今回のコロナの事で、ちょっと母がいなかったらご飯簡単でよかったのにと思ったりしました。

それこそ卵かけご飯でよかったのに。


母は、認知症なのでコロナでしんどいのか熱っぽいのかお腹痛くないのか、言ってくれないので察するしかないのです。

熱も嫌がって、体温計挟んでもきちんと計れているのか分からないし。

家の体温計は、実測なので時間がかかります。


2階の部屋で寝れば、室温高いし、私も様子が分からず、気になるのでゆっくり休めないし。


お互い気にして疲れても、別々に休めば体調が分からないし。


自分が熱でふらふらしているので、少しでも寝ていたいのに、時間になればご飯考えないと。


何もかもしんどい。


でも、逆に母がいたから、栄養考え、時間に合わせて動いて。


お風呂も、汗かいてるから今日は入れてあげたいと思うから力が入る。


いたらいなかったら、どちらもあるのでしょう。


誰もひとりでないし、ひとりだし。


もしもは、あるようでない、けどもしももを考える自分もいるし。


それが家族と言うものなでしょう。



皆さま介護をしているとそろそろ施設も考えようかなと思い、考えている自分を責めたりしますね。


家族だから、どちらに決めるか悩み迷うのでしょう。悩んでいるのが、責めたりするのが、優しさです。


だって本人は、分からないけどその人のこの先の一生を託されたのですもの。


いっぱい迷って悩んで、ケアマネジャーさんやデイサービスとかと相談しながら、その時のベストを見つけて生きたいですね。


その時のベストは、後で考えるともしかしたら違っていたかもと思えるかもしれません。でも、その時のベストです。


どちらを選んでも間違いない、最高の判断です。


それでも、自分を責める事があるのが人ですが、責める優しさに目を向けていきましょう。


ご訪問いただきありがとうございます。

まとまりない拙い文を、読みに来ていただきありがとうございます。


今日一日が、皆さまにとって笑顔の多い日であります様に。