震災から2年たちましたね
当時の激しい揺れと
テレビからみたあの津波の怖さを思い出します
陸前高田
瓦礫は少なくなったようですが
何の変化もないみたいですね
一日も早く復興を前に進めてほしいです
今、家を建てるにしても
大工さんが足りないようですし
地方から集めるにしても
大工さんの寝泊まりする場所が
ないようですからそこからですよね~
私の叔父も茨城で大工をしていました
叔父といっても私と8歳しかかわらず
主人と同じ歳
おじさんと呼ぶより
お兄ちゃんと呼んでいました
震災当時は息子2人も大工なので
大洗の方で一緒に仕事中でした
津波から逃れながら帰宅したようです
自宅
は茨城でも福島よりなのでかなりの影響はあったようです
自宅から戻ったら
隣り近所のお家の瓦が壊れ
毎日のように
屋根を直していたようです疲れもたまり突然のように
倒れ亡くなりました
亡くなる少し前に電話で話したのが
最後でその時のテープは
今でも消すことができません



今では自宅は危険区域
になり新しく家を建ててはいけない場所になりました



小さい頃から

毎年遊びに行っている所
故郷がなくなってしまった
虚しさが続きましたが
父であり親方である叔父を無くし
子供たちは大工としては一人前までは行っておらず
今では会社に所属し
大工として働いております
叔父も無念だったと思います



近い将来、子供たちも被災地で働くこともあるかもしれません
受け皿もしっかりしてほしいです
復興は時間をかけてはいけないと思いますが
政治面、手続き面でかなりの時間がかかるのでしょうか?
一年後、全く変わっていないのでは
悲しすぎますよね~



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