今回は「四天王寺」から少し北にある、「勝鬘院(しょうまんいん)」と言う「四天王寺」の別院を紹介します。別名「愛染堂」と呼ばれることが多いです。
「荒陵山(あらはかさん) 勝鬘院」。創建は593年。開基は「聖徳太子」。本尊は「愛染明王(あいぜんみょうおう)」。宗派は「和宗」。
「勝鬘院」は「聖徳太子」が「四天王寺」建立の際に設立した、「敬田院(きょうでんいん)」、「悲田院(ひでんいん)」、「療病院(りょうびょういん)」、「施薬院(せやくいん)」の「四箇院(しかいん)」という施設の、「施薬院」があった場所に建立されたお寺です。
「施薬院」とは現代で言えば薬局の事で、庶民救済のために薬を与える施設です。
「施薬院」が「勝鬘院」と呼ばれるようになったのは、「聖徳太子」がここで「勝鬘経(しょうまんきょう)」を人々の為に講じ、「勝鬘経」に登場する古代インドのコーサラ国、「パセーナディー王」の娘「勝鬘夫人(シュリーマーラー)」の仏像を「本堂」に祀ったからです。
本尊が「愛染明王像」ということで「愛染堂」と呼ばれ、世間では「愛染さん」と親しまれているようです。
山門を抜けると「薬医門」という門があります。「施薬院」があった場所なのでそう呼ばれるようです。
「薬医門」を抜けると真正面に本堂である「金堂」があります。
「金堂」は「織田信長」の大阪石山寺攻めの兵火で焼失し、江戸初期に「徳川秀忠」により再建されたものです。
「金堂」には本尊として「愛染明王像」を祀っていますが、その他に「十一面観世音菩薩像」や、寺名の名称の由来である「勝鬘夫人像」なども祀られています。
「愛染明王」は恋愛、縁結び、家庭円満の御利益のある愛敬の仏様で、多くの若い女性が良縁を求めてお参りにくるようです。
また「愛染」を「藍染」と解釈して、染物・織物職人の守護神として信仰されているようです。
「金堂」の後方には国の重要文化財である「多宝塔」があります。
「多宝塔」も「織田信長」の大阪石山寺攻めの兵火で焼失して、1597年に「豊臣秀吉」により再建されたものです。
大阪市内最古の木造建築物で重要文化財に指定されています。
多宝塔。大日大勝金剛尊を祀る。大阪市最古の木造建築物だそうです。
「勝鬘院」のその他の堂宇や史跡を紹介しておきます。
「薬医門」を抜けると左手に「大日金剛尊」、右手に「七福神」が祀られています。
「七福神」の右手には「愛染かつらの木」が立っています。
樹齢数百年の桂の木にノウゼンカズラのツルが巻き付き一体となっていて、男女が仲良く寄りそっているように見えるので恋愛成就、夫婦和合の霊木とされています。
「愛染かつらの木」の左手に「延命地蔵尊」が祀られています。
「延命地蔵尊」を中心として左に「水子地蔵」、右に「子安地蔵」が祀られています。
「延命地蔵尊」の左手には「藍染の霊水」があります。
この霊水を飲めば愛敬を授かり開運、夫婦和合、良縁成就、安産、出世、商売繁盛などの功徳があると言われています。
「愛染の霊水」の左手には継承者がいなくなった檀家さんのお墓を祀る「如来塔」があり、「身代り地蔵像」、「身代り観音像」が安置されています。
「如来塔」の左手には「魚藍観音像」、「不動明王像」、「日月梅の碑」があります。
「日月梅の碑」は「豊臣秀吉」が「多宝塔」を再建した際に、この場所に日月梅(源平の梅)を献植したそうです。第2次世界大戦の大阪大空襲で焼けて枯れてしまったそうです。
「多宝塔」の右手には「江間延命地蔵尊」があります。
大阪の清風高校、清風南海高校の創始者である江間氏により寄進された「延命地蔵尊」だそうです。
「多宝塔」の右後方に「出世白龍明神」、「願成稲荷明神」があります。
「出世白龍明神」は「豊臣秀吉」が日月梅を献植するために「勝鬘院」を訪れた際、境内の枯れ木から神の使いとされている白蛇が出現したので、祠を建立し「白龍明神」を祀ったそうです。
「願成稲荷明神」は「豊臣秀吉」の生誕の地である、豊川の「荼吉尼天(だきにてん)」を分霊を勧請したようです。
「多宝塔」の左前方には「禅堂」があります。
「金堂」の前に「慈母観音」、「慈父地蔵」が祀られています。
最後に「金堂」前に「聖徳太子」の顔出し看板がありますよ。



























