私には兄が一人いる。
「子供は近い年齢で二人ほしい」と言っていた両親の思惑からは外れ、私は兄と六つ離れている。
私にはあと三人、兄がいた。
一人はまだ性別も分からないうちにいなくなり、兄の上と下に一人ずついた男の子は産声を上げることはなかった。
母は自分の流産体質を嘆き、一度は「一人っ子でもいいか」と諦めた。
でも、やっぱりどうしても女の子が欲しかったのは父の方だったらしい。
兄が小学校に上がる頃、やっぱり一人っ子は可哀想だと、でもこれで駄目なら諦めようと思った時に無事生まれたのが私だった。
父はそれはそれは喜んだという。
兄の時はしなかったオムツ変えも率先してやった。
私のことが可愛くて仕方なかった。
物心着いたときには、私はいつも父の隣に座っていた。
簡単な事を手伝わせては、駄菓子を買うくらいのおこずかいをくれた。
父は幼稚園、小学校と、行事があると必ずビデオカメラを片手に見に来てくれていた。欠かしたことは恐らくない。
私は小学校六年間、一位以外はほぼとっていない。リレーの選手も毎年選ばれた。村の陸上記録会では表彰台の一番高い場所に立った。音楽会ではピアノ伴奏も一度だけやった。
撮りごたえのある娘だったでしょう?と今なら誇れる。
何本もあるそのテープは、今でもそのまま実家にある。
その後も、高校の演劇部での県大会、東北大会までビデオを回してくれた。
その内、一番好きだった県大会でのテープは今私の手元にある。これは近い内にDVDに移そうと思っている。多分、父目線な撮り方のそのビデオを見ながら私は泣くと思う。
父は、昔から私のことが大好きだった。
私が疑いなく口に出来るくらいには大好きだった。
それをうっとおしいと思って口をきかなくなった時期もあった。
父が私を、私を取り巻く沢山の人たちを、どれだけ大切にしてくれていたか。
思い出しながら少しだけ書いていきたいと思う。