もし、自分の「誰か」に対する言葉が、
「他の誰か」のその人への印象を悪い方向に向かわせてしまうとしたら、それは口にするべきじゃないと思う。

けど、身近な「誰か」の行動が理解できなくて、悩んで、応えがでないときは、
「他の身近な誰か」はどう思うか知りたい時もある。
直接関係の無い人にならいいかなって思って、話したりもしてみるけど、
自分が同調された時、気を使ってもらってるにせよ、本心にせよ、
ほっとしたような気分にもなるんだけど、
何だか悪い事をしてしまったような、罪悪感が苦しい。

「他の身近な誰か」への忠告として、例え話みたいに伝える事もあるかもしれない。
それでも、おんなじように、なんだか苦しい。


自分の胸の許容量の理想と、現実が同じじゃないからいけないの。
選ぶのはいつでも自分なんだから、自分がどんなに混乱しても、悲しくても、誰も悪く無い。
自分の感情の責任は、自分にしかない。

誰かと一緒にいて、突然その人の事がわかんなくなっちゃって、もやもやしだしちゃったら、
気持ち伝えて、その人のほんとの気持ちも確認しなきゃ始まらないような気もするけど、

事実が何なのかもわからないし、見えてるものが、感じてるものが、全てな気もする。
だって結局、感情の物差しは、自分のでしか計れないし。

自分の思いを誰かにぶつけて、傷つくのも、傷つけられるのも怖いしな。

正解ってなんだろう。

みんなそれぞれのスタイルでやっていくのが一番って思うけど、
だからって、無免許居眠り運転で人の命を断ってしまった人間は許せないし、
おかしいって感じた場合、いつだって意見はするべきだって思う。

でも、どこからが「おかしい」のかわかんない。

自分の中には自分の「誠実」があるけど、他人からしたら全く「とんちんかん」なのかもしれない。

「人」とか、「生きる」とか、難しいなぁ。

大きかれ小さかれ、影響力を持って発言してる人って本当に凄いんだなぁって、

先生とか、芸能人とか、政治家とか。

よっぽど自己中心的な人か、よっぽど心の強い人か、よっぽど思い込みの激しい人じゃないと、やっていけないね。

そういえばそんな人しかいなさそうだ。

なんかここ最近、身体が凄く冷たい。

フィジカルな問題なんだけど、

体温が冷たすぎて、

あったかかった心まで浸透してしまいそうで怖いです。