山鹿での米米惣門ツアーの締めに案内されたのはお寺でした。
しかし着いた頃には、参加する前に「なぜお寺に行くのだろう?」
という疑問を抱いたことはすっかり忘れていました(笑)
まず注目すべきはこちらの門。
分厚い木の板が扉になっています。
表面は風化して年輪が浮き出していますが
まだまだがんばってくれそうな迫力があります。
と、案内をしてくださっているせんべい工房のご主人から
スゴイお話が…
「この扉に使われている木は加藤清正公が熊本城を作るときに
献上した木の一部なのですが節が多かったため天守閣に使う
ことは出来ないと返品されたものである」とのこと。
熊本城は火事で焼失したことがあり、築城400年を過ぎましたが
復元したものは400年前のものではありませんよね。
しかしこちらの門は城に使われるはずだった木であり
402年前の物ということになります。
続いてご主人曰く、「熊本城とどちらがすごいのか…というお話ですね」
う~ん。なんだか不思議な感じです。
熊本城に使われず返品されたから燃えずに残ったという
。。。不思議な運命ですね~
続いて、本堂の横にある変わった形の蔵のお話になりました。
今は納骨堂になっているとのことでしたので写真はてっぺんだけ。
この蔵は江戸時代に山鹿一の米問屋さんが寄進した一切経という
お経、3000冊を収めるために作られたそうです。
この米問屋さんはこの一切経を買うために京都まで40㎏の銀を
荷車に乗せ、襲われないようにみすぼらしい味噌商人になりすまして
運んだそうです。
そしてこの一切経は、蔵に収めてあるものをぐるっと一周眺めただけで
読んだことになるという手抜きできるありがたいお経と言われ
その頃は評判になり毎日行列ができたため
この辺りの店などが栄えたそうです。
これで繋がりましたね! お米とお寺(σ`・ω・)σ
普段、聞くことのできない面白いお話でした。
町並みも建物も風情がありますので、たまにはこういう
ところに行ってみるのもいいものですね~♪