ウィーンの伝統 |  ヒマジンノ国

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最近聴いて1番感銘を受けたレコードのことを書きます。
 

 
ロベルト・シュトルツ指揮によるによる、レハールのオペレッタ「メリー・ウィドウ」(1958)。
 
SXL2022ー2023。デッカ。
 
 
オーストリア生まれの作曲家、ロベルト・シュトルツ(1880ー1975)の指揮による、フランツ・レハールのオペレッタ、「メリー・ウィドウ」の録音。オペレッタ、銀の時代最高傑作ともいうべきこの作品、「メリー・ウィドウ」の初演は1905年、12月30日。指揮者は作曲家レハール本人で、副指揮者は、このロベルト・シュトルツ氏だったそうです。
 
シュトルツ氏は若い時に晩年のヨハン・シュトラウスとも面会したそうで、自身もワルツやオペレッタを作曲した彼は、正にウィーンの伝統を引き継ぐ存在でした。1880年生まれといえば、指揮者であればフルトヴェングラーやブルーノ・ワルター、あるいはオットー・クレンペラーなどと同世代です。そんな人間が1975年まで生きていたのですから、ほぼ生きた伝説だった、といっても過言ではないでしょう。
 
本職は作曲家ですが、ワルツなどの指揮もしました。指揮のスタイルは本当に力づくでない、洒落たもの。
 
 

↑、ドイツやオーストリアでは切手になるような有名人らしいです。
 
レコードを初めてかけて驚いたのが、その瀟洒な雰囲気と鮮明な音質です。傷が多い盤で、ノイズがたくさん発生するのですが、それでもデッカ・レコードのオリジナル盤。初期ステレオの3大メーカー、コロンビア、HMV、デッカ。それぞれ特徴のある音質が楽しさの限りですが、生々しいリアリティはこのデッカのレコードが1番です。
 
レコードをかけてスピーカーから飛び出してきた、甘美な雰囲気。そのリアルさ。デッカの特徴である、音楽の細部の立体感を伴って、今まさに、古き良き時代の音楽が眼前に現れたようでした。この演奏に比べればボスコフスキーでさえずっと近代的です。
 
最近かなりの回顧主義に陥っている自分にとって、このような感銘を受けられることは大変幸せです。
 
20世紀も中葉になってしまうと、効率主義や知性主義が蔓延しだしますが、ここにあるのはそういう「主義」や「せわしさ」とは無縁の音楽だと思います。
 
理屈を忘れて、楽しむことができました。
 
主人公のハンナを歌うのが、ウィーンの華といわれたヒルデ・ギューデン(1917-1988)。この役はシュワルツコップが有名ですが、個人的にはギューデンの方がずっと好きです(シュワルツコップが悪いということではないです、名唱だと思います)。シュワルツコップという人は生真面目な人なので、歌が少し硬いんですが、ギューデンになると、いたずらっ子のような感じを出せるので、役にふさわしいと思います。
 
シュワルツコップは音楽的な美しさというべきですが、ドラマ的なチャーミングさではギューデンの方が上といいたい。声から笑顔が見えるようです。
 

↑、ヒルデ・ギューデン。
 
19世紀のパリの下町から発生したオペレッタは、貴族的な娯楽ではなくブルジョワの娯楽でした。それを芸術にまで高めたのがオッフェンバックで、キャバレーやカフェ・コンセールの影響を色濃く受けていました。オペラ座にもブルジョワたちは出入りしていましたが、オペラは貴族と皇帝寄り(貴族の没落はすでに始まっていました)ですから、「オペラ」という作品自体、取り澄ましていたのです。しかし新たに生活が充実した一般の人々にも、現実を忘れさせてくれる、開放的な楽しみは必要だったのです。そしてなおかつ、それが「芸術的たらん」としようとするところに、名作オペレッタの面白さがあると考えます。
 
ベル・エポックの絵画版がロートレックであったとすれば、音楽版がオッフェンバックだったといっても良いかもしれません。
 
オペレッタはのちにイギリスとオーストリアに広がりますが、ウィーンにおいてはフレンチ・カンカンよりもワルツということになり、作品の中に取り入れられていきます。
 
ワルツを含む、オペレッタといえば、ヨハン・シュトラウス。フランツ・レハールはもう少し後の作曲家でした(レハールはハンガリー生まれですが、ドイツ人)。
 
レハールのメリー・ウィドウは「ワルツ」とキャバレーの「カンカン」両方が取り入れられています。しかし改めて聴くと、フレンチ・カンカンが出てくるとやや俗っぽさが増すというか、そういう印象は出ますね。ワルツの方が幾分上品です。しかしカンカンはエネルギーが出るので、華やかになり、通俗的な楽しさが増します。
 
「メリー・ウィドウ」は、哀愁を帯びた懐かしいメロディと共に、ワルツやキャバレーの印象を織り交ぜた、忘れ得ぬ名作オペレッタといえるでしょう。
 
 
↑、前奏の冒頭。雰囲気は古い映画っぽい感じというか・・・。それがかなり生々しい感触で蘇ります。華やかですし、ヴァイオリンは溶けるように甘美です。
 
ただ・・・ノイズは多いです・・・(;^ω^)すいません。洗って落ちるノイズではないので・・・。
 
 
「Vilja, o Vilja, du Waldmägdelein, fass’ mich und lass’ mich Dein  Trautliebster sein,
 
 ヴィリア、おお、ヴィリア、森の妖精よ。私をつかまえ、お前の恋人にして
 おくれ。

 Vilja, o Vilja, was thust Du mir an?
 Bang fleht ein liebdranker Mann!
 
 ヴィリアよ、私にどんな魔法をかけたのだ。恋の病の男はうったえたので 
 す。」
 
 
↑、有名な「ヴィリアの歌」。
 
富豪の未亡人となった、ハンナ・グラヴァリは社交界で昔の恋人、ダニロ・ダニロヴィチ伯爵と出会います。かつて平民のハンナは、貴族のダニロと、身分の差のせいで結婚できませんでした。再びめぐってきたチャンスに、ハンナが歌うのは、狩人が森の妖精ヴィリアへの恋心を歌う、「ヴィリアの歌」です。子守歌とも民謡ともとれる懐かしい旋律が魅力で、「メリー・ウィドウ」を特徴づける曲の1つです。
 
「Das Waldmägdelein streckte die Hand nach ihm aus,
 und zog ihn hinein in ihr felsiges Haus;
 
 森の妖精は彼をとらえ、岩屋の中にひきこみ

 dem Burschen die Sinne vergangen fest sind,
 so liebt und so küßt gar kein irdisches Kind.
 
 若者が気も遠くなるほど、彼にキスをした。

 Als sie sich dann satt geküßt,
 verschwand sie zu derselben Frist!

 
 こんな風に普通の娘はキスをしない。彼女が接吻に満足してから、じきに消  
 え去った。」
 
レハールは今まで単に楽しいだけのオペレッタに、一抹の哀愁を加え、このジャンルに新しい境地をもたらしたのでした。