まじめな演奏家 |  ヒマジンノ国

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最近の演奏家は皆真面目ですね。

 

先日のブレハッチのコンサートを聴いて、そう感じました。1音ずつ微妙なニュアンスを付けているのを聴くと、これは推測ですが、相当に全体の解釈を固めてから演奏しにきているな、と感じました。あれぐらい詩情が出るということは、当然即興の要素もあるとは思うんです。しかし、演奏が全く崩れないし、どの部分も良く聴こえてきます。かなり確信がないと、ああいう表現はできないんじゃないかと、勝手に思っています。

 

以下はあくまで個人的な意見ということで、ご了承ください。

 

 

ちゃんと全体が聴こえてくるというのは、最近の教育とか、コンクールのせいなんでしょうか。コンクールを出ていない、H・J・リムのベートーヴェンなんかを録音で聴いていても、音が団子になって聴こえてきたりします(・・・まあ、最近は、コンクールを出ていてもバリバリ系は多いのかな(^-^;?分からないことも多いですが・・・)。リムにとっては、曲そのものが追及の対象なんですね。コンクールを出ている、ブレハッチには、聴衆が審査員みたいな感じなんでしょうか。

 

単純に個性なのかもしれませんが、ブレハッチには、弾き手側にも、どう聴かせているかという、絶妙な客観性もあるという印象を持ちました。

 

5月にヒラリー・ハーン、4月にトリフォノフが来日するんですが、これは予定があわず、断念しました。ハーンはブラームスのソナタをやるらしい。割としつこい、ハーンのヴァイオリンの音色はブラームスと相性がよさそうで、実演で聴きたかったです。トリフォノフも、あの密度の濃い情熱を、生で体験したいと思っているんですが、今年も予定が合わずです。

 

カミーユ・トマも聴きたかったんですが、これも予定は合いませんでした。ドヴォルザークをやったそうで、一般の、聴いた方の論評なんか読んでいました。前の来日時もドヴォコンでしたよね。世間の意見は、好意的半分、批判半分でしょうか。自分は聴いてないので、どんな具合かは良く分かりません。

 

トマを録音で聴くと、サン・サーンスのサムソンとデリラ(「あなたの心に声は届く」チェロ編曲版)、オッフェンバックの「ホフマンの舟歌」、ラヴェルの「カディッシュ」とか、お国モノが良いと思うんですね。ファジル・サイのコンチェルトもかなり面白いです。

 

どうでしょう?ドヴォルザークでは実力は計りがたい気がします。最近の聴衆も、批評がまるで、コンクールの審査員みたいな方も多いですからね。そういうのも大事だと思いますが、そういう批評では分からないことも実際は多いのではないでしょうか。ジャック・ティボーなんか、ブラームスのコンチェルトをやると、無茶苦茶だったそうですが・・・。最近の演奏家は、技術的には、そこまでではないとしても、聴き手側も「どういう部分」を評価するかで、演奏家の成長の伸びしろも違うんじゃないかと考えています。

 

技術的な間違いは指摘しやすい。しかし、そこから外れた芸術性は数値化できないので、評価されにくい。トマも、独特の優しさと爽やかさを持つ音色で、嵌まると、はかないファンタジーの雰囲気を作り出します。その辺が個人的には好きですが、まあ、どんな塩梅かは、1度実演を聴いてみないと分かりませんかね。

 

 

 

↑、カミーユ・トマのLP。レーベルスタンパーには、文字が鳥の形に配置されています。なんだろうと思っていたのですが、多分これはファジル・サイの作曲した、チェロ・コンチェルトを暗示していると思われます。「Song of Hope」(これはコロナ後の世界を表していると思います)と名付けらた、第3楽章では、何の楽器なんでしょう?細かく鳴る音がまるで小鳥のさえずりのように聴こえます。アラビア風の音楽に乗って、市場でも散策しているような、不思議な音楽です。アルバム全体の内容としては、上述のファジル・サイの新曲や、ジョン・ウィリアムズの曲を含んでいて、最近のグラモフォンらしい、チャレンジングな内容かと思います。

 

トマについては、批判派がかなり具体的な批判を行っていたのに対し、肯定派は曖昧に書ていたのはその辺に原因があると思います。曖昧にしか書きづらい、というか。

 

最初に最近の演奏家は真面目だな、と書きましたが、過当競争が激しいのが原因かなと思ったりします。演奏で食べていく人たちにしてみると、コンクールみたいな、公の評価を得られる状況はできる限りモノにしたい、とかね。毎年音楽家の卵は排出されるわけで、狭き門だと思います。コンクールはやはり技術優先だと感じますし。変な厳しさみたいなのが蔓延していないかな、と感じる時があります。完成度が高くないと、中々認められない世の中ですね。

 

ブレハッチの演奏を聴いていると、曲に対する解釈の密度の高さとか、漂ってくるポーランドのそのものの雰囲気とか、貴重な体験だったと思います。そしてこれは、ブレハッチに対する批判とかと別の話なんですが、とにかく完成度が高いとか、ミスが許されないとか、そういう雰囲気が最近のコンサートにはあるような気がしています。楽しんで聴いているかい?みたいな疑問はありますね。

 

まじめさとか真剣さは必要ですので、特段文句をいっているのとは違いますが、もうちょっと別の感じが欲しい時もあります。

 

 

33CX1701。

 

 

ホセ・イトゥルビの「ショパン・リサイタル」(1959)を聴きます。

 

これは聴いていると、とても優雅なんですね。音色もカラッとしていて、しつこくいないです。しかし不思議と深みもあると思います。

 

演奏者の肩の力が抜けていて、弾いている方も楽しんでいるのではないかと思わせます。時代のせいもありますが、最近の演奏家に、根っこから優雅さを感じさせる演奏は無理かなと感じますね。気軽さがないんですよね。

 

 

↑、ホセ・イトゥルビ(1895-1980)。ラローチャ以前の、スペインの国際的なピアニスト。日本で聴いている人はほとんどいないと思います。レコード収集している人はかろうじて知っている、というところでしょう。米国で活躍して、ハリウッドでは俳優としても活動しています(「錨を上げて」などに出演)。自分は好きなピアニストで、余裕のある、色彩感な演奏をします。アルベニスなんかが有名だと思います。ここに聴くショパンも彼の芸風にふさわしい、ワルツを含めた暗くない曲が多く、気軽に聴けて、なおかつ、うっとりさせる優雅さがあると思います。

 

こういう演奏は、今後の演奏家には、もう期待できないかな、という気はしています。