手のひら療治 継承者            喜島康さんとの出会い


江口俊博

 ↓

宮崎五郎(娘婿・弟子)

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喜島康さん


この流れを知った時、

私はいてもたってもいられなくなりました。


手のひら療治の生きた継承者が、

今もこの世界にいる。


連絡を取り、

初めて所沢のご自宅にお邪魔したのは、

今から10年ほど前のことです。



    

玄米と煮物と味噌汁の食卓


喜島康さん。


喜界島出身、所沢在住。


白髪の穏やかな女性が、

温かい笑顔で迎えてくださいました。


テーブルには——

玄米ご飯、野菜の煮物、味噌汁。


まさに「おしものの道」そのものの食卓でした

息子さんともお会いしました。


健康に留意した生活を送り、

武道を極めていらっしゃる方でした。


身体で「道」を生きているご家族の姿が、

そこにありました。


喜島さんはその頃、玄米食を中心に

暮らしていらっしゃいました。


「食べることも、生き方のひとつ」

言葉にはしなくても、

その食卓がすべてを語っていました。


    

久住・黄牛の滝へ



喜島さんと一緒に、

久住へ一泊旅行に出かけました。


向かった先は黄牛の滝。


久住高原の深い森の中に静かにたたずむ、

マイナスイオンたっぷりの滝です。


森の気配、水の音、木漏れ日——


旅の当初、歳の影響もあり

脚がふらふらするところもあった喜島さんですが

この滝の周辺に着いた時——


喜島さんは滝の前に立ち、

手のひらをそっと差し出しました。


すると今までとは別人のように

ぴょんぴょんとスキップし始めたのです。


その姿を見た時、私は思いました。


「この人の手のひらには、江口俊博から続く

百年の流れが宿っている」


手のひら療治は「方法を教えるもの」ではなく、

「場の気を感じ、自然と流れるもの」——


喜島さんはその日、

言葉ではなく、滝の前で

そのことを教えてくださいました。


    

手から手へ渡された本


その旅の後、喜島さんは

私に何冊もの本を手渡してくださいました。


「江口式手のひら療治」の本です。


手のひら療治のことは、

本人から方法等は、お話になりませんでした。


ただ、本を渡す——

その行為そのものが、

喜島さんなりの「継承」の形だったのだと、

今になって深く感じています。


「あとはあなたが感じなさい」

そういうメッセージが、

本の重さの中に込められていたのかもしれません。


黄牛の滝の水音の記憶と共に

本が手から手へと渡りました。


江口俊博から宮崎五郎へ、


宮崎五郎から喜島康さんへ、


そして喜島康さんから私へ。


手のひら療治は、手から手へ渡るものでした。



    

その後の喜島さん


数年後、喜島さんは身体が不自由になられ、

ホームへ移られました。


友人と私がお見舞いに伺った時も、

喜島さんはとてもしっかりとお話しくださいました。


穏やかな笑顔は、変わっていませんでした。


最後まで、手のひら療治と共に生きた人。


その生き方そのものが、

最も雄弁な「継承」でした。


    

百年の流れは、今も続いている


喜島さんからいただいた本は、

今も私の手元にあります。


江口鎮白と江口俊博が1928年に始めた

「手のひら療治の会」から百年。


その流れは途切れることなく、

人から人へ、手から手へと渡り続けてきた。


そして今、私の手のひらにある。


「台所から世界を癒す」


「手のひらから信頼の連鎖を広げる」



それは、百年前から続く

この大きな流れの、次の一歩なのかもしれません。


​えぐちまお(江口麻緒)

キッチンファーマシー協会代表


【次回予告】

第六章:「私自身が、証人です」

─ アトピーと闘い続けた私が、梅にたどり着くまで ─


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