第3回|都立病院時代:年収1430万でも「心がすり減った」理由
3年目に所属していた上司からの紹介で、4〜5年目は都立病院にて後期研修。
年収は1430万円に跳ね上がり、人生で初めて“1000万円プレーヤー”になりました。
でも、胸を張って喜べたかといえば…まったく違います。
この時期は人生で一番、心が疲れた2年間でした。
都立病院での基本給は月55万円。
外来は週2回30−40人を9−17時まで診察し、その前後の時間で病棟は10人以上の担当、当直は月4〜5回。
朝は7時半前から、夜はエンドレス。
帰宅しても眠りにつく前まで患者さんのことで頭がいっぱいで、臨床が嫌いになりそうでした。
アルバイトは3つ掛け持ち。
・地方クリニックの外来(9万円/回)週1回全日
・寝当直(10万円/回)月1回
・専門外来アルバイト(4.5万円/回)週1回午後のみ
収入は増える一方、自由な時間はどんどん減り、日常は“こなす”ことで精一杯でした。
夏休みが取れたのは11月、卒業してからこの期間までは正月に実家に帰ったことはありませんでした。
独身だったからできた働き方だと思います。
年収は高かったけれど、この生活を続けたら多分、身体(心も含めて)を壊すなと思いました。
さらに驚いたのは、40歳の同じ科の先生が年収750万円、常勤のためアルバイト禁止という現実。
「働き方で、収入はここまで違うのか」と知り、衝撃を受けました。
もう一つ困ったのは、文献が一切読めなかったこと。
NatureもScience、Cell系統も、院内ではアクセス不可。
Uptodateも読めない。
“診療の根拠となる情報が手に入らない”ことに、危機感を覚えました。
そんな環境で患者さんが診療されていることを思うと、胸が痛む日も多く、「このままここにいたら壊れる」と直感しました。
働き方の限界を感じたこの頃、私は「お金との向き合い方」を本格的に考えはじめました。