宿毛に美術館を創るという構想があるようで、昨年、宿毛に世界的に有名といわれる建築家ユニットを招いてまちづくりの議論がされたと新聞でも報道されていました。


 宿毛では、器としての建物を作る美術館ではなく、最近の越後地方での大地の祭トリエンナーレ展や瀬戸内で行われていた瀬戸内芸術際などの野外美術展としてゆくことが望まれるところです。


 招かれた彼らは建築家で、確かに彼らが設計した金沢美術館は非常に良い建築物です。しかし、そこには都市という場所性や規模論などにより構築されたものと思われます。


 それが今宿毛において、なぜ、何のためのまちづくりか?そもそも論が見えてこないように思われます。

商店街の活性化であれば、その地域に住む人を増加させることが必要ですし。集住することが必要ですし、また、そこに住む人々の所得の向上が必要で、このことを考慮すれば、まち(都市)の構造の変革は勿論のこと。産業や就業構造も変えて行くことが求められると思います。


 宿毛市民や出身者が『宿毛には、こんなモノがあるぞ』と言えるモノを持つことは、宿毛に誇りを持つ意味でも有意義です。が、箱物に拘る必要はないとおもいます。というのは、器を造っても入れるモノの有無にも問題があるからです。


 金沢市では、創作活動やその発表等の場として、レンガ造の旧工場を活用しており、歴史の記憶・都市の記憶を留めて再利用しています。


 宿毛では、器に拘る必要はなく、街全体が美術館であっても良いことではないでしょうか。越後や瀬戸内で行われた美術展の形態です。それが似合うと思います。


 野山にドアーを一枚付けただけでも、よいのではないでしょうか。
以前、ふるさと創世金で山を買い、桜を植え、維持管理に税金を投入していますが、美術展のようなコトの方が我々市民も楽しめ、全国に向け情報発信もできることからも有効性は高いし、交流人口の増大も期待出来ると思われます。


 既存のモノに、コトを加えて、我々市民が楽しく暮らすことができるようにすることが大切と思います。
その意味でも、生活レベルにおいてアートを感じられる暮らしにすることが求められます。


 「生活に芸術を」。この言葉は、ウイリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフト運動で提唱された言葉であり、すでに100年以上も前のことです。しかし、現在でも言葉の新鮮さは衰えていないのではないかと思われます。それだけ、我々の生活からは、芸術的な要素が身の回りから無くなっているように感じられます。


 以前のような審美眼を持つ方が少なくなっているのではないかとも思われることもあります。以前には、お花やお茶などの習い事をする方も多く存在し、そこで審美眼を養って来たようです。それが最近では、そのような習い事をする方々もめっきりと減ってしまっているのが実情で、そのためか、街そのものも汚くなってきている要因の一つになっているのではないかと想像されます。


 このようなコトを含め、生活に芸術を感じられるまちづくりを進めることで、居心地のよいまちにする必要があると思います。