今回、西国三十三ヵ所を巡礼したのは滋賀県の湖東方面です。
お寺の数は三ヶ所あって西国三十三ヵ所めぐりで唯一、船で渡らなければいけないお寺、琵琶湖の竹生島にある「宝厳寺」が含まれています。
従来、車での移動時間のみを考えて移動していましたが、今回は船に乗る時間(往復)と竹生島に滞在する時間が限定されるので、事前に計算して予定を立てました。
竹生島に渡る船は湖西方面に1つ、湖東方面に2つあってお寺が2つあるのは湖東方面で、船は彦根市か長浜市にあるんですが「長命寺」と「観音正寺」は彦根市に近い場所にあるので、渡船時間は長浜市より若干長いですが、彦根市の「オーミマリン」という船に乗ることに決めました。
「オーミマリン」の便数が一日4便で(季節によって変わる)、始発が9時30分でそれに合わせて出発したんですが、結構時間がかかってしまい間に合わないと分かって、先に近江八幡市にある第31番「姨綺耶山 長命寺」へ向かうことに。
開基は「聖徳太子」です。
「長命寺」は名前のごとく、「健康長寿」を祈願するお寺です。
石碑。長寿ということで亀の上に石碑があります。鶴は千年、亀は万年からでしょうね。
お寺の名前の由来はかなり古く、第12第天皇「景行天皇」の時代に「竹内宿禰」という人物が、この地の柳の木に「寿命長遠諸願成就」という文字を刻み、長寿祈願をしたことから始まる。
「竹内宿禰」はこのことで、300歳の長寿を保ったと言われている。
そして「聖徳太子」がこの地を訪れ、「竹内宿禰」が文字を刻んだ柳の木を発見し、聖徳太子は感銘を受けていると、白髪の老人が出現して、この柳の木で仏像を造り安置せよと告げた。
「聖徳太子」は「千手観音」、「十一面観音」、「聖観音」の3体の仏像を造り安置する伽藍を建立した。
「竹内宿禰」が刻んだ「寿命長遠」から「長命寺」と名付けたと言われている。
「長命寺」は湖岸から「本堂」へ808段の石段を登る場所に境内がある。
細道だけど普通車なら境内側まで行けるので、余程の体力の自信がない限り車で上まで登った方がいい・・・。
車で登っても急な約100段の石段を登らなければ、「本堂」にはたどり着けない。
本堂まで急な石段。
約100段の石段を登りきると、本堂が建っています。境内敷地はそんな大きくはありません。
本尊は聖徳太子が刻んだ「千手十一面聖観世音菩薩三尊一体」です。秘仏で拝観出来ない。
「本堂」内になんと「仁王様」が安置されてました。
「本堂」周辺には「三重塔」、「三仏堂」などの重要文化財があります。
この日は生憎、黄砂が酷くて「長命寺」から眺める琵琶湖の風景は最悪でした。
次に竹生島にある第30番「巌金山 宝厳寺」へ。
開基は「行基」です。
彦根市のオーミマリンから竹生島まで片道約40分かけて渡ります。往復で約80分。竹生島滞在時間は70分です。
渡船中も琵琶湖風景を堪能したかったですが、本当に黄砂でもやってて酷かったです・・・。
「宝厳寺」は弁才天信仰の聖地で、日本三大弁才天の一つでもあります。(あとは広島県の厳島神社と神奈川県の江島神社)
竹生島には「宝厳寺」と「都久夫須麻神社」と、土産屋があるだけの本当の島です。
「宝厳寺」は平城京遷都を行った「聖武天皇」が夢枕に「天照皇大神」が立ち、「琵琶湖に弁才天の聖地の小島がある、そこに寺院を建立すれば国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽になる」と告げられ、勅命で自分の地元(大阪南部)で多くの寺院や架橋、治水などの社会事業に尽力した「行基」に、「弁才天像」を安置させ祀ったのが始まりと言われている。
西国での仏様は観音様ですが、観音様の安置は「弁才天像」を安置した翌年に、「観音堂」を建立し「千手千眼観世音菩薩」を祀った。
「本堂」に行くのも約160段の石段を登っていかなければいけない。ここも結構、急な石段となっています。
こんな具合に非常に急な石段になる。お年寄りには結構ハードだと思う。
急な石段を登りきると「大弁才天」を祀る「本堂」があります。
「本堂」の「大弁才天」は秘仏で拝観することが出来ない。
「本堂」左右に安置されている「弁才天像」は撮影可能だったので撮影させて頂きました。
この「弁才天像」は「浅井久政」が奉納したものと伝えられています。
「浅井久政」は今年の大河ドラマ「江」の祖父であり、浅井氏は古来から竹生島の氏子として竹生島弁才天を崇敬していたようです。
本堂側には「五重石塔」や「三重塔」などがあります。
本堂から「観音堂」へ移動する際、「舟廊下」を通っていく。
「舟廊下」を抜けると、「観音堂」と「都久夫須麻神社」があります。
西国三十三ヶ所の仏様は観音様なので、こちらに西国を知らせる石碑が。
「観音堂」には「千手千眼観世音菩薩像」が安置されており、秘仏で60年に一度しか拝観出来ない。
国宝の都久夫須麻神社。昔は宝厳寺と同じだったが、明治の神仏分離で分かれてしまった。
船で渡る滅多に来ることはない寺院へ来て、昔からの貴重な建物や仏像などを拝観出来て良かったと思う。
しかし、昔の人は高速船でも結構時間がかかるのに、こんな離れ島によくお寺を建立したものだ・・・。凄いと感心してしまう。
次に安土町にある第32番「繖山 観音正寺」へ。
開基はここも「聖徳太子」である。
お寺の歴史は古く、第33代「推古天皇」の時代に「聖徳太子」が琵琶湖のほとりで人魚に出会うことから始まる。
人魚は「聖徳太子」に「自分の前世は漁師で、神仏を尊ばず魚の殺生をして、このような姿となり苦しめられている」と言い、「繖山へお寺を建立し私を成仏させてください」と頼み、「聖徳太子」は人魚の願いを聞き入れて、山頂に堂塔を建立し「千手観音菩薩像」を祀った。
かつてお寺にはその人魚のミイラが安置されていたが平成5年、原因不明の火災により本尊と共に焼失した。
標高433mの繖山の山頂にあるお寺で、参道は表参道と裏参道とあり徒歩で行くには、それなりの体力とかなりの時間がかかる。
車では普通車で、五個荘方面から有料で山頂近くまで登れます。お寺まではなだらかな林道で難なく行くことが出来ます。安土町方面からも有料で車で行けるようですが、こちらは少し石段を登らなきゃいけないようです。
林道を抜けると入口になるんでしょうか、山門もない「仁王様」が立っています。
「仁王様」の側には「鐘楼」があります。
奥へ進むと「聖徳太子像」があります。
「聖徳太子像」側には「濡佛」があります。
濡佛。江戸時代からあったものは、第二次世界大戦で供給され、今現在のものは昭和58年に再建されたもの。
「本堂」を行く前に「護摩堂」があります。
奥に平成16年に再建された新しい「本堂」があります。
「本堂」の横には石積みがあって、石の上に観音様が立っています。
石積み付近には「魚濫観音」や「えんむすび地蔵尊」が安置されています。
山頂のお寺から眺める景色は、絶景だと思うけどやはり黄砂が邪魔を・・・。
お寺自体、由緒あるお寺ですが残念ながら火災の影響で新しいものが多かったです。
今回、3ヶ所のお寺を巡礼し笈摺に3つご朱印を押すことが出来た。
散華も3つ追加です。
JRの企画のスタンプは今回、時間がなかったので指定された駅へ行くことは出来なかった。
またスタンプのみをもらいに行かなくちゃいけないな。
これで巡礼したお寺の総数は22ヶ所となりました。















































