みなさんコンニチハ♥akn♥


今日から4月ですね!!


新年度ですねアップ


まだ、全てが日常に戻ったわけではないけれど


気持ちを切り替えて前に進もうと思います!!


まだまだ悲しい気持ち、怒り、色んな気持ちがあるけれど


それでも、いつまでも立ち止まってるわけにはいかないからねビックリマーク


今までメッセ、ピグ部屋への差し入れ・お手紙、


なうのコメント、ペタ、プレゼント


たくさんの応援・励まし、ホントにありがとうしょぼん


今まで苦しくて、ペタのお返しも、みなさんのブログへの訪問も


全然出来てなかった恩知らずの私ですが


また少しずつ再開しようと思います。


ずっと閉じてたコメント欄も、また少しずつ開けようとも思ってます。


今まで見守っていてくれたみなさん、本当にありがとう。


少しずつ今までと同じスタイルに戻そうと思うので


また今まで同様、それ以上によろしくお願いします。



さて、今月一発目の記事ですが、明るい話題で行かせてもらいまーすチョキ


昨日、遠方から支援物資が届きました~喜ぶ


ブロ友Cちゃんから届いた物資はコチラですこれ



箱いっぱいに色んなものが詰まってましたしょぼん


写真には写しきれてないけれど、ハムやらソーセージやら


麺類やお菓子まで、本当にたくさんのものが詰まってて


くにょんと二人で大感激パンダ泣く


本当にありがたいことです。


Cちゃん、遠く離れた福島に住む私の為にありがとうパンダ泣く


品物と一緒に温かい気持ちをいただきました。


被災地とそうじゃないところ、ちゃんと繋がってるんだね。


同じ日本なんだな、日本の再生力ってすごいんだなーって


宅急便の復旧で思う私なのでした笑


そして早速、昨日の夕飯にいただいちゃいましたむふっ。これ



桜の形のハムなんて、超カワイイよねラブ


味もめちゃめちゃよかったですグッド!


ごちそうさまでしたドキドキ



お餅を送ってくれた岡山のTさん


マンガと食器を送ってくれた三重のMちゃん


たくさんの食料を送ってくれた広島のCちゃん


岡山も三重も広島も、未だ未踏の地ながら


みんなと繋がっていられる事に感謝です好


気持ちも空も海も繋がってるんだね。


本当にありがとう♥akn♥


さぁ~て!!元気出して頑張るぞアップアップアップ


クローバー本当の空がある福島よりクローバー



来たよ!!の足跡つけてもらえると嬉しいですドキドキ

             これ

     ペタしてね



地震後駐車場・車に避難していた私とお隣さん家族(+犬w)


お隣の旦那さんは仕事で関東に行ってるらしく


そっちはそっちで大変そうで、帰って来れるかどうか・・・と


子どもと自分だけで大丈夫かなって、心細そうでした。


だから、私が居てくれて心強いーって、何度も言ってたなぁ


お隣さんたちと車の中で、興奮状態のまま地震の話をしてると


まずはお隣の旦那さんの実家(徒歩5分)の義母が


心配して様子を見に来ました。


その後くにょんが帰って来て、くにょんの顔を見て


その時に初めて


助かったんだーって、心から、やっと安心出来たかなぁ


その後はみんなで話してて、さて、これからどうしよう?て事になり


一度家に戻って、上着やら貴重品やらを持って来た後


まずはトイレに行こう!って事で、駅のトイレに向かいました。


駅には電車を待ってたと思われる人がいたかな。


トイレから出ると、携帯の捜索に失敗したお隣さんが


公衆電話から電話を掛けていました。


緊急時には無料になる電話だったようで


お金が戻ってきたー!!って驚いてた(笑)


で、それからどうしよう?って考えて


家に戻るのは危険だし、無理


じゃ、緊急時の避難場所はどこだ?ってなって


多分中学校だったよって言ったら


駐車場で避難してた時、近所の中学生が通りかかって


その時に中学校の校庭も何だかヤバイって話を聞いてたので


中学校もやばくね?って


じゃ、どこ?って話してたら、ちょうど市の車が避難場所の案内してたのか


避難場所を教えてくれたので、とりあえずそこに行く事にしました。


避難場所に着くと、そこも床や壁にひびが入ってて


それはそれで怖かったけど、他に行くあてもなく


その日はそこで過ごす事に決めた私たち。


どのくらいの広さかわからないけど、畳の部屋が二つあり


手前の部屋は結構人がいたので、次の部屋に行くと


4組くらいの家族がいたくらいで、その部屋には余裕がありました。


その部屋にはテレビがあったので、私たちはテレビ前に落ち着く事に。


すぐにテレビを付けてみると、どのチャンネルも地震の事、津波の事を


興奮状態で伝えていました。


テレビを見たり、おしゃべりをしたりして過ごしてると、人もどんどん増えてきて


気付いたら部屋もいっぱいになってました。


毛布は来た時にすぐに一人一枚ずつもらったけど


後から来た人の分まではなかったみたいです。


避難所に来て大分落ち着いた私は


何とか実家の人と連絡を取ろうと思っても


電話も携帯も繋がらず、EZwebも繋がらない状態で


全ての連絡手段を絶たれてしまっていました。


実家の人たちはどこで一晩過ごすんだろう。


今どこにいるんだろう。


姪っ子たちは無事なのだろうか。


色んな事考えながら、そして次々に襲う余震に怯えながら


避難所で避難してました。


そんな感じで悶々と過ごしていたら、姪っ子からの着信が!!


繋がって少し話してすぐに切れてしまったんだけど


家の駐車場の車の中にいると言ってて


私が居る場所を伝える前に電話が切れてしまったので


実家にみんなを迎えに行きました。


そしてみんな揃って避難所で一晩明かすことになったわけです。


家族みんなの無事が確認できて、一緒に避難できてる事は


その時の私の最大の心配事が解決したという事でした。


めちゃくちゃになった家の事


尚も続いている大きな余震


これからの事


色々不安はありましたが、大切な人の無事が確認できた事


それだけで充分でした。



夕飯にはお湯を入れるタイプの非常食が出ましたよこれ



味は、まぁ美味しくはないけれど食べられる味です。


このご飯が配給された数時間後に、希望した人にはおにぎりがもらえました。


お茶も一人2本くらいの割合で配られましたが


うちは一人1本ずつをありがたくいただきました。


その後は延々とテレビを見ながら、余震が来るたび逃げる準備をして


一睡も出来ず朝を迎えたのでした。



私の避難していたところは畳の部屋があり


暖房もあって、入り口に1台だけだけどファンヒータもあって


食べ物も人数分行き渡るくらいあったし


かなり恵まれた環境だったと思います。


それでも寒かったな~


朝は一人一個ずつパンが配られ、そのパンを食べて


私とくにょんは避難所を後にしました。


家に着いてすぐに電話を繋ぎ、Wi-Fiを繋ぎ


そこで初めて、みんなからのメッセやメールを確認できました。


そこで改めてたくさんの人が心配してくれていた事を知り


今の私の現状を伝えなきゃ!!と思い


未だ興奮状態のままでの乱文だけど


逸る気持ちでブログをUPしました。


そんな中でのUPだったのでコメ欄開けたまま


気が付かずにUPしてしまったのですが


そこでもたくさんのコメントをいただき、本当に嬉しかったです。


みなさん、本当にありがとう。


ブログをUPして、さて、片付け開始です。


早いうちに片付けないと、いつまで経っても片付けられないと思い


靴を履いたまま散らばった食器から片付けました。


ゴミ袋何枚分になったかな?


かなりの量の割れた食器やら鍋を片付けました。


片づけしてると家の電話が鳴りました。


この時は繋がってたんだね。


電話の相手は静岡の伯父からです。


すごく心配して電話してきたみたい。


私たちも、母たちも無事だと言ったらすごく安心してました。


そして、ナゼか母のところの電話番号がわからないから教えてと(笑)


なので実家の電話番号を教えました。


その後実家に電話を掛けたみたいです。


そして私たちは、ひたすら家の片付けに追われてました。


幸いにも水もガスも電気も大丈夫だったし


いつもはあまりありがたくないのかもしれない


ストック癖が功を奏し、食べ物もまったくないって状況でもなく


他の人に比べたら恵まれてる環境下だったと思います。


というか、その時は今の事をどうにかする事で精一杯で


先の事なんて考えてる余裕もなかっただけだったのですが。


地震翌日に家に戻り、1日掛けて


やっと生活できるレベルになった我が家なのでした。


すっごく疲れたけど、夢中だったので案外早く終わった感じです。


落ち着いて見れば見るほど、家の中の悲惨さが目に付いて


これが本当に私が生活していた場所なのかと


ボーゼンとしましたが


そんな事が遠い過去のような


もう思い出したくない過去のような


そんな気持ちで今現在を過ごしています。


これから先も、この日の事を忘れる事は決してないでしょう。


地震速報が鳴るたびに、この日の事を思い出すと思います。


相変わらずの余震に怯え


精神的に不安定になり


毎日のように泣いていたとしても


それでも今の私は生きている。


そして、これからも。


今の私は日常を取り戻しつつあります。


でも、未だたくさんの人が避難所生活


ライフラインの復旧してない地域もたくさんある。


もっと過酷な生活を強いられてる人にも


早く穏やかな日常が戻ってきますようにと


原発で避難させられてる人達が


1日でも早く帰って来れますようにと


心から願っています。


LOVE 福島


LOVE 東北


LOVE 日本


1日も早く復興して、みんなに笑顔が戻ってきますように・・・





みなさんおはようございます♥akn♥


怒涛のごとく過ぎていった2011年の3月。


もう二度とこんな事ゴメンだわ。



さて、ずーーーっと頓挫していた地震当日の詳細の続きを


いい加減終了させようと思います。


最初に書いた時は勢いで書けたけど


日が経つにつれて、その悲惨さ、残酷さを目の当たりにする機会が


どんどん、どんどん増えて来ると共に、続きが書けずにいました。


だけど、このまま中途半端にしてはいけない。


風化する前に、記憶が褪せる前に、そして何より今月中に


終わらせなければいけない。


そして、少しずつ気持ちを前に進めるためにも必要な事だと思いました。


私の記録なので、興味の無い方はスルーしてくださいね。


前回の記事を書いてから2週間以上経っているので


その時の内容を忘れてる方も多いと思うし、読んでない方もいると思います。


前回の記事の内容はコチラ→


興味のある方は読んでみてくださいませ。


では、地震当日の詳細の続きですこれ



頭が真っ白のまま、でも今外に逃げないと次に大きな地震が来た時に


絶対に逃げられなくなる。


そうなった時こそ死ぬ時だ!と思い、靴やら何やらが散乱する玄関で


車の鍵を探しました。


我が家は家の鍵も玄関の鍵も、玄関の下駄箱の上に置いてあるので


鍵を探し出すのはそんなに難しい事ではなかったと思われます。


「思われます」というのは、定かな記憶がないから。


何とか車の鍵を見つけ出し、もこもこ靴下のせいで靴が履けなかったので


くにょんのクロックスを履き、携帯と車の鍵だけを持って


上着も着ないで着の身着のまま私が外に出ると


お隣の奥さんと2人の子どもたちがいました。


奥さんはすぐに私の元にやって来て


「よかった~。車があったからいると思ってピンポン鳴らしてたんです」


って言ってた。


そういえば、リビングから出ようと食器を寄せてた時に


ピンポーンって鳴ってたような気がしたけど


それも倒れて勝手に鳴ってるんだと思ってた私。


音は認識してても、どうしてその音がするのか


そこまで考えてる余裕はなかったから、理解出来てなかったんですね。


そして外に出てお隣さんと遭遇して、


玄関の外も大変な事になってた事に気付きました。


頑丈なガスメーターの扉は開き、


固定して積んであった車のタイヤは、見事にばらばらになってるし


その光景を見ただけでも、地震の大きさ、異常事態だという事が窺い知れました。


タイヤを寄せて歩くスペースを確保し


お隣の下の子を連れて、急いで駐車場に逃げました。


お隣の奥さんは上の子を連れて、すぐ後から来ました。


下の子は恐怖に怯え、泣きじゃくってて


私も怖くて震えが止まらなかったんだけど


泣いてる子どもを見て、少し冷静になれたかな。


大人だってこんなに怖いのに、子どもだったらどれ程だろう。


そう思ったら、大人の私がしっかりしなきゃって、そう思いました。



駐車場に着いた私は、まず車に乗り、繋がるわけないって思いながらも


一生懸命くにょんに電話をしますが繋がりません。


こういう時ってバッテリーが減るの早いから


少し冷静になって考えようと、電話を掛けるのを辞めた私。


そして次に、震える手で「なう」に書き込みました。


私ね、ちょうど地震が来た時にピグ友さんとピグしてたの。


彼女は遠方に住んでるから、きっと彼女のところは揺れてない


何事かと心配してるに違いない


それに、私が福島に住んでる事を知ってるブロ友さん達だって心配してる


そう思ったので、すぐになうに書き込みました。


それだけでも私の無事を知らせる事ができると思ったから


そして次に車のラジオを聞いて情報収集しようと思いラジオを付けるも


何も頭の中に入ってきません。


何とかくにょんと連絡を取りたくて、再度チャレンジするも撃沈。


これからどうすればいいのだろう?


すぐ近くに住む足の悪い母の事も心配。


でも、今ここから動くわけにも行かない。


そんな事を考えては途方に暮れてた私。


どのくらい時間が経った時なのか、きっと時間にすると30分くらいなのかな


くにょんから電話が掛かって来たんです。


とっても心配してくれてたんだろうな。


何度も何度も掛けて、やっと奇跡的に繋がった瞬間でした。


そしてパニックになってる私に、落ち着いた優しい声で


私がどこにいるのか確認して、そのままそこにいてねって。


パニックで何を話してたかわからないけど


私の無事を確認して安心した様子でした。


そして、話してる途中で電話が切れました。


でも、くにょんと連絡が取れた事で少し安心した私でしたが


今度は実家の母がとても心配になり


何度も歩いて様子を見に行こうかどうしようか悩んで


でも、歩いてる途中でまた地震が来たら・・・と思うと


今いる安全な場所から離れられずにいました。


雪が降る中、車の外でお隣さんと話してたら


仕事を切り上げた妹が私の様子を見に来てくれました。


実家の母も無事だと、地震が大嫌いな私を心配して様子を見に来たと


そう言って、私の無事を確認し、安心して


次は下校途中の下の子を探しに学校に行って来ると言い帰って行きました。


内容は濃いけれど、地震が起きてから1時間も経ってなかったと思います。


お隣さんも私も、こんな事があって不安だったので


お隣さんの車に乗せてもらい、一緒にテレビ見てました。


テレビを見て「未曾有の大震災が襲ったんだ」と初めて認識した瞬間でした。



~続く~