地震後駐車場・車に避難していた私とお隣さん家族(+犬w)
お隣の旦那さんは仕事で関東に行ってるらしく
そっちはそっちで大変そうで、帰って来れるかどうか・・・と
子どもと自分だけで大丈夫かなって、心細そうでした。
だから、私が居てくれて心強いーって、何度も言ってたなぁ
お隣さんたちと車の中で、興奮状態のまま地震の話をしてると
まずはお隣の旦那さんの実家(徒歩5分)の義母が
心配して様子を見に来ました。
その後くにょんが帰って来て、くにょんの顔を見て
その時に初めて
助かったんだーって、心から、やっと安心出来たかなぁ
その後はみんなで話してて、さて、これからどうしよう?て事になり
一度家に戻って、上着やら貴重品やらを持って来た後
まずはトイレに行こう!って事で、駅のトイレに向かいました。
駅には電車を待ってたと思われる人がいたかな。
トイレから出ると、携帯の捜索に失敗したお隣さんが
公衆電話から電話を掛けていました。
緊急時には無料になる電話だったようで
お金が戻ってきたー!!って驚いてた(笑)
で、それからどうしよう?って考えて
家に戻るのは危険だし、無理
じゃ、緊急時の避難場所はどこだ?ってなって
多分中学校だったよって言ったら
駐車場で避難してた時、近所の中学生が通りかかって
その時に中学校の校庭も何だかヤバイって話を聞いてたので
中学校もやばくね?って
じゃ、どこ?って話してたら、ちょうど市の車が避難場所の案内してたのか
避難場所を教えてくれたので、とりあえずそこに行く事にしました。
避難場所に着くと、そこも床や壁にひびが入ってて
それはそれで怖かったけど、他に行くあてもなく
その日はそこで過ごす事に決めた私たち。
どのくらいの広さかわからないけど、畳の部屋が二つあり
手前の部屋は結構人がいたので、次の部屋に行くと
4組くらいの家族がいたくらいで、その部屋には余裕がありました。
その部屋にはテレビがあったので、私たちはテレビ前に落ち着く事に。
すぐにテレビを付けてみると、どのチャンネルも地震の事、津波の事を
興奮状態で伝えていました。
テレビを見たり、おしゃべりをしたりして過ごしてると、人もどんどん増えてきて
気付いたら部屋もいっぱいになってました。
毛布は来た時にすぐに一人一枚ずつもらったけど
後から来た人の分まではなかったみたいです。
避難所に来て大分落ち着いた私は
何とか実家の人と連絡を取ろうと思っても
電話も携帯も繋がらず、EZwebも繋がらない状態で
全ての連絡手段を絶たれてしまっていました。
実家の人たちはどこで一晩過ごすんだろう。
今どこにいるんだろう。
姪っ子たちは無事なのだろうか。
色んな事考えながら、そして次々に襲う余震に怯えながら
避難所で避難してました。
そんな感じで悶々と過ごしていたら、姪っ子からの着信が!!
繋がって少し話してすぐに切れてしまったんだけど
家の駐車場の車の中にいると言ってて
私が居る場所を伝える前に電話が切れてしまったので
実家にみんなを迎えに行きました。
そしてみんな揃って避難所で一晩明かすことになったわけです。
家族みんなの無事が確認できて、一緒に避難できてる事は
その時の私の最大の心配事が解決したという事でした。
めちゃくちゃになった家の事
尚も続いている大きな余震
これからの事
色々不安はありましたが、大切な人の無事が確認できた事
それだけで充分でした。
夕飯にはお湯を入れるタイプの非常食が出ましたよ![]()
味は、まぁ美味しくはないけれど食べられる味です。
このご飯が配給された数時間後に、希望した人にはおにぎりがもらえました。
お茶も一人2本くらいの割合で配られましたが
うちは一人1本ずつをありがたくいただきました。
その後は延々とテレビを見ながら、余震が来るたび逃げる準備をして
一睡も出来ず朝を迎えたのでした。
私の避難していたところは畳の部屋があり
暖房もあって、入り口に1台だけだけどファンヒータもあって
食べ物も人数分行き渡るくらいあったし
かなり恵まれた環境だったと思います。
それでも寒かったな~
朝は一人一個ずつパンが配られ、そのパンを食べて
私とくにょんは避難所を後にしました。
家に着いてすぐに電話を繋ぎ、Wi-Fiを繋ぎ
そこで初めて、みんなからのメッセやメールを確認できました。
そこで改めてたくさんの人が心配してくれていた事を知り
今の私の現状を伝えなきゃ!!と思い
未だ興奮状態のままでの乱文だけど
逸る気持ちでブログをUPしました。
そんな中でのUPだったのでコメ欄開けたまま
気が付かずにUPしてしまったのですが
そこでもたくさんのコメントをいただき、本当に嬉しかったです。
みなさん、本当にありがとう。
ブログをUPして、さて、片付け開始です。
早いうちに片付けないと、いつまで経っても片付けられないと思い
靴を履いたまま散らばった食器から片付けました。
ゴミ袋何枚分になったかな?
かなりの量の割れた食器やら鍋を片付けました。
片づけしてると家の電話が鳴りました。
この時は繋がってたんだね。
電話の相手は静岡の伯父からです。
すごく心配して電話してきたみたい。
私たちも、母たちも無事だと言ったらすごく安心してました。
そして、ナゼか母のところの電話番号がわからないから教えてと(笑)
なので実家の電話番号を教えました。
その後実家に電話を掛けたみたいです。
そして私たちは、ひたすら家の片付けに追われてました。
幸いにも水もガスも電気も大丈夫だったし
いつもはあまりありがたくないのかもしれない
ストック癖が功を奏し、食べ物もまったくないって状況でもなく
他の人に比べたら恵まれてる環境下だったと思います。
というか、その時は今の事をどうにかする事で精一杯で
先の事なんて考えてる余裕もなかっただけだったのですが。
地震翌日に家に戻り、1日掛けて
やっと生活できるレベルになった我が家なのでした。
すっごく疲れたけど、夢中だったので案外早く終わった感じです。
落ち着いて見れば見るほど、家の中の悲惨さが目に付いて
これが本当に私が生活していた場所なのかと
ボーゼンとしましたが
そんな事が遠い過去のような
もう思い出したくない過去のような
そんな気持ちで今現在を過ごしています。
これから先も、この日の事を忘れる事は決してないでしょう。
地震速報が鳴るたびに、この日の事を思い出すと思います。
相変わらずの余震に怯え
精神的に不安定になり
毎日のように泣いていたとしても
それでも今の私は生きている。
そして、これからも。
今の私は日常を取り戻しつつあります。
でも、未だたくさんの人が避難所生活
ライフラインの復旧してない地域もたくさんある。
もっと過酷な生活を強いられてる人にも
早く穏やかな日常が戻ってきますようにと
原発で避難させられてる人達が
1日でも早く帰って来れますようにと
心から願っています。
LOVE 福島
LOVE 東北
LOVE 日本
1日も早く復興して、みんなに笑顔が戻ってきますように・・・