不登校、引きこもり…もうそんな言葉要らないなーと思う今日この頃です



なにしろ、不登校に悩む親子が年々増えて行っているのは確かで、長女が不登校になった13年前には聞かなかったような言葉が、今はたくさんあります。



それぞれのケースの数だけ、色々な要因だったり、対処法、方向性があります



そんな中で、やはり一番大切なのは親御さんや子供さんの心(心の持ち方も含め)だと思うんです



周りの言葉に惑わされてしまう事も多々あると思いますが、なるべくそうならないよう心構えておく事も疲弊からの回避法の一つなのではないかと



私も子供の不登校当初は、人から掛けられる言葉にとても神経質になってしまっていました



『あんな事を言われた』
『酷い言い方をされた』
『私の気持ちなんてわからないくせに』
などなど…もう負のループです


でも、ある時そんな事に腹を立てて辛い思いをしてしんどくなるのがバカバカしいと思うようになりました。



思えば自分自身、子供達が学校に行っていた頃
不登校なんて『甘やかしだ』とか『家の中の居心地を良くしすぎるからだ』なんて言ってましたからね(今と真逆💦)




そして来てしまったこっちの世界(敢えてこう言いますが)

と言う事は私達は両方の世界がわかっているはずなので、心無いと思われる言葉も理解できる




それに同じ言葉をかけられても

受け取り側によっても感じ方が全然違うわけです




『不登校時、学校で先生が仲間に入れるように配慮するのが鬱陶しかった』と感じる子もいれば

一方でそういった配慮で学校生活が変わり、その先生が恩師だと感じる子もいるわけです




声を掛ける方も掛けられる方もそれぞれの考え方な訳ですから、いちいちそこに引っ掛かっていては無駄にエネルギーを消耗すると思うのです




まず素直に相手の意見を聞き考えた上で納得がいかなければ、それらの言葉は捨ててしまったらいいと思います




私はそれらの自分にとって吸収出来ない言葉が、逆に原動力になりました

嫌な言い方をすると『今に見ておれ』的なね(笑)




そういう気持ちで人の言葉を受け取ってみてはどうでしょうか?