村上氏のレコード本 |  ヒマジンノ国

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最近も色んな事件が起きています。良い話が少ないですね。特に政治的なことなどは、先行き問題となることばかりな気がしています。ただ自分がブログで、これ以上書いてもどれぐらい意味があるか、ちょっと効果が分かりません。ある程度は書いてきた気もしますし・・・。結局それなりに、現実に問題が噴出してこないと、人は変わらないということなのかもしれません。自分は大衆とは考えが違うんだな、と実感するばかりです。

 

すいません、しばらく簡単な話題にします。

 

 

村上春樹著、「更に、古くて素敵なクラシック・レコードたち」(右側が新刊です)。

 

村上春樹氏のレコード本の続編です。クラシック音楽のアナログ・レコードのみ紹介しています。

 

前回の内容より、今回の方が村上氏の考えが反映されたものになっていると思いました。本人は「クラシック音楽の原理主義者」ではないということを標榜していて、個人の趣味的な演奏を選んでいるということらしいです。しかし、文章を読んでいると「クラシック原理主義者」ではないにしろ、「別の原理」をもって書かれている本だと思いますね。そうでもないと、こういう本は書けません。

 

大体ブルックナーなどは好みじゃないといいつつ、交響曲7番は上下に分けてまで紹介しています。これは本人の意向か、編集者の意向なのかは変わりませんが、あまり好きじゃない音楽家のことをしつこく書くのはどうかとは思います。やはり、一部ですが、理解のない言葉が並びます。ブルックナーなら、本の後半に紹介している、9番だけにした方が良かったとは思いますが・・・まあ、それでもこういう本は個人的には歓迎します。

 

今回はイタリア・オペラも紹介していますが、プッチーニを2曲のみで、ヴェルディでさえ紹介されていません。この辺も趣味が出ていると思います。他は前回通り渋い曲も多く、勉強になるかと思いました。

 

個人的には村上氏とは好きな傾向が違うかな、と思いつつ、紹介してあるレコードを見てみると、実際は自分も所持しているのと同じ音源であることが多いので、面白いです。ジャコモ・プッチーニ、「ラ・ボエーム」のレコードなど4種類紹介してありますが、自分は3種類まで同じ音源で、4種類目はレナータ・テバルディの音源で、彼は古い音源で、自分は新しい方という差だけです。

 

 

↑、村上氏の推薦する、シッパーズとビーチャム卿による、ボエームのレコード。後はカラヤン盤とモノラルのテバルディ盤を紹介しています。

 

ボエームのレコード |  ヒマジンノ国 (ameblo.jp)

 

↑、自分の所持している、ステレオのテバルディ盤です。

 

何だこうだで、他人と同じ音源を持っていたりすると嬉しかったりします。

 

レコード芸術が休刊になりますが、それこそCDではなく、アナログ・レコード時代からの雑誌だったわけで、もう少し最近の雑誌でもアナログ・レコードを紹介したらどうかとは思いましたけどね。かなりのアーカイヴなんかもあると思うんですけど。

 

情報が少ない時代には、レコード芸術のような雑誌は必ず必要だったと思います。そのような時代の演奏家にしても、今の演奏家の源流になるような大家ばかりで、録音される音源も必ずしも多くはなかったわけです。しかし、時代が過ぎ、大概のクラシック愛好家は過去の大家の録音は聴いてしまい、知識も持つようになりました。それはまさにこのような雑誌のおかげだったと思います。

 

現代は聴き手にもそれなりの知識ができ、それによって個人的な演奏の好みもはっきりするようになりました。雑誌が「この演奏を聴け」というような主張も、古い時代は通用したかもしれませんが、現代はそうもいきません。この手の雑誌の推薦盤は時に、一部の評論家の意図のみで発言されていたり、あるいはレコード会社に気を使っていたりするようなものが、入り混じっているとも思えたりで、真実味が無くなりました。腹を決めて利益相反になっても発言する人がいないと、評論など成り立ちません。しかし逆に、それが評論の弱点だったりするわけです。

 

聴き手もCDだけでなく、アナログ・レコードや配信などによって、音源を選べるようになり、一定の雑誌などが「これ」と主張できるものがリアリティを持たなくなりましたね。

 

ある程度の知識があれば、何を聴くかはまさに個人の自由になった、といって良い時代なのだと思います。

 

この傾向はもう止められないんじゃないかと考えています。