いわゆるHow To本というものを買ってみた。

フィクション・ノンフィクションに関らず物語でない本を自ら手にしたのは人生で初めてだ。

本の名前は

「働く理由」。。。。。。。。。そのまんま。

悩みが大きすぎて手の付けようがないので、このひねり気の無い題の、この本なら私の巨大なモヤモヤに体当たりしてくれるのではないかと思った。



読み始めて、最初の行。

だめだ、何度読んでも頭に入ってこない。拒絶してしまう。

何度も何度も何度も何度も読み返してやっとこさ進んでいく。

3ページ。読み返さなくてもよくなってきた。ただ、横でついてるテレビで所々気がそれてしまう。

20ページ。ペンを持った。自分の考えを本に書き込んでいく。

30ページ。蛍光マーカーを持った。文章に線を引いていく。

もう何の音も気にならない。早く先を読みたいとあせる気持ちと、1言1言噛み締めて考えなきゃ無意味になってしまう、という自制心。




「1度は人の意見を聞く」なんて嘘をついていた。

対面していれば、人がしゃべっている時に遮る様なことをして不躾に思われたくない、という気持ちから人の意見を聞いているふりをしていただけだ。

聞いてなんていなかったんだ。

腹の中で反発することばかり考え、言い負かす方法を模索し、相手が口をつぐんだ途端私にスポットライトが当たったかのごとく主人公になる。



本を読み始めて、一方的に言い分を突きつけられ、質問も私の考えも聞き入れてもらえない状態に相当なストレスを感じた。10ページくらいまではストレスで涙目になって読んだ。頭が拒否して、文章がうまく頭に入ってくるまでに何度かの読み返しが求められた。

そのうち、読み進める(聴く)ことができるようになった。でも、やっぱり腹の中は「自分」でいっぱい。

私は、私だったら、私に置き換えると、わたしならば、私、私、私、、、、、



今日考えた中で解ったことは、私は考えることが好きだ。

でも、私1人がたかが21年間の中で経験してきたことを基にして「考えること」をしていたら、その力はなんて無力なんだろう。もし、もう一人の私とは別の人生を送ってきた「私」の経験も生かして考えることができたならば、考える力は比例はしなくても大きく広がりを見せることだろう。

ああ、わかった。みんな「私」なんだ。

「みんな」は私なんだから、それを言い負かすのはおかしい。




競争意識、闘争心が強いのは仕方ない。良い面だって少なからずあるだろう。

物事が長短の両面を持ち合わせるのは当たり前のことだ。

でも、そこから短所を消すことが出来たらそれは凄く力を付けるチャンスを増やすこととなるだろう。



これは「黒い箱」から脱却するチャンスかもしれない。


黒い箱は何が入ってるか確認できなくて、周囲の人が「きっと中身はすばらしいことでしょう」と言ってくれて、それに黒い箱は満足している。

みんなはまっくろなその箱の中身を無理に見ようとしたりしない。

黒い箱もあけて欲しくない。

だって、すばらしい中身なんて入ってなんかいやしない。


空っぽを、見せる勇気ではなくて、空っぽに詰める努力をしたらいいんではないか。