子供が不登校になってから、引っ掛かる親の言葉に「○○させる」という言葉があります。


親同士の会話を聞いていると、いかに子供の行動を管理監視している親が多いかわかります。


「計算遅いからさー、公文に行かせてるねん。」
「水が嫌いみたいやから、スイミング行かせようと思うねん。」
「体力がないから、少年野球させようと思って。」
「大リーガーなった時困らんように、英会話も習わせてんねん。」などなど…まーよくそこまで考えて子供に習い事させますよねー(笑)


でも現代ではこれも普通の事なのでしょう。
これが教育であり、子育てという事なのかも知れません。
もちろん、子供が楽しんでやっていれば問題はないのですが、嫌でも『嫌だ』と言えない状態、または言っても却下される状態で習い事を続ける事は子供のパワーを失うだけだと思います。


学校のシステムや、塾の特色、試験の出題傾向まで事細かに把握している親もいます。
ちなみに私の友人がそうなのですが、試験勉強は一緒にするそうです(ー_ー;)


そもそも『○○させる』という意識が、親のエゴの表れです。
自分が遊び呆けて学歴が大したことないのを後悔して、子供に高学歴を求める親。
自分が運動音痴なので、子供にはスポーツ万能になって欲しいと体育会系に拘る親。


そこに子供の意見は関係ありません。
子供の成功を子供以上に喜び、周りへの自慢のタネにする人もいます。
あ、なんかひがんでるみたいになってしまいました(^_^;)


子供が不登校になった今、子供が自分の気持ちで、自分の足で歩いて行けるように、見守る事が大切だと強く思います。


うちは私も主人もお勉強もスポーツもほどほどです。
その素材ですから、それ以上は求めておりません(笑)