまんしょうにん)」。宗派は「天台宗」。本尊は「弥勒菩薩像」。西国観音霊場の本尊は「十一面千手千眼観世音菩薩像」。
詠歌 「深山路(みやまじ)や 檜原(ひばら)松原 わけゆけば 巻の尾(まきのを)寺に 駒ぞいさめる」
「施福寺」の始まりは仏教伝来から間もない550年頃、「欽明天皇」の病気治癒の勅願により、「行満上人」によって「弥勒菩薩像」を本尊とし創建された。
地名の由来は「役小角(えんのおづぬ)」が、写経した「法華経」を葛城山の各所に収めて、最後の巻をこの地に収めたことから「巻尾山」と呼ぶようになったと伝えられ、古くは「槇尾山寺」と呼ばれていた。
西国観音霊場の本尊である「十一面千手千眼観世音菩薩」の由来は、「行基菩薩」の弟子「法海」の元に、あるみすぼらしい僧がいて熱心に修行をしていた。
このみすぼらしい僧が修行を終えて下山する時に、帰りの旅費をお寺に求めたところ、お寺の僧に断られ激しくののしられた。
このみすぼらしい僧は、「何と情けない出家者なのか」と嘆き下山してしまった。
「法海」はこの話を聞いて後を追ったが、その姿は遥か彼方の海上にあり、紫雲に包まれていた。
「法海」はこのみすぼらしい僧を、自分たちを戒める為に現れた千手観音の化身と感得し、千手観音像を刻み祀ったと伝えられている。
平安時代まで山岳修験の地として繁栄して、全盛期には800も超える堂宇が存在していたようですが、1581年に「織田信長」の焼き討ちに遭い焼失し、その後「豊臣秀頼」の寄進により再興した。
江戸期に入ると徳川幕府からの庇護を受けて繁栄を取り戻し、当初「真言宗」であった宗派も「天台宗」へと改宗したようです。
現在の「施福寺」の寺観は、1845年の山火事で「仁王門」以外の堂宇が全焼し、それ以後に再建されたものです。
「役小角」、「弘法大師空海」、「行基菩薩」が修行した由緒あるお寺の「施福寺」は、大阪府和泉市にある「槇尾山」の標高530mの山中にあり、車で約1km付近まで行くことが出来ます。そこまで行く道は細道があるんで注意が必要です。
この石碑から「仁王門」まで舗装された坂道となっています。
この辺りは八丁付近で、石碑で丁単位で「本堂」までの距離を知ることが出来ます。
二丁ほど舗装された坂道を登ると「仁王門」があります。
「仁王門」には「仁王像」が安置されています。
「仁王門」を抜けると、ここから足場の悪い階段となった山道になります。
五丁付近から、石で積まれた石段と変わります。
石が積まれた階段になり道も細くなる。手すりとして黄色のチェーンが。
四丁付近に来ると、「弘法大師 姿見の井戸」があります。
あとで書きますが剃髪した弘法大師空海が、この井戸で自分の姿を見たんでしょうかね?
二丁付近に来ると人工的な石段になり、少し急勾配になります。
人工的な石段に変わり、足場は良くなる。鉄棒の手すりに変わる。
一丁付近からまた、足場の悪い山道と変わります。
一丁から少し登ると「愛染堂」があります。
「愛染堂」は本尊に「愛染明王」を祀り、若かれし「弘法大師空海」が剃髪した場所と言われています。
「愛染堂」は「西国愛染明王霊場」の、第15番札所に指定されているようです。
「愛染堂」から「本堂」までは残り僅かで、人工的な石段に変わります。
「本堂」に上がりきる手前に、「弘法大師御髪堂」があります。
最後の石段を上がりきると「本堂」が見えます。「仁王門」からは普通の人で約30分かけて到着します。体力のある人は約20分ぐらいで着くかと思います。
石段を上がりきるとまず目に付くのが、西国観音霊場の本尊「十一面千手千眼観世音菩薩像」の銅像です。
「本堂」の本尊は「弥勒菩薩像」で、脇侍として西国観音霊場の本尊「十一面千手千眼観世音菩薩像」と、「文殊菩薩像」が祀られています。
「法海」が刻んだ本尊は火災で焼失しており、現在の本尊は江戸期に作られたものだそうです。
本尊は秘仏ですが毎年、5月1から15日まで開扉され拝観できるようです。
「本堂」の裏手には本尊と背中合わせの位置に、「花山法皇」ゆかりの「馬頭観世音菩薩像」が祀られています。
「花山法皇」が第3番札所「粉河寺」から、「施福寺」へ向かっている途中に日が暮れてしまい、道に迷っていると馬が現れて道案内をしたと言われている。
この事で「本堂」に「馬頭観音菩薩像」が祀られるようになったそうです。「本尊」としてではないけど、第29番札所「松尾寺」以外に「馬頭観世音菩薩像」が拝観出来ます。
「施福寺」は過去の繁栄した寺観とは程遠く、数少ない堂宇が存在するぐらいです。その他の堂宇などを紹介します。
「本堂」付近には「手水舎」、「観音馬像」、「三十三観音堂」、「救世観世音菩薩像」、「六道観世音菩薩像」などがあります。
回るように西国三十三ヵ所観音霊場の、お砂踏み場となっているようです。
「本堂」裏手には「本坊」、高台には「大師堂」、「不動堂」、「鐘楼」があります。
本坊。
これらは結構、老朽化が進んでいて傷みが激しかったです。裏手なんであんまり人も行かない場所ですね。
「手水舎」の横から上がる石段があり、「槇尾明神」があります。
境内には「ゆたか茶屋」という茶店があって、食事も出来ますよ。
第11番札所「上醍醐 准胝堂」が、再建の為に「下醍醐 金堂」が納経所となっている現在、「施福寺」は西国観音霊場の最難関となっています。
「本堂」へ登山する際にすれ違う下山する人と、挨拶するのが習慣のようです。
「本堂」へ向かう登山する人は「あとどれぐらいですか?」と聞き、下山する人はどれぐらいか答え、「頑張ってください」と激励する。
険しい山道ですが西国三十三ヶ所巡礼の為に、かなり歳をとった方も息を切らしながら、金剛杖などを持って登山する姿を見ると本当に脱帽しちゃいます。
最近、お寺に巡礼して山道や石段など上がっているので慣れてきたのか、筋肉痛にはなりませんでしたが、下山する際はやはり足は笑っていましたね・・・。
まだまだ修行は足りませんね・・・。














































