ブログトップに少し書いておりましたが、

長女の不登校について少し書きたいと思います。

 

不登校はそれぞれなので、

こういうケースもあるんだと思って頂ければと思います。

不登校になった三人の子供の中で

状態的には一番酷かったのが長女でした。

 

不登校になったのは小学校2年の夏の終わりでした。

学校でもいじめられるとかはなく、

自分から殻に閉じこもっていたようで、

休み時間はいつも1人で絵を描いたり

廊下をウロウロしていたそうです(先生談)

 

ある日、次女が原因不明の発熱嘔吐で2日ほど検査入院をしました。

泊まりで付き添いをした私のいない夜。

その翌日のプールの授業で突然号泣し、

涙が止まらなくなった長女。

思えば、それが不登校の始まりでした。

 

うちは長女が2歳に満たないうちに長男が生まれて

なまじ口が達者だった長女をおねえちゃん扱いし

私が楽をしたくて、長女をコントロールしていた様に思います。

 

そして”転ばぬ先の杖”ばかりをついて、

ついに長女は周りが杖だらけになって

見動きが取れなくなったのだと思っています。

完全に親からのストレスの蓄積が原因です。

そして私に甘えられなかったという想い。

 

不登校当初の長女はそれは酷い状態でした。

眠れない。食べられない。私から離れられない。

寝てても突然泣き叫んで起きてウロウロしました。

少しの事に心配し、不安を口にしました。

生まれた時からふっくらしていた身体はガリガリになりました。

 

ほどなく私はメールで相談する先を見つけ、完全不登校を心に決めました。

きっと診療内科にかかっていれば、投薬は間違いなかったと思います。

相談先の先生は医師であるにも関わらず、

幼い子への投薬は断固反対の方でしたので従いました。

 

私はこのような状態になった事を悔い、嘆き悲しみ、

約一年間、長女と暗いトンネルの中にいました。

 

ガードレールに車ごと突っ込んだら楽だろうなぁと何度考えたか。

夜中に電話相談の人に話をしながら、

”私はどうしてこんな見ず知らずの人に泣きながら話してるのだろう…”

と我に返ったり。

泣いてはいけないと我慢していたので、ずっと片頭痛が取れず

キッチンに立って背中を向けている時は勝手に涙が流れてきました。

 

あ、長い…いつも端的に話をまとめられない

私の悪い癖です(^_^;)

 

 

~つづく~