今年も 元旦の氏神様のお参りの翌日
2日には、家族揃って 大和一宮である 大神神社へお参りをしました。
 
今年は、二男も初めて大神神社へ行ってみようかなぁと言ってくれましたので(^^)
長男の提案で正月の混雑も覚悟の上で自動車で行くことにしました。
 
毎年 お正月は電車で行っていますが
おせち料理に飽きた(贅沢な話しですよね)とかで
大神神社の帰りに娘一押しの奈良が本店の“彩華ラーメン”を食べて帰ろう!
という案が出ましたニコ
 
私は奈良生まれなので子供の頃から参らせてもらっているので
やはりお正月に大神神社に行くと
今年も始まるわねビックリマーク
と思います。
とっても美味しい御神酒を頂戴した後は狭井神社へと向かいます。
大神神社から狭井神社へ向かうところに
弁財天様(サラスバティ様)が祀られていますが
とってもきれいな景色で、私の好きな場所のひとつです。
 
狭井神社には
御神体である三輪山に登拝する入り口があります。
(お正月は登拝出来ません)
御神水の頂ける場所もありますのでペットボトルに頂いて来ましたウインク
 
私が子供の頃は
御神体である三輪山の登拝などはなく、鳥居の前で祖父と一緒に山を拝んでいた記憶があります。
 
狭井神社にお参りの後は
そこから いつも私たちは久延彦神社へと抜けていきます。
 
知恵の神様として有名なので
子供の受験前には
「どうか実力が出せますように守護をお願いします」
とお願いしたものです。
 
久延彦神社の横には
奈良盆地と大和三山(香具山・畝傍山・耳成山)が見渡せる 絶景場所があります。
 
とてもお天気が良くて温かくて眩しくてウキウキしながら写真を撮りました。
 
そして、そして、帰りには
彩華ラーメンを食べて帰りました~
美味しかった~お願い
 
日本最古の神社と言われている大神神社ご由緒
当社の創祀そうしに関わる伝承が『古事記』や『日本書紀』の神話に記されています。『古事記』によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山にまつられることを望んだとあります。また、『日本書記』でも同様の伝承が語られ、二神の問答で大物主大神は大国主神の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であると名乗られたとあります。そして『古事記』同様に三輪山に鎮まることを望まれました。この伝承では大物主大神は大国主神の別の御魂みたまとして顕現けんげんされ、三輪山にしずまられたということです。この様に記紀ききの神話に創祀そうしの伝承が明瞭に記されていることは貴重なことで、当社が神代に始まった古社中の古社と認識されており、ご祭神さいじんの神格が如何に高かったかを物語っていると言えます。そして、ご祭神さいじんがお山にしずまるために、当社は古来本殿を設けずに直接に三輪山に祈りを捧げるという、神社の社殿が成立する以前の原初げんしょの神祀りの様を今に伝えており、その祭祀さいしの姿ゆえに我が国最古の神社と呼ばれています。 「大神」と書いて「おおみわ」と読むように、古くから神様の中の大神様として尊ばれ、第十代崇神すじん天皇の時代には国造り神、国家の守護神としてあつまつられました。平安時代に至っても大神祭(おおみわのまつり)、鎮花祭(はなしずめのまつり)、三枝祭(さいくさのまつり)が朝廷のお祭りとして絶えることなく斎行され、神階は貞観じょうがん 元年(859)に最高位の正一位しょういちい となりました。延喜式えんぎしきの社格は官幣大社かんぺいたいしゃ で、のちに大和国一之宮やまとのくにいちのみやとなり、二十二社の一社にも列なるなど最高の待遇に預かりました。中世には神宮寺じんぐうじであった大御輪寺だいごりんじ や平等寺を中心に三輪流神道が広まり、 広く全国に普及し人々に強い影響を及ぼしました。近世に入ると幕府により社領が安堵あんど されて三輪山は格別の保護を受け、明治時代にはその由緒によって官幣大社かんぺいたいしゃとなりました。現在も国造りの神様、生活全般の守護神として全国からの参拝があり、信仰厚い人々に支えられて社頭は賑わっています。
                    【大神神社HPより】