貨幣システムの再考を -世界金融破綻は必然的であった?


 世界が金融危機に揺れたのは3年余り前である。震源地は、虚業の金融を主とした国家経営戦略の米国で、国民の5%の金融関係者が国益の4割以上を取得する。リーマンショック前年の女子事務員のボーナスは約一億円といわれる。


 米国では、1割の国民が9割の富を独占するともいわれている。


 米国が提唱するグローバルスタンダードは、米国の一部の者に富みが集まるシステムで、我国では,「改革なくして成長なし」の掛け声の下、経済防備を取り除き、米国企業を入れ、各種ストックを流失させている。それは米国のためであり、その結果、格差は増大し、ワーキングプアまで発生させた。いっそ日本を米国51番目の州にと揶揄する者までいる。


 富める者への仲間入りの受験競争は無くならないし、金のための殺人事件も多発し、自殺者は年間3万人を超え、交通戦争の比ではない。
 自分さえ良ければ、他人は犠牲になれば良い、といった価値観が罷り通る。これでは社会は成立たない。その意味でも教育再考が必要である。


 人間は分業の相互扶助により生きられていることを忘れてはならない。しかし、蟻とキリギリスのような日米関係からは離れる必要がある。今後見習うとすればブータンやキューバであり,日本の江戸時代であろうか。


 現代社会は、すでにハーディングのいう「コモンズの崩壊」が進行し、生産基盤の外部不経済が生活基盤を駆逐し、取返しのつかないところに来ているのではあるまいか。
 その根源をなすのが貨幣である。このことについて「エンデの遺言」が出版され13年。貨幣とは何かを考えさせられるきっかけとなった本である。


 エンデは、「モモ」や「はてしない物語」などの作家である。そのエンデの遺言では、シルビオ・ゲデルの唱える「減価する貨幣経済」への移行を提唱している。


 自然の摂理で、物は朽ちて行くのに、お金だけが、なぜ利子で増殖するのかとの疑問から発した理論である。

 世界大恐慌の30年代にオーストリアでゲデル理論の減価貨幣を発行し成功した町がある。不況により住民がタンス預金をすることで消費が落ち込み、失業率は10%を超えていた。


そこで、町独自で貨幣(地域通貨)を発行し、目減りする貨幣であることから、「使わなければ損だ」と思わせることから、一般的に貨幣の流通速度は、月に3.5回といわれているが、ヴェルグルでは、16回といわれている。これは、仮に千円の紙幣とすると、普通では千円が月に3,500円分のモノやサービスなどを動かすが、ヴェルグルでは16,000円の働きをしたことになり、それだけ経済は活発となり1年で失業者はいなくなったというのである。


 しかし、一年余りで貨幣は中央銀行の独占であるとして廃止させられている。
 過去にはオーエンの労働証明書等もある。イスラム社会ではコーランの教えの下、現在でも利子は禁止されており、キリスト教でも中世までは利子は禁止されていた。


 第二次大戦後の世界経済秩序を討議する際、イギリスのケインズがゲデルの減価貨幣経済を唱えるも、米国側の主張で現在の経済システムとなった経緯がある。絶えず成長が必要なこの経済システムを、ねずみ講という者もいるが、椅子取りゲームに他ならない。


 私達がモノを買う時には3割前後の利子分を払わされているともいわれ、まさに「モモ」の時間泥棒である。の金融破綻は、その歪みであり、いつまでも続ける訳には行かない。

 エントロピーから見れば、進歩ではなく、山を転がり落ちている状況で、エネルギー・食料危機に加え、4年前の金融破綻により、生命維持装置としての人間社会の修復は必然であり、これからは、今一度金融システム・利子経済を再考するべきであると思われる。


 我国でも動きは出て来ている。それは地域通貨などグループ内で流通する利子のつかない貨幣で、コミュニティの人々を結ぶツールなどとして全国各地で試行され始めている。


 エンデは、「お金は変えられる。人間が造ったものだから」と言い残している。
 我々は,社会を変えなければならない。


(財部誠一氏の資料より)


日本政府の借金の利子は、
1年 あたり 約23,000,000,000,000円
1日 あたり 約62,841,530,054円
1時間 あたり 約2,618,397,085円
1分 あたり 約43,639,951円
1秒 あたり 約727,332円


(以上、3年前に文章を加筆修正したものです)