みにゃさんこんにゃちは!😸
今日は2月22日!にゃんにゃんにゃんこの日ですにゃん!
にゃんかうれしいにゃんこの日!(テンション大丈夫か
)
さて、
愚者①(←気になる方はクリックしてね~前回の記事にとびます。)の続きです。
さて、木の葉さんは病の猫まめ吉、弟猫のもち丸、15歳のといぷのぷーちゃんをみていて
なにを思い出したのでしょう。
「無」と「山川草木悉有皆成仏」
「愚者」のカードは0番です。
0とは何もないという意味ですね。
「無」です。
「無」からタロットはスタートします。
また0には「生み出す力」があることを示しているのが
「愚者」のカードです。
「無」のなかには「無限の可能性」が宿っている。
宇宙もはじめは「無」でした。
例えば、
古事記にも一番最初には神が世界を創り出す前
「何もなかったところから天地が誕生…」と書いてあります。
同じように聖書にも「何もないところから光と闇を…」と書いてあります。
そこから生み出されていったのが今の世界。
例えば「種」
ちいさな種の中には宇宙が詰まっている。芽を出していく、花をつける、実がなる。
「無」は「有」を生み出すものだと気づかせてくれるものって
身の回りにたくさんあるね。
そこには私の浅い経験と知識などでは、はかり知れない可能性がつまっている。
ってことは
わたしもまめ吉も、もち丸もぷーちゃんも。あてはまるかもしれないよね。
すべてのものと、生き物、自然には「仏性」「神性」が宿るという仏さまの教えも
(山川草木悉有皆成仏 さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)
すべてはつながっているのかもしれない。
そんなことを思ったのでした。
すべての命への信頼と敬う心
人は「記憶」でできているといいます。
今まで生きてきた日々の物語の中で、私の視点でこの世界を見て、感じて
そこに「時代の価値観」や学校や家庭などの「教育」によって育まれた「バイアス」を
作り上げて、(記憶)「フィルター」(←記憶といってもいいかもしれません)を通して世界を見ています。
「フィルター」は強固な牙城です。気づこうと決心して紐解いても
なかなか正体をあらわさない。
見えると怖いので自分で無意識に「見えなくする」こともあるくらい強固です。
だけど、あまりにも悲しかったので、自分の心の奥に旅をしてみました。
どうしてこんなに悲しいのかな。どこに悲しさがあるのかな。
見たくない!けど心の中に降りていきました。
弱い自分。みっともない自分…。
まめ吉をみていて自分のなにが悲しいのか、自分なりに理解できました。
わたしの「記憶」、フィルターの中には
「猫ちゃんは小さくて無力。だから、人間のわたしが守ってあげなければ」という
思い込みがありました。
これは一見優しいようではあるけれど、
自分の考えだけに執着した相手への「支配」「コントロール」につながるものです。
相手はこちらの思う「優しさ」を必要としないことがあるかもしれない。
その視点がないのです。
「弱っていくまめ吉を見ていたくない。つきあえない。」
という本音もありました。嫌なものを見たくない。知らないでいたい。
「逃げ出したい。この問題から。」
責任を他に投げて(こんな運命にある自分を嘆く・猫に出会ったことを悔いるなど)
自分は関係ないところにいたい、という気持ち。
おげー
見ちまったぜ。
このままずっと悲しんでいても(今の自分を正当化していくこと)
なんの発見もないよね。そんなの地獄だね。ごめんだね。
私もまめ吉もしあわせになれないね。
視点を変えたら、違う世界がみえるはずだ。
タロットを引きました。
出たカードは「愚者」。
そうだ。
どの命にも「無」から有を生み出す力がある。
はかりしれない可能性。
わたしが忘れていたのは
命への「信頼」と「敬う心」だったんだ。
大切なことをわすれて
わたしはただこの状況を嘆いていたんだ。
嘆きと悲しみはまめ吉のものではなく
自分のものだったということ。
自分のものだったということは、
わたしが変えていけるということ。
腹をくくれ、木の葉!
まめ吉が気づかせてくれたこと。
「無」の深い厳かな光の世界。
ありがとうね、まめ吉。
君がもっともっと愛おしくなった。
(でも泣けちゃうんだよ
うえーん(笑))
おいらの命を生きるのにゃ!
心配ご無用!
よっしゃ~!おいらもいっしょだ~あっちいこー!
(by友人のねずみくん)
わーい!(byまめ吉&ねずみくん)
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