ヨブは主に答えた。
私は知りました。
あなたはどのようなこともおできになり
あなたの企てを妨げることはできません。「知識もないまま主の計画を隠すこの者は誰か。」
そのとおりです。
私は悟っていないことを申し述べました。
私の知らない驚くべきことを。
「聞け、私が語る。
私が尋ねる、あなたは答えよ。」
私は耳であなたのことを聞いていました。
しかし今、私の目はあなたを見ました。
それゆえ、私は自分を退け
塵と灰の上で悔い改めます。
(ヨブ記 42:1-6)『聖書 聖書協会共同訳』より引用
ヨブの難解さは私たち人間の何をするにも自己中心的に解釈しようとする罠に起因するのではないだろうか?
実際神は「聞け!答えよ!」なんて上から目線では仰らない。
「どう?わかる?どう思ってる?あなたはこういう人間性を持っているんだよ?」ってな感じで、私はいつも諭されている。
人の目や人の耳を気にしてる、そんなこと気にすることないよ!っと言って気にしないでいる人なんて実はいない…誰もが、自分が話したい
という衝動の欲に突き動かされている。
ただ神の目がどれほどのものか自覚するかしないかで、自分の判断は大きく変わる。手を出すか出さないか、一歩踏み出すか出さないか。神様が観ている!って言う視線の中で出来るか?するのを止められるか…
キリスト・イエスの目を真っ直ぐに見て「私は…」と果たして弁明できるだろうか…