昨日の続きです。


一昨日の夜に母が2階から私を呼んでいる声がしました。

行ってみると母が背中が痛いのと言います。


ぶつけた様子もなく思い当たるのは水分不足かなと思って、ソルティーライチを飲ませて休ませました。


寝る前に、とても穏やかにこのまま死ぬのかしらと言われて驚きました。

死ぬ事をこんなに穏やかに話すなんて、いつもの母からは考えられませんでしたから。


結局、飲んだらいつもの様に寝てしまい、翌朝何事もなかった様に起きて来ました。

母の死について、ちょっと考えてみました。


延命措置をしなかった方の最後をお医者様が書いていました。

食べたいものを食べて、でも胃も小さくなってきているので量も次第に減って、最後はお水も少しだけで、ゆっくりと木が枯れるように亡くなるとありました。


水分が減れば、食欲がなければ、トイレに行く回数も減り、体重が減るので、床ずれも減るのかもしれませんね。


体力も落ちて寝ている時間が増えるけれど、痰のからみとかはないそうです。


ずっと皆さん最後はピンピンコロリでと言いますが、そんな風に理想的には行かないですから。


でも、ピンピンコロリでなければ、寝たきりになったら、どんな風に死にたいですか。

いえ、最後の最後にどんな風な生き様で、生きたいですか。


まだずっと先ですが、ご家族で生き方について敬老の日とかに聴いてみる日にしてみませんか。

親だけではなく、お若い方も、いつ病気や交通事故で寝たきりになるかは分かりませんから。

年寄りに確認でなくて、互いに聴いてみる時があってもいいのではと思います。


こんな日記を書きながら、介護にもこれでいいのかと未だに思いながら、ついイライラしてと思っていた漠然とした不安は、延命措置しなければ、どうなるのかと言う不安だったかもしれません。


死は平等に誰にでも突然訪れるので、その時にすぐにどうするか選択の余地はないかもしれませんが。


或いは、希望していてもその時の病院や施設の対応で、必ずしも希望通りのならない事もあるかもしれませんが。

あくまで希望ですから、その時の状況により、変わるかもしれません、その時はその時でその状況の中で、その希望に添うような方法を選んでいきませんか。


まずは、ご自分も希望を言う事、相手の気持ちを知る事、そこが始めの一歩ではないでしょうか。


母は、認知症になる前から、身体を傷つけたくないが希望でした。

私も延命措置はしないでも、痛みは取って欲しいと思います。


ずっと死に様、いえ最後の生き様について書いて来ました。

ただ、あくまでも私の意見であって、違う考えの方もいらっしゃると思います。

そのご家庭や本人の希望もあります。お医者様の意見により変わる事もあります。


ただどうぞご自分の選んだ扉が正解ですから、ご自分を責めないで。


自分の人生でも、理想通りにならず四苦八苦しています。

介護は、介護する人の分も背負っているのですから、尚更です。


悔やんだり、責めたりするのも、それだけその人を大切に思っていたからこそです。


そして、最後は、介護される方にとって、どちらを選んで差し上げても、あなたが笑顔であればそれだけで、安心なのかもしれません。


みんなみんな、声に出して言わないけれど、そっと見守って、あなたの笑顔を待っています。


続く


ご訪問いただきありがとうございます。

一方的に私の意見を書きまして失礼致しました。

まとまりない拙い文を読みに来ていただきありがとうございます。


今日1日が、あなたにとって笑顔の多い日であります様に。